第4章 統一戦線問題における

スターリン派のジグザグ

 元社会民主党の女性党員トルホルスト(デュッセルドルフ州)は、共産党に移った後の1月半ば、フランクフルトにおいて党を代表して行なった公式声明で、「社会民主党指導者の正体はすでに十分暴露されている。上からの統一によってこの方向へ向かってマヌーバーを弄するのは、エネルギーの浪費以外の何ものでもない」と述べた。これは、フランクフルトの共産党新聞からの引用である。同紙は、この声明を大きな贅辞とともに論評している。「社会民主堂指導者の正体はすでに十分暴露されている」。十分である――社会民主主義から共産主義に移った(これはもちろん名誉になることだ)この声明の著者にとっては。しかし、社会民主党に票を投じ、労働組合の改良主義的官僚を背負いこんでいる幾百万の労働者にとっては、不十分だ。

 しかしながら、個々の声明を持ち出すまでもない。私が受けとった最新の『ローテ・ファーネ』(1月28日付)は、その呼びかけの中で、統一戦線の結成は、社会民主党指導者に対抗し彼らを参加させない場合のみ許されると述べている。その理由は、「この18年間これら『指導者』の仕事ぶりを体験しそれを検証してきた者は誰も、彼らをもはや信用しないだろう」からである。それでは――と、われわれは質問する――、18年より少なく、いや、それどころか18ヵ月よりも少なくしか政治に参加していなかった人々はどうなるのか? 世界大戦の開始以来、いくつもの政治的世代が成長してきたが、これらの世代は、古い世代の経験を、たとえ短縮版としてであっても体験しなければならない。レーニンは極左に対しこう教えている。「重要なのはまさに、われわれによって体験された経験を、階級によってなされた経験、大衆によってなされた経験と、混同しないことである」。

 しかし、社会民主党の古い世代、この18年間の経験を経てきた世代も、指導者とけっして関係を断っていない。反対に、長い伝統によって党に結ばれている「古参者」をたくさん擁しているのは、むしろ社会民主党である。言うまでもなく、大衆の学ぶスピードがこれほど遅いのは悲しむべきことである。しかし、その責任のかなりの部分は、改良主義の犯罪的本質を明瞭に暴露できなかった共産党の「学校教師」たちにある。少なくとも、現在のように、致命的危険を前にして大衆の注意力が極度に張りつめている新しい情勢を利用して、改良主義者を、今度こそは本当に決定的となりうる新しい試験にかけることが必要である。

 社会民主党指導者についてわれわれが抱いている意見を隠したり和らげたりすることなく、われわれは、社会民主党労働者に次のように言うことができるし、また言わなければならない。「諸君が、一方では、われわれとの共同闘争に同意しながら、他方では、今なお諸君の指導者と手を切ることを望んでいないことをふまえて、われわれは次のことを諸君に提案したい。諸君の指導者を、あれこれの手段によるあれこれの実践的課題のための共同闘争をわれわれといっしょに開始するよう強制してほしい。われわれ共産党の方としては、すでに準備はできている」。これ以上簡単明瞭で、説得力のあるものがあろうか?

 私が――頭の鈍い連中や知ったかぶりの連中に、本物の恐怖か偽りの怒りを起こさせてやろうという意識的な思惑をもって――、ファシズムに対する闘争において、悪魔やその祖母、ノスケ(1)やツェルギーベル(2)とさえも、闘争の実践的協定を結ぶ用意があると書いた(3)のは、まさに以上のような意味でのことであった

※原注 スターリニスト官僚が発行している機関紙の中でも、最も無能で無知なフランスの雑誌『カイエ・デュ・ボリシェヴィズム』は、この悪魔の祖母についての比喩に熱心に飛びついた。しかし、言うまでもなく同紙は、この比喩がマルクス主義の文献の中では非常に古い過去を持っていることにまったく気づいていない。革命的労働者が、これらの無知で悪辣な教師たちをこの祖母のもとに見習いに出す日が遠からず来ることを、われわれは望んでいる。

 公式の党は、一歩ごとに、その非現実的な立場を自ら掘りくずしている。党は、「赤色統一戦線」(自分自身との)への呼びかけの中で、「プロレタリアートによるデモ、集会、団結、報道の無制限の自由」という要求を絶えず提出している。これはまったく正当なスローガンである。しかし、共産党が、共産党の新聞、集会等のみならず、プロレタリアートの新聞、集会等についても語るかぎりにおいて、それは事実上、共産党と同じく新聞を発行し集会を組織している社会民主党との統一戦線のスローガンを提出していることを意味する。社会民主主義との統一戦線の思想を事実上含んでいるスローガンを提出しながら、このスローガン実現のための闘争における実践的協定を拒否するというのは、ナンセンスもはなはだしい。

 総路線と実務家的常識とが心中で葛藤を繰り広げているミュンツェンベルク(4)は、11月に『ローテ・アウフバウ(赤色建設)』の中で、次のように書いている。

「国家社会主義(ナチズム)は、ドイツのファシズム運動における最も反動的で、最も排外主義的で、最も残忍な一翼であることは確かである。また、すべての真の左翼(!)が、ドイツ・ファシズムのこの一翼の影響力と実力を増すのを妨げることに大きな利益を有していることも、また事実である」。

 ヒトラーの党が「最も反動的で最も残忍な」一翼であるなら、ブリューニング政府は少なくとも、ヒトラーの党よりは残忍でも、反動的でもない、ということになる。ミュンツェンベルクはここで「より小さな悪」の理論に知らぬ間に近づいている。正統派の体面を救うために、ミュンツェンベルクは、軽いファシズム、中間的ファシズム、強いファシズムという形でファシズムの種類を区別する。まるで、トルコ煙草が問題になっているかのように。しかし、すべての「左翼」(その名前でいったい何を指しているのか?)が、ファシズムに勝利することに利益を有しているのなら、これら「左翼」を実践的試験にかけるべきではないのか?

 以下のことは明らかではないだろうか? すなわち、ブライトシャイトの外交的で曖昧な提案をただちに両手でつかみとり、こちら側から、ファシズムに対する共同闘争の具体的で十分に練り上げられた実践的綱領を提出し、自由労働組合[ドイツ労働総同盟の別名]の指導部メンバーも交えた両党指導部の合同会議を開催するよう要求すべきであったこと。それと同時に、この綱領を、両党の各級レベルおよび大衆の中で、下から強力に推進するべきであったこと。全国民の面前で交渉を進めるべきであったこと。党の機関紙誌がこの交渉について、誇張や馬鹿げた嘘を交えずに毎日報告を掲載すべきであったこと、である。労働者にとって、このような実践的で的を絞った煽動は、「社会ファシズム」に関する絶え間ない金切り声よりもはるかに強力に作用する。もしこのような形で問題が提起されていたならば、社会民主党は、1日たりとも「鉄の戦線」というボール紙でできたデコレーションのかげに身を隠すことはできなかったであろう。

 『共産主義における左翼小児病』を再読したまえ。それは今日、最も時宜にかなった本である。そこでレーニンが語っているのは、ちょうど現在のドイツで生じているような情勢についてである。逐語的に引用してみよう。

「プロレタリアートの前衛にとって、プロレタリアートの自覚的部分にとって、すなわち共産党にとって、無条件に必要なのは、プロレタリアのさまざまなグループ、労働者や小経営主のさまざまな党と駆け引きをし、協定し、妥協することである。……全問題は、プロレタリア的自覚、革命性、闘争し勝利する能力の全般的水準を引き下げるのではなく、逆に高めるために、この戦術を適用するすべを知ることである」(5)

 それでは、共産党はどのような行動をとっているか? 機関紙の中で同党は、毎日のように、「ブリューニング、ゼヴェリング(6)、ライパルト(7)、ヒトラーおよびその同類連中に反対することに向けた統一戦線」しか認めないと主張している。プロレタリアートの蜂起に直面した場合、ブリューニング、ゼヴェリング、ライパルト、ヒトラーのあいだに違いがないということは言うまでもない。ボリシェヴィキの10月蜂起に対して、エスエルとメンシェヴィキは、カデットおよびコルニーロフ派と同盟した。ケレンスキーは、黒百人組的なコサック将軍のクラスノフを、ペトログラードに向けて進軍させた。メンシェヴィキはコルニーロフとクラスノフ(8)を支持し、エスエルは、君主主義的将校の指揮のもとに士官学校生の反乱を組織した。

 しかし、以上のことから、ブリューニング、ゼヴェリング、ライパルト、ヒトラーが、つねにいかなる状況のもとでも、同じ陣営に属しているということにはけっしてならない。今日では、彼らの利益は一致していない。現時点において、社会民主主義にとっての問題は、プロレタリア革命から資本主義社会の土台を防衛することではなく、むしろファシズムからブルジョア的半議会主義体制を防衛することにある。この対立関係を利用するのを拒否することは、まったくもって愚かしい。

 レーニンは、その『左翼小児病』の中で、次のように書いている――。

「国際ブルジョアジーを打倒するための戦争を遂行するにあたって……、抜け目なく立ち回ること、敵のあいだの利害対立(たとえ一時的なものであっても)を利用すること、可能な同盟者(たとえ一時的で、動揺的で、条件つきのものであっても)と協定し妥協することを、前もって拒絶するのは、まことに笑うべきことではないか?」(9)

 この引用もまた原文通りである。われわれが強調を付した挿入句はレーニン自身によるものだ。

 さらに――

「より強力な敵に打ち勝つことは、最大の努力を払う場合のみ、そしてつねに、最も綿密に、注意ぶかく、慎重に、巧みに、たとえどんな小さなものであろうと、敵のあいだのあらゆる『裂け目』を利用する場合にはじめてできることである」(10)

 では、マヌイリスキーに指導されているテールマンとレンメレは、何をしているか? 彼らは、社会民主主義とファシズムとのあいだにある裂け目を――しかも何と大きな裂け目であることか!――、社会ファシズム論と、統一戦線の実践上のサボタージュでもって、全力を挙げてふさごうとしているのだ。

 レーニンは、「大衆的な同盟者を――たとえ一時的で、動揺的で、不安定で、あてにならない、条件つきの同盟者であっても――獲得する可能性を」すべて利用するよう要求し、「このことを理解しない者は、マルクス主義と総じて近代の科学的社会主義を少しも理解しない者である」と述べた。聞きたまえ、新しいスターリン学派の予言者たちよ、そこでは、諸君がマルクス主義をまったく理解していないとはっきりと正確に言われている。レーニンが諸君についてそう言っているのだ。受領書でも書いたらどうか!

 しかし、社会民主主義に対する勝利なくして、ファシズムに勝利することは不可能である、とスターリニストは反論する。それは本当だろうか? ある意味では本当だ。しかし、逆の定理もまた真である。つまり、イタリアのファシズムに対する勝利なくして、イタリアの社会民主主義に勝利することはできない。ファシズムも社会民主主義も、ブルジョアジーの道具である。資本が支配しているかぎり、社会民主主義もファシズムも、組み合わせはさまざまであろうが、存在するだろう。したがって、すべての問題は共通の分母に還元される。すなわち、プロレタリアートはブルジョア体制を転覆しなければならない、ということである。

 しかし、まさに現在、ドイツにおけるブルジョア体制が動揺しているときに、その防衛にやってきているのがファシズムである。この防衛者を撃退するためには、あらかじめ、社会民主主義と決着をつけなければならない…。このようにして、空想的な図式主義はわれわれを悪循環に閉じ込める。そこから抜け出ることは、行動の領域においてのみ可能である。行動の性格は、抽象的カテゴリーをもてあそぶことによってではなく、生きた歴史的力の真の相互関係によって決定される。

 いやだめだ――と官僚は念仏のように繰り返す――「まず」社会民主主義を片づけるべきだ。しかしどうやって? 非常に簡単だ。ある一定の期日までに10万の新党員を入党させよ、という命令を党組織に与えればよい。政治闘争に代えての抽象的プロパガンダ、弁証法的戦略に代えてのお役所的計画…。だが、階級闘争の現実の発展が現在すでに、ファシズムの問題を労働者階級の前に死活にかかわる問題として提起しているとしたら、どうするのか? その場合には、この課題に対して労働者階級に背中を向けさせ、彼らを眠りこませ、労働者階級に次のことを信じ込ませなければならない。すなわち、反ファシズム闘争の課題は2次的な課題であり、別に緊急のものではない、それはひとりでに解決されてしまうだろう、いずれにしても、ファシズムはすでに事実上支配しており、ヒトラーは何も新しいものはもたらさない、ヒトラーを恐れる必要はなく、むしろヒトラーは、共産党のために道を切り開いてくれるだけである、と。

 もしかしたら、これは誇張だろうか? いや、これは疑いもなく、共産党指導者の指導的理念である。指導者は必ずしもこの理念を最後までつきつめているわけではない。大衆を前にすると、彼らはしばしば、その最終的結論の前で後ずさりし、さまざまな立場をいっしょくたにし、自らも労働者をも混乱させる。しかし、彼らがつじつまを合わせようと試みる場合にはいつも、ファシズムの勝利は不可避であるという観点から出発するのである。

 昨年の10月14日、ドイツ共産党の3人の公式指導者の1人であるレンメレは、ドイツ国会の中で次のように語った。

「このブリューニング氏は非常にはっきりと次のように語った。彼ら(ファシスト)が権力を握れば、プロレタリアートの統一戦線が実現され、すべてを一掃してしまうであろう、と(共産党議員からの嵐のような拍手)」。

 ブリューニングが、このような展望でもってブルジョアジーや社会民主党を脅かしているのは、理解できることである。それによってブリューニングは、自らの権力を防衛しているのだ。しかし、レンメレが、このような展望でもって労働者を慰めているのは、恥ずべきことである。それはヒトラーの権力掌握を準備してやっている。なぜなら、この展望は根本的に偽りであり、大衆心理と革命闘争の弁証法についての完全な無理解を示しているからである。現在、すべての出来事が公然と進行しているのをその目で見ているドイツ・プロレタリアートが、ファシストの権力掌握をおめおめ許すと仮定するならば、すなわち、プロレタリアートが犯罪的なまでに愚かで受動的であることを示すと仮定するならば、ファシストに権力が移行した後に、その同じプロレタリアートが、突然その受動性を振り払って「すべてを一掃してしまう」などと想定することは、絶対にいかなる根拠もないことである。イタリアにおいてそんなことはまったく起こらなかった。レンメレは完全に、19世紀フランスの小ブルジョア駄弁家の精神で発言している。フランスの小ブルジョアたちは、大衆を指導するうえでの完全な無能力を暴露したが、その代わり、ルイ・ボナパルト(11)が共和国を乗っ取ろうとするなら、人民がただちに彼らの防衛に立ち上がり、「すべてを一掃する」であろう、と信じこんでいた。ところが、ペテン師ルイ・ボナパルトが権力に就くのを許した人民は、もちろんのこと、その後でボナパルトを一掃することなどできなかった。そのためには、新しい大事件が、戦争をも含む歴史的激変が必要であった。

 さて、われわれが先ほど聞いたところによると、プロレタリアートの統一戦線は、レンメレにとって、ヒトラーが権力を握った後にのみ実現される。自らの無力さを認めるこれ以上惨めな告白があるだろうか? われわれレンメレ一派にはプロレタリアートを統一する能力がないので、この任務をヒトラーに任せよう。ヒトラーが、われわれのためにプロレタリアートを統一してくれたら、そのときには、われわれは、その力を遺憾なく発揮するだろう、というわけだ。さらにこの後に次のような自慢が続く。

「われわれは明日の勝利者である。誰が誰を打ち負かすのかという問いは、もはや意味をなさない。この問題はすでに解決されている(共産党議員の拍手)。残る問題は、いかなる瞬間にわれわれがブルジョアジーを粉砕するのか、ということのみである」。

 まさしく! こういうのを、ロシア語では「指で宙を撃つ」という。われわれは明日の勝利者だ。そのために、今日欠けているものは統一戦線だけである。明日になれば、ヒトラーが権力を握って、われわれに統一戦線をもたらすだろう。それでは、結局、明日の勝利者はヒトラーであって、レンメレではないことになる。しかし、その場合には、共産党の勝利の日はそんなに早くはやって来ないことをよく胸に刻み込んでおくべきだろう。

 レンメレ自身も、自分の楽観主義に左翼性が十分ではないことを感じて、それをより確固たるものにしようと試みている。「われわれはファシストの紳士諸君を恐れはしない。ファシストの政府は、どの政府よりもずっと早く力を使い果たしてしまうだろう(共産党議員から「まったくその通り」の声)」。そして、その証拠はこうである。ファシストは紙幣を乱発して貨幣インフレを起こそうと望んでいるが、それは人民大衆にとって災厄でしかない。したがって、いっさいは、これ以上ないぐらいうまく運ぶだろう。レンメレの言葉のインフレは、このようにして、ドイツ労働者に道を踏み誤らせている。

 この演説は、党の公式指導者の綱領的演説であり、印刷されて膨大な量が配布され、共産党員募集に役立てられている。そしてこの演説文章のあとには、入党申込用紙が印刷されている。この綱領的演説は、完全かつ全面的に、ファシズムに対する降伏に立脚している。ヒトラーの権力掌握を「われわれは恐れない」。しかしこれは、臆病風に吹かれていることの裏返しにすぎない。「われわれ」は、ヒトラーの権力掌握を防ぐ能力が自分たちにあるとは思わない、というわけだ。いや、もっと悪質だ。われわれ官僚はあまりに腐敗しているので、ヒトラに対する闘争についてあえて真面目に考えない。だからこそ「われわれは恐れない」のだ。諸君が恐れていないものは何か? ヒトラーに対する闘争か? いや、彼らが恐れていないのは…ヒトラーの勝利である。彼らは、闘争を回避することを恐れていないのだ。彼らは、自分自身の臆病さを告白することを恐れていないのだ。恥辱だ、3倍も恥辱だ!

 私は、以前に出版したパンフレットの一つで、スターリニスト官僚は、ヒトラーに罠を…国家権力という罠を仕掛けようとしている、と書いた(12)。ミュンツェンベルク社からウルシュタイン社へ、モッセ出版(13)からミュンツェンベルク社へと渡り歩いている共産党のジャーナリストたちはただちに、「トロツキーは共産党を中傷している」と騒ぎ立てた。トロツキーが、共産主義に対する敵意ゆえに、ドイツ・プロレタリアートに対する憎悪ゆえに、ドイツ資本主義を救おうという焼けつくような願望ゆえに、降伏の計画をスターリニスト官僚に押しつけようとしていることは、明らかではないか。だが実際には、私は、レンメレの綱領的演説とテールマンの理論的論文を短く定式化したにすぎないのである。いったいどこに中傷があるというのか?

 しかもその際、テールマンもレンメレもスターリンの福音書にまったく忠実である。1923年の秋、ドイツで、現在と同じように、いっさいが危うい均衡の上に立っていたとき、スターリンがどういう立場にあったかをもう一度想起しよう。彼は、ジノヴィエフとブハーリンに宛てて次のように書いている。

「共産党は(現在の段階において)、社会民主党なしに、権力奪取を試みるべきであろうか? それをなしうるほど共産党は十分に成熱しているであろうか? 私の考えでは、問題はそこにある。……今日、ドイツにおいて、権力がいわば自壊し、共産党が権力を握ったとしたら、共産党は手ひどい失敗をこうむるだろう。しかも、それは、『最良』の場合である。最悪の場合には、共産党はこっぱみじんに粉砕され、後方に投げ戻されるだろう。……もちろん、ファシストは居眠りしていない。だが、われわれとしては、ファシストがまず攻撃をしかけてくれる方が好都合である。そうすれば、全労働者階級は、共産党の周囲に結集するであろう。……私の意見では、ドイツ人は抑制すべきであって、鼓舞してやるべきではない」。

 『大衆ストライキ』というパンフレットの中で、ラングナーはこう書いている。「もしも10月(1923年)に闘っていたら、『決定的敗北』に終わったであろうという(ブランドラーの)主張は、日和見主義的誤謬と、闘わずして降伏するという日和見主義をごまかすものでしかない」(101頁)。まったく正しい。しかし、誰がいったい「闘わずして降伏する」という戦術の主唱者だったのか? 誰が、「鼓舞」するかわりに、「抑制」したのか? 1931年のスターリンは、1923年における自分の定式を発展させたにすぎない。ファシストよ権力をとれ。彼らは、われわれのために道を切り開いてくれるだけだ…。もちろんのこと、ブランドラーにくってかかった方が、スターリンにくってかかるよりはるかに安全だ。そして、ラングナーのような連中は、そのことよく心得ている…。

 たしかに、この2ヵ月ばかりのあいだに、――左からの断固たる抗議の影響もあって――多少の変化が起こった。ヒトラーは権力を握っても急速に力を使い果たしてしまうだろうと共産党が言うことはもはやない。今や党は、問題の反対の側面をより強調している。すなわち、ヒトラーが政権に就くまで反ファシズム闘争を先延ばしすることはできない。今ただちに闘争を開始して、ブリューニングの緊急令に対して労働者を立ち上がらせ、闘争を経済面でも政治面でも拡大し深化させなければならない、と。これはまったく正しい。この範囲内で共産党の代表者が述べていることはすべて、議論の余地がない。ここでは、彼らと私とのあいだに意見の相違はない。しかし、それでもなお主要な問題が残っている。すなわち、いかにして言葉を行動に移すのか、ということである。

 一般党員の圧倒的多数と党機構のかなりの部分は、真剣に闘争を望んでいる。その点について、われわれは疑っていない。しかし、しっかりと目を開いて現実を直視しなければならない。この闘争はいまだ存在しないし、その徴候も見られない。ブリューニングの緊急令は大手を振ってまかり通っている。クリスマスの休戦は破られなかった。部分的で場当たり的なストライキ政策は、共産党自身の説明によれば、これまでのところまともな成果を上げていない。労働者はこうしたことを見ている。わめき立てるだけでは労働者を納得させることはできない。

 共産党は、大衆の受動性の責任を社会民主主義に押しつけている。歴史的な意味では、それは議論の余地なく正しい。しかし、われわれは歴史家ではなく、革命的政治家である。問題は、歴史の探求にあるのではなく、出口の探求にあるのだ。

 社会主義労働者党(SAP)は、創設まもない最初の時期においては、ファシズムとの闘争の問題を形式的に立て(とくに、ローゼンフェルト(14)とザイデヴィッツ)、反撃のタイミングをヒトラーの政権掌握の時期に一致させていたが、その後、一定の前進をなしとげた。同党の機関紙は今では、ファシズムに対する反撃をただちに開始し、労働者を飢えや警察の抑圧に対して立ち上がらせるよう訴えている。われわれは、社会主義労働者党の立場の変化が、共産党の批判に影響されて起こったと喜んで認めるものである。共産主義の任務の一つはまさに、中間主義の中途半端さを批判することによってそれを前方に駆り立てることにある。しかし、批判だけでは不十分である。批判によるこの成果を政治的に利用し、社会主義労働者党に対し、言葉を行動に移すよう提案しなければならない。社会主義労働者党を、公然たるはっきりとした実践的試練にかけなければならない。それには、個々の引用を解釈することによってではなく――それでは十分でない――、ファシズムに反撃する一定の実践的方法について合意に達するよう提案することによって、である。もし社会主義労働者党が自らの無力さを暴露すれば、それによっていっそう共産党の権威は上がるであろうし、中間政党もいっそう急速に清算されるであろう。何を恐れる必要があろうか?

 しかし、あたかも社会主義労働者党が真剣に闘争することを望んでいないかのように言うのは正しくない。同党の内部にはさまざまな傾向が存在する。現在のように、すべてが統一戦線に関する抽象的プロパガンダに還元されているかぎり、内部の矛盾はまどろんでいるが、闘争に移る段になると、それらの矛盾は表面化するであろう。そこから利益を得ることができるのは、共産党だけである。

 しかしまだ主要な問題が残っている。社会民主党がそれだ。社会主義労働者党によって受け入れられた実践的提案を社会民主党が拒否すれば、これは新しい状況をもたらすだろう。共産党と社会民主党とのあいだにとどまり、その両者に文句をつけ、両者を利用して自らを強化しようと望む中間主義者は(この哲学はウルバーンス(15)によって発展させられている)、たちまち宙に浮いた存在になってしまうだろう。なぜなら、革命闘争が社会民主党によってサボタージュされていることが、ただちに暴露されるのだから。それは、本当に好部合ではないだろうか? このときになれば、社会主義労働者党の労働者は、決定的に、共産党の側に目を転じるだろう。

 しかし、社会主義労働者党によって合意された行動綱領を受け入れるのをウェルス一派が拒否した場合は、社会民主党自身もただではすまないであろう。『フォアヴェルツ』紙はたちまち、共産党の消極性に苦情を並べ立てる可能性を失ってしまうだろう。社会民主党労働者はたちまち統一戦線に惹きつけられるだろう。それは、共産党に惹きつけられることと等しい。以上のことは明白ではなかろうか?

 これらの段階や転換のたびごとに、共産党は新しい可能性を発見するだろう。つねに同じ聴衆の前で、まったく同じ出来合いの定式を単調に繰り返すかわりに、共産党は、新しい階層を行動に引きこみ、彼らを生きた経験にもとづいて教育し、彼らを鍛え上げ、労働者階級内部における党のヘゲモニーを強化する可能性を見出すだろう。

 言うまでもなことだが、共産党はその際、ストライキ、デモ、政治的カンパニアにおける独立した指導性を放棄してはならない。党は、行動の完全な自由を保持する。党は誰をも待ちはしない。しかし、党は、自らの行動にもとづいて、他の労働者組織に対して積極的な機動政策を行なう。労働者のあいだにある保守的仕切りを打破し、改良主義と中間主義の内部における矛盾を暴露し、プロレタリアートの中の革命的結晶化を推し進めるだろう。

 

  訳注

(1)ノスケ、グスタフ(1868-1946)……ドイツ社会民主党の右派指導者。1919年に国防大臣として、スパルタクス団を弾圧。カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク暗殺の責任者。

(2)ツェルギーベル、カール(1878-1961)……ドイツ社会民主党の右派で、ベルリンの警視総監。

(3)これは、「 ドイツ共産党の党員労働者への手紙」を指している。ただし、同論文では正確には「ノスケやツェルギーベルとさえ」ではなく、「ノスケやグルツェジンスキーとさえ」と述べている。

(4)ミュンツェンベルク、ウイリー(1889-1940)……ドイツ共産党のスターリニストで、共産主義青年インターナショナルの創始者の一人。コミンテルンの資金を用いて出版社、日刊紙、雑誌、映画会社などを設立。ナチスの政権掌握後、フランスに亡命。人民戦線をめぐって意見が分かれ、1937年にコミンテルンから決別。後に、不可解な状況の中で暗殺される。

(5)邦訳『レーニン全集』第31巻、61-62頁。

(6)ゼヴェリング、ヴィルヘルム(1875-1952)……ドイツ社会民主党員で、プロイセン警察の長官。1919〜1926年、1930〜1932年、プロイセン政府の内務大臣。

(7)ライパルト、テオドール(1867-1947)……ドイツの労働組合指導者で、社会民主党主導の「自由労働組合」の組織者。後にドイツ労働総同盟(ADGB)の議長。第2次世界大戦後、東ドイツでスターリニスト党と社会民主党の合同を主張。

(8)クラスノフ、ピョートル(1869-1947)……帝政ロシアの軍人、中将。1917年にソヴ ィエト政権に反乱を起こすが失敗、逮捕。ソヴィエト政権に武装敵対をしない約束をして釈放されるが、再び反乱を起こす。亡命。第2次大戦でソ連軍に逮捕され、処刑。

(9)邦訳『レーニン全集』第31巻、57頁。

(10)同前、58頁。

(11)ルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)(1808-1873)……ナポレオン1世の甥、フランス皇帝(在1852-70)。クーデターで1852年に共和制を廃止し、フランス皇帝になるが、普仏戦争に敗れて没落。イギリスで死去。

(12)これは、1931年11月26日の論文「 国際情勢の鍵はドイツにあり」を指している。

(13)ウルシュタイン社もモッセ出版も、ドイツの大手出版社。新聞や書籍を多数出版し、多くのジャーナリストを雇っていた。

(14)ローゼンフェルト、クルト(1877-1943)……ドイツの社会民主主義者で弁護士。1917年に独立社会民主党に移り、1922年に社会民主党に復帰。1931年に一時期、社会主義労働者党の指導者に。

(15)ウルバーンス、フーゴ(1892-1947)……1924年以降、ドイツ共産党の指導者。1927年にマスロフ、フィッシャーらとともに除名され、レーニンブントを結成。後にこの組織は左翼反対派と合同。1933年、スウェーデンに亡命し、同地で死去。

 

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8章9章10章11章12章13章14章15章結論


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