第1章 社会民主主義

 「鉄の戦線」(1)は、もともと、数の上で強力な社会民主主義的労働組合と、人民のあらゆる支持を失いあらゆる自信も失ってしまった無力なブルジョア「共和派」グループとのブロックである。死者は、たとえ闘うことはできなくても、生者が闘うのを妨げることはできる。社会民主主義のブルジョア的同盟者は、労働者組織に轡をはめている社会民主党指導者に奉仕している。闘争、闘争…といっても、そう言っているにすぎない。最後には、神のお恵みで、戦闘なしにすますことができるだろう。ファシストが本当に、言葉を行動に移すことを決心するなどということがありえようか? 彼ら社会民主主義者は、けっして今までそういう決心をしなかった。といって、彼らがとくに劣った人間というわけでもない。

 真の危険性が生じた場合に、社会民主主義が希望をかけるのは、「鉄の戦線」ではなく、プロイセンの警察である。まったく的外れな思惑だ! かなりの数の警察官が、社会民主党労働者の出身であるということは何の意味も持たない。ここでも、存在が意識を規定する。資本主義国家に仕える警察官になった労働者は、ブルジョア警察官であり、労働者の警察官ではない。この数年間、これらの警察官は、ナチス学生とよりもはるかにしばしば、革命的労働者と闘わなければならなかった。このような学校は、その影響をとどめずにはおかない。しかし、重要なことは、すべての警察官が、たとえ政府が変わっても警察は残るということを知っていることである。

 社会民主党の討論機関誌である『フライエ・ヴォルト(自由な言論)』(それは何と惨めな雑誌であることか!)の新年号では、「寛容」政策の至高の意味が説明されている。それによれば、ヒトラーは、警察とドイツ国防軍に対抗して権力に到達することはけっしてできない。なぜなら、憲法によれば、国防軍は共和国大統領に従属しているからである。それゆえ、国家の頂点に憲法に忠実な大統領がいるかぎり、ファシズムは危険ではない。したがって、大統領選挙まではブリューニング政府を支持し、議会主義的ブルジョアジーとの協力によって、護憲派の大統額を選出して、さらに7年間、ヒトラーに権力への道を閉ざしてしまわなくてはならない。私は、論文の内容をまったく正確に紹介している

※原注 この論文には、遠慮がちにもE・Hのイニシャルだけが署名されている。しかし、このイニシャルは、後の世代のためにしっかりと心に刻んでおかなければならない。各国労働者の数世代の活動は無駄ではなかった。偉大な革命的思想家や革命的闘士はその足跡を残さずに去っていったわけではない。E・Hは実在し、目をしっかり見開き、ドイツ・プロレタリアートに進むべき道を指し示している。口さがない人々は、このE・Hが、大戦中とくに醜悪な排外主義で名を馳せたE・ハイルマンである、と主張している。まさかこのような明噺な頭脳の持主が…?

 根底から動揺している現在のドイツでどの階級が権力を握るかという問題が、ドイツ・プロレタリアートの戦闘力やファシズムの突撃隊に依存しているのではなく、あるいは国防軍の構成にさえ依存しているのではなく、大統領官邸に安置された(必要量の樟脳とナフタリン入りの)ワイマール憲法の純粋精神に依存している。このようなことを、こともあろうに、何百万という人間を(社会主義に向かって!)率いている大衆政党が信じているのだ。しかし、ワイマール精神が、ベートマン=ホルヴェーク(2)の場合のように「必要の前に法なし」という特殊な状況に置かれた場合には、どうなるだろうか? もし、ワイマール精神の脆い外皮が、ナフタリンや樟脳にもかかわらず、最も不適当な時期に腐り落ちてしまったらどうなるのか? もし、……いや、こんな問いをしてもきりがない。

 改良主義の政治家たちは、如才のない実務家であり、老練な陰謀家で野心家、議員および大臣としての経験豊富な駆け引き屋である。ところが、その彼らは、事態の進行によって、通常の活動範囲の外に引き出され、重大な事態に直面させられるやいなや、大馬鹿者――これ以上穏やかな表現を見つけることはできない――になってしまう。

 大統領に対する彼らの希望こそ「国家」に対する希望である。プロレタリアートとファシスト小ブルジョアジー――この両陣営を合わせればドイツ国民の圧倒的多数を構成する――との迫りくる衝突を前にして、『フォアヴェルツ』紙のマルクス主義者たちは、「夜警」に救いを求めているのだ。「国家よ、介入せよ!(Staat, greif zu!)」というわけだ。つまりこうである――「ブリューニング君、労働者組織によって自衛しなくてはならないような立場にわれわれを追い込まないでくれ。なぜなら、それは、すべてのプロレタリアートを立ち上がらせるだろうからだ。そしてその時には、運動は党幹部会の禿げ頭を乗り越えてしまうだろう。すなわち、反ファシズム運動として始まったものが、共産主義運動として終わることになるだろう」。

 それに対して、ブリューニングは、あえて沈黙することを選ばないとすれば、次のように答えただろう――「警察力でファシズムに対処することは、たとえ私が望んだとしても、私にできることではない。しかし、私にできたとしても、そうするつもりはない。ファシズムに対して国防軍を動員することは、国防軍を分裂させてしまいかねない。下手すれば、国防軍が一致団結して私に反抗するかもしれない。しかし根本的に重要なことは、もしファシズムに対して官僚機構を動員すれば、労働者の手を自由にし、彼らに完全な行動の自由を与えてしまうことである。その結果は、君たち社会民主党員が恐れているのと同じものになる。したがって私はその結果を二重に恐れる理由があるわけだ」。

 社会民主党は国家機構、判事、国防軍、警察などに呼びかけているが、それは、彼らが期待するものと正反対の結果をひき起こすだろう。最も「忠実」で最も「中立的」で、また、国家社会主義者と最も関係の少ない役人は、次のように考えるにちがいない――「社会民主党の背後には、数百万もの人間がいる。彼らの手中には巨大な手段がある。機関紙誌、議会、地方自治体。問題になっているのは彼ら自身の身である。ファシストに対する闘争においては、共産党の支持が保障されている。それにもかかわらず、きわめて強力なこれらの紳士諸君が、役人である私に向かって、数百万の支持を持っている別の政党[ナチス]の攻撃から守ってくれと頼んでいる。この別政党の指導者は、明日には私の上司になるかもしれないというのに。社会民主党の紳士諸君の事業はうまくいっていないにちがいない。いや、まったく絶望的でさえあるようだ…。私のような役人も、そろそろ自分の身について考えてもいいころだ」。

 結果として、昨日までまだ動揺していた「忠実」で「中立的」な役人は必然的に保険をかけようとするだろう。つまり彼らは、自らの明日を保証するために、国家社会主義者と関係を結ぼうとするだろう。かくも落ちぶれた改良主義者たちは、国家官吏の分野においても、ファシストに有利になるように働いているのだ。

 ブルジョアジーの居候たる社会民主主義は、みじめな思想的寄生物になることを運命づけられている。社会民主主義は、あるときは、ブルジョア経済学者の思想を借用し、またあるときは、マルクス主義の断片を利用しようとする。ヒルファーディング(3)は、私のパンフレットから、ヒトラーの人民投票に共産党が参加することに反対する文章を引用したうえで、次のように結論している。「ブリューニング政府に対する社会民主主義の戦術を説明するのに、これ以上つけ加えることは何もない」。すると、レンメレ(4)とタールハイマー(5)が叫ぶ、「見たまえ、ヒルファーディングは、トロツキーをよりどころにしているぞ」。すると今度はファシストのイエロー・ペーパーが叫ぶ、「この見返りに、トロツキーはビザを約束されるだろう」。そしてスターリニストのジャーナリストが、ファシスト新聞の記事をモスクワに打電する。不幸なラデックが鎮座する『イズベスチヤ』編集部は、この外電を掲載する。この連鎖は指摘するに値するが、今はおいておこう。

 もっと深刻な問題に立ち戻ろう。ヒトラーがブリューニングと闘うという贅沢ができるのはもっぱら、ブルジョア体制が全体として、ヒルファーディング一派によって指導されている労働者階級の一半によりかかっているからである。もし、社会民主党が階級的裏切りの政策を行なわなかったなら、ヒトラーは、言うまでもなくけっして現在のような力を獲得できなかっただろうし、頼みの綱としてのブリューニング政府にしがみついていたことだろう。また、もし共産党が、社会民主党と協力して、ブリューニング政府を倒していたなら、この事実は巨大な政治的意義を持つことになっただろう。この結果は、間違いなく、社会民主党指導者の手に負えないものになっていただろう。ヒルファーディングの裏切りを一個の事実として配慮するよう共産党に求めた私の批判のうちに、ヒルファーディングは自らの裏切りの弁明理由を見出そうとしているのである。

 ヒルファーディングは、トロツキーの言葉に「つけ加えることは何もない」と言いながら、ちょっとしたことをつけ加えている。現在の力関係においては――と彼は言う――、社会民主党の労働者と共産党の労働者の一致団結した行動を仮定したとしても、「闘争を強化して敵を打倒し、権力を掌握する」ことは不可能である、と。何の証明もなしに、無造作に出されているこの見解に、問題の核心がある。ヒルファーディングによれば、プロレタリアートが国民の大多数を占め、社会の決定的生産力を構成している現在のドイツでさえも、社会民主党と共産党の共同闘争によって権力をプロレタリアートの手に移行させることができないというのだ! しかし、それならば、いったいいつ権力はプロレタリアートに移行するというのか? 世界大戦までは、資本主義の自動的成長とプロレタリアートの増大、それと同時に社会民主主義の成長という展望があった。戦争は、この過程を中断し、もはや世界のどんな勢力も、この過程を復活させることはできない。資本主義の腐朽が意味するのは、権力の問題を現在の生産力にもとづいて解決しなければならない、ということである。資本主義体制の死の苦悶を引き延ばすことによって、社会民主主義は経済文化のさらなる衰退、プロレタリアートの分裂、社会的壊疽をもたらしているだけである。社会民主主義の前には他のいかなる展望もない。ただ、明日は今日よりも悪くなり、明後日は明日よりも悪くなる。しかし、社会民主党指導者はもはや未来に目を向ける大胆さを持っていない。彼らは、すでに破滅を運命づけられている支配階級のすべての欠陥を備えている。軽率さ、意志の麻痺、現実から目をそらし奇跡に期待する傾向。タルノフ(6)の経済研究は、ラスプーチン(7)の慰めのお告げと同じ「機能」を果たしているのではないかと思えてくる…。

 社会民主党は共産党と手を結んでも権力を獲得することはできないだろう、とヒルファーディングは言う。さすが、頭のてっぺんから足の先まで大衆に対する不信と軽蔑が浸透している骨の髄まで臆病で傲慢な教養ある(gebildet)小ブルジョアだ。だが、社会民主党の裏切りと共産党の数々の誤りが数百万の人々を無関心層やときには国家社会主義の陣営に追いやったにもかかわらず、両党あわせて、全有権者の約40パーセントの票をなおも確保している。この2つの政党の共同行動が実現したら、ただその事実だけで、大衆に新しい展望を切り開き、プロレタリアートの政治的力を計りしれないほど増大させるだろう。しかし、この40パーセントから出発するとしよう。ブリューニングやヒトラーは、これより多くの票を持っているだろうか? 結局のところドイツを統治することができるのは、プロレタリアート、中央党、ファシストの三者のみである。しかし、資本の代表にとって統治には投票の20パーセントで十分であるという事実は、この教養ある小ブルジョアの骨の髄までしみこんでいる。ブルジョアジーは何といっても、銀行、トラスト、シンジケート、鉄道を所有しているからだ。たしかに、わが教養ある小ブルジョアも12年前には、これらすべてを「社会化する」ことを望んでいた。しかしそれが何だというのだ! 社会化の綱領はイエス、だが「収奪者から収奪せよ」はノーだ。それはボリシェヴィズムだ。

 われわれは、これまで力関係を議会の範囲内で見てきた。しかしそれは歪んだ鏡である。被抑圧階級の議会代表はその実際の力をはなはだしく縮小されてしまう。反対に、ブルジョアジーの代表は、たとえブルジョア体制崩壊の前日でさえ、その架空の力の仮面になるだろう。革命闘争のみが、あらゆる保護膜の下から真の力関係を暴き出す。権力のための直接的闘争において、プロレタリアートは――内部からのサボタージュ、オーストリア・マルクス主義、その他の裏切りによって麻痺させられないかぎり――その議会における力をはるかに越える力を発展させる。ここでもう一度、歴史の比類なき教訓を思い起こそう。ボリシェヴィキは、権力を獲得しそれを強化した後でもまだ、憲法制定会議において3分の1に満たない票、左翼エスエルと合わせても40%足らずの票しか獲得しなかった。そして、恐るべき経済的崩壊、戦争、ヨーロッパ社会民主主義(とくにドイツのそれ)の裏切りにもかかわらず、戦後の疲弊による反動、テルミドール的雰囲気の成長にもかかわらず、最初の労働者国家は14年も持ちこたえている。ドイツについてはどれほどのことが言えることだろう。社会民主党労働者と共産党労働者が、ともに権力奪取のため立ち上がれば、課題の10分の9までは片づいてしまうだろう。

 しかしそれでも――とヒルファーディングは言う――、社会民主党がブリューニングに反対投票をして、ブリューニング政府を転覆させたりすれば、ファシズムを権力の座に就ける結果になってしまうだろう。議会の地平においては、事態はたぶんそう見えるのだろう。しかし、問題は議会の地平にはない。社会民主党がブリューニングへの支持をやめることができるのはただ、社会民主党が革命闘争の道に入ることを決断したときのみである。ブリューニングを支持するか、さもなくば、プロレタリアートの独裁のために闘うか。第3の道はない。社会民主党がブリューニングに反対する投票をすれば、それは、ただちに力関係を変化させるであろう――議会というチェス盤の上の力関係ではなく(そこにおいては、チェスの駒は机の下に隠れることもできる)、革命的階級闘争という舞台の上の力関係を、である。このような転換が生じれば、労働者階級の力は、倍加するどころか、10倍にも増大するだろう。なぜなら、道徳的要素は階級闘争における瑣末な要素ではないからだ。とりわけ、歴史的に重大な転換期においてはそうである。道義的高圧電流が、人民の身体を階層から階層へと走り抜けるだろう。プロレタリアートは、今日、この偉大な国民に別のより高度な方向性を指し示す使命を帯びているのは自分たちであり、自分たちだけであるということを、確信をもって自分に言い聞かせるだろう。ヒトラーの軍隊の崩壊と解体は、決定的闘争のはるか以前に始まるだろう。言うまでもなく、闘争を避けることは、もちろんのこと不可能である。しかし、勝利を得ようとする確固たる意志と大胆な攻勢をもってすれば、最も極端な革命的楽観主義者が現在思っているよりもずっと容易に勝利が得られるだろう。

 足りないのは、ちょっとしたことである。すなわち、社会民主主義が革命の道に転換することである。1914〜1932年の経験を考えるなら、指導者が自発的に転換すると期待するのは、あらゆる幻想の中で最も滑稽な幻想であろう。しかし、社会民主党労働者の大多数は別である。これらの労働者は転換することができるし、転換するだろう。そのために必要なのは彼らに援助を与えることだけである。しかし、この転換は、ただブルジョア国家に対立することになるだけでなく、彼ら自身の党の上層都にも対立することにもなるだろう。

 私の言葉に「つけ加えることは何もない」と言ったわがオーストリア・マルクス主義者[ヒルファーディング]は再び、われわれ自身の著作からの引用をわれわれに反対するために用いようとするだろう。たしかわれわれは、スターリニスト官僚の政策は誤謬の連続であると書いたのではなかったか? われわれは、ヒトラーの人民投票に共産党が参加したことを糾弾しなかったか? しかり。たしかにわれわれは書いたし、糾弾した。しかし、われわれがコミンテルンのスターリニスト的指導と闘っているのは、まさにそのような指導では社会民主主義を粉砕できないからであり、社会民主主義の影響下から大衆を引き離し、歴史の機関車を錆びたブレーキから解放することができないからである。スターリン官僚制は、その右往左往、度重なる誤り、官僚的最後通牒主義によって、社会民主党に何度となく立ち直りの機会を与え、その延命に力を貸しているのである。

 共産党は、誤った指導を受けているにもかかわらず、やはりプロレタリア的、反ブルジョア的政党である。社会民主党は、労働者によって構成されているにもかかわらず、まったくのブルジョア政党である。これは、「平時」には、ブルジョア的目的という観点から、きわめて巧妙にあやつられているが、社会的危機の状況下においては、まったく役立たなくなってしまう。社会民主党の指導者は、その意に反して、自らの党のブルジョア的性格を認めることを余儀なくされている。恐慌と失業に関してタルノフは、まるでプロテスタントの牧師が「豊かさの罪」について語るかのごとく、「資本主義文明の恥辱」という古臭い決まり文句を繰り返している。社会主義に関してタルノフは、牧師が死後の報いについて説教しているかのように語る。しかし、具体的な問題になると、タルノフはまったく違った言い方をする。

「もし9月14日にこの亡霊(失業)が投票箱のそばに現われなかったなら、この日は、ドイツの歴史において違った様相を帯びたことであろう」(ライプチヒ大会での報告)。

 資本主義が恐慌を通じてその真の顔を露わにしたために、社会民主党は選挙民と議席を失った、というわけである。恐慌は、「社会主義」政党を強化するどころか、逆に弱めてしまった――恐慌が、商業の取引高、銀行の現金残高、フーヴァーとフォード(8)の自信、モナコ国王の儲けなどを「弱めた」のと同じように。今では景気に関する最も楽観的な評価を知りたければ、ブルジョア新聞の中ではなく、社会民主党の新聞の中に求めるべきである。この党のブルジョア的性格を示すこれ以上有無を言わせぬ証拠があるだろうか? 資本主義の病が社会民主主義の病を意味するとすれば、資本主義の迫りくる死は社会民主主義の迫りくる死を意味しないわけにはいかない。労働者に依拠しながらブルジョアジーに仕えている党は、階級闘争が最高度に先鋭化する時期には、墓地から風が吹いてくるのを感じないわけにはいかない。

 

  訳注

(1)「鉄の戦線」……1931年12月に社会民主党指導者が、労働団体や自由主義グループやカトリックともに結成した「ファシズムに対する抵抗のための鉄の戦線」のこと。

(2)ベートマン=ホルヴェーク、テオバルト・フォン(1856-1921)……1909年以降ドイツの宰相。第1次世界大戦を推進。開戦に際し、「必要の前に法なし」と宣言した。1917年に失脚。

(3)ヒルファーディング、ルドルフ(1877-1941)……ドイツ社会民主党指導者、オーストリア・マルクス主義の代表的理論家。ヘルマン・ミュラー内閣の蔵相。1929年の世界恐慌の中で財政赤字が深刻になったとき、ヒルファーディングは蔵相として財政改革案を提案し、営業税の引き下げと消費税の増税という産業界の意向に沿った案を出したが、ドイツ工業全国連盟を中心とする産業界に満足を与えることができず、辞任を余儀なくされた。

(4)レンメレ、ヘルマン(1880-1937)……1926年以降、テールマンとともにドイツ共産党の指導者。1933年にロシアに亡命し、1937年に粛清。

(5)タールハイマー、アウグスト(1884-1948)……ローザ・ルクセンブルクの協力者で、ドイツ共産党の創始者の一人。ブランドラーとともに反対派を結成。

(6)タルノフ、フリッツ(1880-1951)……ドイツ社会民主党の労働組合運動指導者で、階級協調主義的な「経済民主主義論」の理論家。1931年にドイツ社会民主党を離脱して、社会主義労働者党に参加。

(7)ラスプーチン、グリゴリー(1872?-1916)……農民出身の修道僧。皇太子の不治の病を治癒すると称してアレクサンドラ皇帝に気に入られ、1914〜16年にかけて絶大の権力を振るう。1916年に反対派の貴族によって暗殺。

(8)フォード、ヘンリー(1863-1947)……アメリカの自動車王。1900年代初頭に近代的な組み立てライン方式を考案し、大量生産体制の先鞭をつける。1908年にT型フォード車を発売。1920年代半ばには、市場の半分を占めるまでに成長。

 

目次序文1章2章3章4章5章6章7章

8章9章10章11章12章13章14章15章結論


トロツキー研究所 トップページ 1930年代前期 重要著作
日本語文献の英語ページ
マルキスト・インターネット・アルヒーフの非英語ページ
マルキスト・インターネット・アルヒーフ