【解説】「ドイツのパズル」の解説で紹介したように、1932年6月に成立したパーペン政府は、9人の閣僚中7人が男爵で国会議員が一人もいないという驚くべき構成だった。この内閣で実権を握っていたのは国防相についていたシュライヒャー将軍であった。この内閣は、事実上、ファシスト独裁に向けたかけはしでしかなかった。パーペン政府はナチスのSAを合法化し、7月20日には社会民主党の牙城であったプロイセン政府をクーデター的に解散した。
各地で半軍事組織が大量の死傷者を出すような騒然とした状況の中で7月30日に実施された総選挙において、ナチス党は大躍進を遂げた。共産党は若干票を伸ばしたが、社会民主党は得票を減らした。各党の得票の変化は以下に示してある。
ドイツの主要政党 |
1930年9月の選挙 |
1932年7月の選挙 |
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得票数 |
得票率 |
議席 |
得票数 |
得票率 |
議席 |
社会民主党 |
857万7700 |
24.5% |
143 |
795万9700 |
21.6% |
133 |
共産党 |
459万2100 |
13.1% |
77 |
528万4800 |
14.6% |
89 |
カトリック中央党 |
412万7900 |
11.8% |
68 |
458万9300 |
12.5% |
75 |
国家人民党 |
245万8300 |
7.0% |
41 |
217万7400 |
5.9% |
37 |
国家社会主義党 |
640万9600 |
18.3% |
107 |
1374万5800 |
37.4% |
230 |
この選挙結果は、ナチス独裁の危険性をさらにいっそう決定づけるものであった。多くの共産党員、社会民主党員は動揺し、反ファシズム統一戦線への機運がしだいに下部から高まりはじめた。しかし、コミンテルンのスターリン指導部とドイツのテールマン指導部は、社会ファシズム論に固執して、社会民主党とのいかなる協定も共同行動も拒否しつづけた。社会民主党指導部もまた、パーペン政府に救いを求め、ファシズムに対する闘争を何ら真面目に組織しようとしなかった。
トロツキーのこの小冊子は、何度かに分けて書かれた小論文をまとめたものであり、1932年9月にドイツ語で発行された。1932年初頭に出された『次は何か』に続いて、ファシズム論、ボナパルティズム論、統一戦線論、社会ファシズム論に対する批判などを全面展開したものである。ここで展開されたドイツ情勢のその後の動きに対する予想は、驚くほどの正確さで確認された。たとえば、第1章でトロツキーは、パーペン政府の実権を握っていたシュライヒャー将軍が、パーペン政府の後で政権を握るだろうと予想して、次のように述べている。
「国家社会主義者がすぐにはパーペンとは同盟せず、それと同時に急いで攻撃にも出ないとすれば、政府のボナパルティスト的性格はますます先鋭なものになるだろう。すなわち、フォン・シュライヒャーは、自らの『100日天下』を持つだろう…、ただし、それに先立つナポレオン時代なしにである。
100日間――いや、おそらくこれはあまりも気前のよい計算である。国防軍は事態を決するものではない。シュライヒャーでは十分でない。ユンカーと大金融資本との議会外的独裁を確立することができるのは、長期におよぶ仮借ない内乱によってのみである」。
実際、シュライヒャー政府は1932年の12月に成立した。しかし、その政権は、まさにトロツキーの言うように「100日足らず」で崩壊し、1933年1月31日にヒトラー政権に道を譲った。このヒトラー政権は、国会放火事件を利用して半クーデター、半内乱を引き起こし、独裁権力を確立することになる。
『唯一の道』は、戦後、まず山西英一訳の『次は何か』に英訳から訳出され、その後、『社会ファシズム論批判』にフランス語訳から訳出されている。ここでは、第1章から第3章までと、第6章に関しては、ロシア語の原文が『反対派ブレティン』に掲載されているので、その原文から訳しなおし、それ以外の章や序文および後記に関しては、『ドイツにおける反ファシズム闘争』(パスファインダー社)所収の英訳から訳しなおしている。
Л.Троцкий, Бонапартизм и фашизм, Бюллетень Оппозиции, No.29/30, Сентябрь 1932.
Л.Троцкий, Буржуазия, мелкая буржуазия и пролетариат, Там же.
Л.Троцкий, Союз социал-демократии с фашизмом или борьба между ними?,Там же.
Л.Троцкий, Что говорят по поводу единого фронта в Праге?,Бюллетень Оппозиции, No.32,Декабрь 1932.
Trotsky, The Road to Socialism, Ibid.
Trotsky, The Only Road, Ibid.
Trotsky, Afterword, Ibid.
1、 ボナパルティズムとファシズム2、 ブルジョアジー、小ブルジョアジー、プロレタリアート3、 社会民主主義とファシズムとの同盟か、両者の闘争か?4、 テールマンの21の誤謬5、 スターリン=テールマン政策を彼ら自身の経験によって検証する6、 統一戦線に関してプラハではどのように語られているか?7、 経済情勢の光に照らした階級闘争8、 社会主義への道9、 唯一の道 |
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