【解説】この論文は、1936年2月に成立したスペイン人民戦線の選挙綱領にマルクス主義統一労働者党(POUM)が参加したことを「政治的裏切り」として厳しく批判した論文である。この選挙綱領は、革命的というにはほど遠い曖昧な内容のものであり、共産党から社会党、ブルジョア共和派政党までが参加したものだった。これは明らかに、ロシア2月革命後にメンシェヴィキが犯したものと同じ性質の政治的選択であった。トロツキーはこの論文を、「スペインにおいて、真の革命派は疑いもなく、マウリン、ニン、アンドゥラデ、およびその同僚たちの裏切りを容赦なく暴露し、第4インターナショナル・スペイン支部の基礎を築くだろう!」と力強く結んでいるが、現実はこの予想通りには進まなかった。ボリシェヴィキ=レーニン主義派はスペインで20〜30人の域を出ることはなく、しかもその多くは外国人だった。第4インターナショナル・スペイン支部はいかなる大衆的基盤も獲得することはできなかった。
本稿はすでにトロツキー研究所の『ニューズ・レター』第17号に掲載済みのものだが、今回、本サイトにアップするにあたって訳注を追加した。
Translated by the Trotsky Institute of Japan
スペインの組織「左派共産党」は、常に混乱した組織であったが、左右への無数の動揺を経たのち、カタロニアにあるマウリン(1)の組織「労農ブロック」と合同して、中間主義的綱領にもとづいた「マルクス主義(?)統一労働者」党(POUM)を結成した。われわれ自身の機関誌のいくつかは、この名称に欺かれて、この党がまるで第4インターナショナルに近いかのようなことを書いている。軽率な想像にもとづいて自分の力を過大評価することほど危険なことはない。そんなことをしても、現実は残酷な幻滅を与えるのを控えはしない!
新聞報道によると、スペインにおいて、すべての「左翼」政党――ブルジョア政党も労働者政党も――が、共通の綱領にもとづいた選挙ブロックを形成した。その綱領は、ことの本質からして、フランス人民戦線の綱領やその他同類のいかさま綱領と何ら違わないものである。そこには「憲法上の権利を保障する裁定委員会の改革」という文言に、「正統性の原則」(!)の厳格な支持、「政治体制ならびに経済体制からの影響からの司法の独立」(資本の影響からの資本主義的司法の独立!)といった文言が見られる。さらに同じような文句が続いている。この綱領は、選挙ブロックの共和派ブルジョアジーが土地の国有化を拒否したことを示しており、「その代わりに」、農民の便益に関するいつもの安っぽい約束(融資、農産物の高価格、等々)を振り撒いている。またこの綱領は、「産業の復興(!)」をうたい、中小工業と小商人の保護を唱えている。ついで、必要なかぎりでの「銀行に対する管理」という文言が続くが、このテキストによればブルジョア共和派が「労働者」管理を拒否しているので、この管理は結局のところ…銀行家自身による銀行管理――アサニャやその他同類の紳士たちのような議会代理人を仲介にしたそれ――に他ならない。最後に、スペインの外交政策は「国際連盟の原則と方法」に一致して策定される。これで終わりである。
このような恥べき文書に署名したのは、2つの左翼ブルジョア政党、社会党、労働総同盟(UGT)、共産党(もちろん!)、社会主義青年同盟(おやおや!)、「サンディカリスト党」(ペスターニャ(2))、そして最後に「マルクス主義統一労働者党(POUM)」(フアン・アンドゥラデ(3))である。
これらの政党の多くは革命高揚期の数年間にスペイン革命を指導し、政権につき、革命を裏切り蹂躙するためにあらゆることをしてきた。目新しいのは、マウリンとニン(4)の党が署名していることである。旧スペイン「左派共産党」は「左翼」ブルジョアジーの単なる尻尾に成り果てた。これ以上に破廉恥な堕落は想像しがたい。
数ヵ月前、マドリードでフアン・アンドゥラデの本『改良主義的官僚と労働運動』が出版された。この著作は、マルクスやエンゲルスやレーニンその他の著作家からの引用とともに、労働官僚の堕落を引き起こした原因を分析している。フアン・アンドゥラデの序文では私に2回言及し、いずれも大げさな賛辞がともなっている。その中で彼は私のことを「指導者にして教師」と呼んでいる。この事実は、事情が違っていれば私を喜ばすものだったろうが、現在ではなおさら断固として次のように公言することを余儀なくしている。私は誰に対してであれ政治的裏切りを教えたことはないと。アンドゥラデの行為は、ブルジョアジーと同盟するためにプロレタリアートを裏切ったものに他ならない。
これとの関連では、スペイン左派共産党が、その名前そのものが示すように、ことあるごとに清廉潔白な革命派であるようなポーズをとってきたことを指摘しておくべきだろう。とりわけ、彼らはフランスのボリシェヴィキ=レーニン主義者が社会党に入党したことをあらんかぎりの大声で非難した。とんでもない! 絶対に否! 一時的に大衆的政治組織に加入し、プロレタリア革命の旗を持って下部で改良主義的指導者と非妥協的な闘争をすること――これは日和見主義だ。だが、わざと不名誉な綱領にもとづいて改良主義政党の指導者と同盟を結び、大衆をだましてブルジョアジーのために粉飾してやること――これは勇敢な行為だ! これ以上にひどくマルクス主義を落としめ悪用することなどできるだろうか?
POUMは、「革命的社会主義政党」の栄えあるロンドン・ビューロー(旧IAG)(5)の一員である。このビューローの指導部は今や、独立労働党(ILP)の書記フェンナー・ブロックウェイ(6)の手中にある。すでに以前書いたように、マクストン(7)らの古くさく救いがたい平和主義的偏見にもかかわらず、ILPは国際連盟とその制裁措置の問題に関して名誉ある革命的立場をとった。われわれの誰もが、『ニュー・リーダー』紙[独立労働党の機関紙]に掲載された素晴らしい諸論文を喜びをもって読んだものだ。最近の議会選挙の間、独立労働党は労働党に対する選挙での支持すら与えることを拒否した。まさに労働党が国際連盟を支持したからである。この拒否それ自体は戦術的に誤りである。ILPが独自の候補者を出すことができない場合には常に、トーリー党(自由党)に反対して労働党の候補者を支持するべきである。しかし、これは2次的な問題である。いずれにせよ、労働党との「共通の綱領」など話にすらならなかった。国際主義者は選挙で一時的な支持を与えながらも、国際連盟とその「制裁」に対するイギリス社会愛国主義者のはいつくばりを暴露するだろう。
われわれはフェンナー・ブロックウェイに次のような質問をさせていただく。君が書記をしているこの「インターナショナル」の目的はいったい何か? この「インターナショナル」のイギリス支部は、国際連盟を支持する労働党候補者に選挙で支持を与えることすら拒否している。スペイン支部は、国際連盟への支持という共通の綱領にもとづいてブルジョア諸政党との同盟を結んでいる。これは、矛盾、混乱、破産の極みではないか? 今のところまだ戦争は起きていないのに、ロンドン「インターナショナル」の各支部はすでに正反対の方向に引っ張られつつある。戦争という忌まわしい事態が起きた場合には、彼らはどうなるだろうか?
だが、われわれはスペインの「マルクス主義統一労働者党」に話を戻そう。この名前は何と皮肉なことだろう。「マルクス主義的統一」…ブルジョアジーとの。スペインの左派共産党(アンドレウ・ニン、フアン・アンドゥラデ、等)は、スペインの「特殊な状況」に対するわれわれの無理解なるものを持ち出して、彼らの協調主義政策に対するわれわれの批判を一度ならず受け流してきた。これは、あらゆる日和見主義者が用いる常套手段である。しかし、真のプロレタリア革命家の第一の義務は、自分の国の特殊状況をマルクス主義の国際言語に翻訳することである。なぜなら、その言語は自分の国の限界を越えて理解しうるものだからだ※。
※原注
マウリンとニンは、自分たちの政策を正当化しようとして、新しい政党が独自の候補者を立てて選挙で争うことを著しく困難にするようなスペインの選挙制度を持ち出している(参照、中央委員会の決議、『ラ・バターリャ』第234号)。しかし、この議論は無価値である。選挙技術は、ブルジョアジーとの共同綱領という裏切りの政策を正当化しない。しかし、今日ではこのような理論的議論は必要ではない。スペイン労働者階級の指導者と左翼ブルジョアジーとのブロックには、いかなる「民族的なもの」も含まれていない。なぜなら、それはフランス、チェコスロバキア、ブラジル、中国の「人民戦線」と寸分たがわず同じものでだからある。POUMは、コミンテルン第7回大会がすべての支部に――その「民族的特殊性」をまったく無視して――押しつけているのと同じ政策を追随的に実行しているにすぎない。スペインにおける今回の政策にある真の違いは、ロンドン・インターナショナルの一支部もブルジョアジーとの連合政策に公式に従ったという点だけである。それだけになおいっそう悪い。われわれはと言えば、われわれは明確さを好む。スペインにおいて、真の革命派は疑いもなく、マウリン、ニン、アンドゥラデ、およびその同僚たちの裏切りを容赦なく暴露し、第4インターナショナル・スペイン支部の基礎を築くだろう!
1936年1月23日
『スペイン革命(1931-1939)』所収
『ニューズ・レター』第17号より
訳注
(1)マウリン、ホアキン(1897-1973)……スペインの労働運動活動家、CNT指導者、共産主義者。ブハーリンの右翼反対派を支持して1929年にスペイン共産党から追放。カタロニア労農ブロックを組織。1935年、アンドレウ・ニンと協力して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年に内戦が勃発したとき、POUMの国会議員であったマウリンはフランコの軍隊に逮捕され、投獄された。1947年、釈放されると、アメリカに亡命していっさいの政治活動をやめてしまった。
(2)ペスターニャ、アンヘル(1886-1938)……スペインのサンディカリスト、時計職人。CNTの右派で、コミンテルンに敵対。「30人宣言」によって改良主義の立場への移行を表明。1933年にサンディカリスト党を設立。
(3)アンドゥラデ、フアン(1897-1981)……スペインの共産主義者。社会主義青年同盟の指導者から共産党へ。1921年にスペイン共産党の中央委員。1930年に左翼反対派に。1935年に左翼反対派と分裂し、ニンとともにPOUM結成に参加し、同党の指導者に。
(4)ニン、アンドレウ(アンドレス)(1892-1937)……スペイン共産党の創始者、スペイン左翼反対派の指導者。最初はサンディカリストで、10月革命の衝撃で共産主義者に。左翼反対派の闘争に参加し、1927年に除名。スペインの左派共産党(国際左翼反対派のスペイン支部)を結成。その後トロツキーと対立し、1935年にホアキン・マウリンらを指導者とするカタロニア労農ブロックと合同して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年の人民戦線に参加。カタロニアの自治政府の司法大臣に。スターリニストの策謀で閣僚を解任され、1937年、スターリニストの武装部隊に誘拐され、拷問の挙句、虐殺される。
(5)ロンドン・ビューロー……正式名称は「革命的社会主義政党のロンドン・ビューロー」。旧国際労働協会(IAG)で、第2インターナショナルと第3インターナショナルに属さないが、第4インターナショナルの結成に反対している中間主義左翼政党の連合体。ドイツの社会主義労働者党(SAP)、イギリスの独立労働党(ILP)、スペインのPOUM、フランスの社会主義労働者農民党(PSOP)が参加。
(6)ブロックウェイ、フェンナー(1888/90-1988)……イギリスの社会主義政治家。イギリス独立労働党の指導者。ロンドン・ビューローの書記。
(7)マクストン、ジェームズ(1885-1946)……イギリスの社会主義者、1930年代における独立労働党の指導者。
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