国家社会主義とは何か

トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは、ナチスの国家社会主義の相貌について論じたきわめて有名な論文である。この中でトロツキーは、国家社会主義が小ブルジョアジーの絶望を組織し、それを労働者階級の組織を破壊する破城槌に変えたことを明らかにし、国家社会主義の生理学について次のように述べている。

社会が正常な発展をしている場合には文化的排泄物として国家の身体から取り除かれていたはずのすべてのものが、今や喉からあふれ出している。資本主義の文明は未消化の野蛮を吐き出している。これが国家社会主義の生理学である。

 またトロツキーは、この論文の最後で、ドイツ・ファシズムが国内勢力によってゆく手をさえぎられないかぎり、数年のうちにヨーロッパは戦争に突入することになるだろうという無気味な予言を与えている。実際、第2次世界大戦は、この論文が書かれた5年数ヵ月後に起こっている。

 この論文が最初に発表されたのは、ドイツの雑誌『ノイエ・ヴェルトビューネ』の7月13日号であり、表題は「国家社会主義の肖像」である。底本としては、『ドイツにおける反ファシズム闘争』に所収の英語訳と、インターネットにアップされているドイツ語訳の両方を用いた(英語訳はあまり正確ではない)。

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 無邪気な人々は、王の威厳は王それ自身の中に、その黒斑の毛皮のマントや王冠やその肉体の中に宿っていると考えている。実際には、王の威厳は、人と人との相互関係である。王が王であるのは、ただ数百万の人間の利害や偏見がこの人物を通して屈折反映しているからにすぎない。社会の発展という洪水がこのような相互関係を押し流してしまうときには、王は、口を半開きにしているくたびれた人物にしか見えない。このことについては、かつてアルフォンソ13世(1)と呼ばれていた人物が、ごく最近の生々しい印象にもとづいて語ることができるだろう。

 人民の意志によって選ばれた指導者は、神の意志によって選ばれた指導者とは次の点で異なる。すなわち、前者は自力で道を切り開くか、あるいは少なくとも人民が自分を発見するように事態を運ばなければならない。だが、指導者は常に、人と人との関係であり、集団の需要を満たすために個人として供給されるものなのである。ヒトラーの成功の秘密を彼自身の中に求めようとすればするほど、彼の個性をめぐる議論はそれだけ激しいものになる。他方、無名の歴史的諸勢力のうちでヒトラーと同じ程度に脚光を浴びるようになった別の政治人物を見つけ出すのは困難であろう。憤激に駆られたすべての小ブルジョアがヒトラーになりえたわけではないが、憤激せるすべての小ブルジョアの一人一人にヒトラーの分身が宿っているのである。

 第1次世界大戦前のドイツ資本主義の急速な成長は、中産階級の単なる崩壊を意味するものではけっしてなかった。この成長は、小ブルジョアジーの一部の層を没落させたが、別の小ブルジョアジーを新たに創出した。すなわち、工場の周辺に職人や小商人を、工場の内部には技術者や事務職員を作り出したのである。しかし中産階級は存続し数的に増加しさえしながらも――新旧の小ブルジョアジーはドイツ国民の半数近くを占めている――、独立の最後の面影すら失ってしまった。この層は、大工業と銀行制度の周辺で生活し、独占やカルテルの食卓からこぼれ落ちてくるものに寄食し、その理論家や職業的政治家の精神的施し物に寄生している。

 1918年の敗戦は、ドイツ帝国主義の前途に障壁を築くこととなった。外的な発展力学は、内的な発展力学に転化した。戦争は革命に転化した。ホーエンツォレルン家が戦争をその悲劇的結末までやり遂げるのを助けた社会民主党は、プロレタリアートが革命をその結末までもっていくのを許さなかった。ワイマール民主主義は、自らの存在に対する果てしのない言い訳を探しつづけて14年問を費やした。共産党は、労働者に新たな革命を呼びかけたが、それを指導する能力がないことを証明した。ドイツ・プロレタリアートは、戦争、革命、議会主義、エセ・ボリシェヴィズムの盛衰を経験してきた。だがブルジョアジーの旧政党が完全に使い果たされてしまったときに、労働者階級の動的力もまた掘り崩されていることがわかった。

 戦後の混乱は、労働者に対する場合に劣らず残酷に職人や行商人や公務員を打ちのめした。農業恐慌は農民を破産に追いやった。中間層の没落は、それらの層がプロレタリアートの一員に組み込まれることを意味しなかった。なぜなら、プロレタリアート自身が巨大な慢性的失業者群を吐き出しているからである。ネクタイとレーヨンの靴下では隠しようもない小ブルジョアジーの窮乏化は、すべての公式の信仰箇条を、何よりも民主的議会主義という教義を掘りくずした。

 諸政党の乱立、冷めた選挙熱、内閣の果てしない交代は、不毛の政治的連合の万華鏡をつくり出すことによって、社会的危機をいっそう悪化させた。戦争、敗北、賠償、インフレ、ルール占領、恐慌、窮乏、絶望によって激昂状態に陥った小ブルジョアジーは、自分たちをだましたすべての旧政党に反対して立ち上がった。破産状態からまったく抜け出せない小所有者、職も顧客もない彼らの大卒の息子たち、持参金も結婚相手もない娘たちの激しい不満は、秩序と鉄腕を要求した。

 国家社会主義の旗を掲げたのは、旧軍隊における中下級の士官出身の成り上がり者たちであった。軍隊での功績による勲章で軍服を飾ったこれらの士官や下士官たちは、祖国のために尽くした自分たちの英雄主義や艱難辛苦が無に帰してしまっただけでなく、それに対する感謝を要求するいかな権利も与えられなかったことが信じられなかった。ここから、革命とプロレタリアートに対する彼らの憎悪が生じた。同時に彼らは、銀行家、実業家、大臣などによって、会計係、技師、郵便局員、学校教員などのささやかな地位に押し戻されることにも耐えられなかった。ここから彼らの「社会主義」なるものが生じた。イーゼルやヴェルダン(2)の下で、彼らは、自分や他人の命を危険にさらすことを学び、命令の言葉で話すことを学んだ。この命令の言葉は、前線の背後にいる小ブルジョアジーを強力に畏怖させた。こうして、これらの連中は指導者になったのである。

 政治的道程を歩みはじめたばかりの頃のヒトラーは、ただその激しい気性、他の者よりもはるかに高い声、自信たっぷりのあの知的几庸さだけで目立っていた。ヒトラーはいかなる出来合いの綱領も運動に持ち込まなかった。屈辱を味わった兵士の復讐への渇望を綱領とみなすのでないならば、だが。ヒトラーは、ベルサイユ条約の押しつけた諸条件、生活費の高騰、軍功のある下士官に対する尊敬の欠如、モーゼの教えを信奉する銀行家やジャーナリストの陰謀、こうしたものに対する不平や不満から出発した。この国には、火傷の痕や生々しい打撲傷をつけた破産者や溺れた者があふれていた。これらの連中はみな、拳骨でテーブルを叩きたがっていた。ヒトラーは誰よりもそのことを上手にやってのけることができた。確かに、彼はその傷を治す方法を知っていたわけではなかった。けれども彼の激烈な演説は、ときには命令のように、ときには苛酷な運命に対する祈りのように鳴り響いた。破産を運命づけられた諸階級は、死の床にいる病人のように、倦むことなく、さまざまな不平を述べたてたり、慰めに耳を傾けたりするものである。ヒトラーの演説はこうした調子にぴったりはまるようにできていた。感傷的無定形さ、秩序だった思考の欠如、派手派手しい博識を伴った無知、これらすべてのマイナスはプラスに転じた。そのおかげでヒトラーは、国家社会主義という物乞い用の鉢にあらゆる種類の不満を詰め込むことができたし、自分が突き動かされる方向へと大衆を導くことができた。この煽動者[ヒトラー]は、最初のころの即興演説のうち拍手喝采を浴びたものだけを自分の記憶にとどめた。この男の政治思想は、演説の音響効果の産物でしかない。そうやってスローガンの選択がなされていった。綱領もまた、こうしたやり方で確立されていった。この「指導者」は、このような方法で、このような原材料から形成されていったのである。

 ムッソリーニは最初から、社会の物質的要素に対してヒトラーよりも自覚的であった。ヒトラーは、マキャベリの政治的代数学よりもメッテルニヒ(3)の警察的神秘主義にずっと近かった。ムッソリーニは、精神的にはより不遜で、よりシニカルであった。このローマの無神論者が、警察や裁判所を利用するのと同じように宗教を利用しているのに対し、ベルリンの彼の同僚[ヒトラー]はローマ教会の無謬性を本当に信じている。イタリアの現在の独裁者がまだマルクスを「われわれ共通の永遠の教師」とみなしていた頃[ムッソリーニは元イタリア社会党員]、現代社会には何よりもブルジョアジーとプロレタリアートという2つの階級の対立が見い出されるという理論をなかなか巧みに擁護していた。実際、ムッソリーニは1914年に次のように書いていた。この両階級のあいだには、一見「両者を結びつける人間集団の網の目」を形成しているように見える多数の中間層が存在するが、「危機の時代にあっては、中間的諸階級は、その利益と思想にもとづいて、基本的階級のどちらか一方に引きつけられる」。非常に重要な一般化だ! 科学的な医学が、病人を治療するだけでなく、健康な人間を最短距離で死後の世界に送る可能性をも提供するのと同じく、階級関係の科学的分析の理論は、その創造者によってプロレタリアートの動員を目的として提示されたにもかかわらず、ムッソリーニが反対陣営に飛び移ってしまった後では、ムッソリーニがプロレタリアートに対して中産階級をけしかけることを可能にしたのである。ヒトラーは、このファシズムの方法論をドイツ神秘主義の言葉に翻訳することによって、同じ芸当をやってのけた。

 マルクス主義の邪悪な文書を焼き払う炎は、国家社会主義の階級的本質を赤々と照らし出している。ナチスが、国家権力としてでなく、党として活動していたときは、労働者階級に近づく道を発見することはまったくできなかった。他方、大ブルジョアジーは、資金面でヒトラーに援助していた人々でさえ、この党を自身たちの党とはみなしていなかった。民族的「復興(ルネサンス)」は、国民の最も遅れた部分であり歴史の重い底荷である中産階級に完全にかかっていた。ここで必要な政治技術は、プロレタリアートヘの共通の敵意を通じて小ブルジョアジーを一つに融合することであった。事態を改善するために何がなされなければならないか? まず何よりも、自分たちより下にいる者を絞め殺すことである。大資本の前では無力な小ブルジョアジーは、労働者を粉砕することによって自分たちの社会的尊厳を将来において取り戻したいと思っている。

 ナチスは、盗人猛々しくも、自分たちの政権奪取を革命と称している。実際は、イタリアでもドイツでも、ファシズムは社会システムに手をつけないで、そのままにしている。ヒトラーによる政権奪取は、それだけを取り上げれば反革命の名にも値しない。しかしながら、それを孤立した事態と見ることはできない。それは、1918年にドイツで開始された激動の一サイクルの帰結なのである。労農評議会に権力をもたらした11月革命は、その根本的傾向においてプロレタリア革命であった。だが、プロレタリアートの指導的地位にあった政党は、この権力をブルジョアジーに返上してしまった。この意味において、社会民主党は、革命がその事業を完了する前に、反革命の時代を開いたのである。だが、ブルジョアジーが、社会民主党に、したがってまた労働者に依拠しているあいだは、体制は妥協の要素を保持していた。それにもかかわらず、ドイツ資本主義をとりまく国内外の情勢は、もはやいかなる譲歩の余地も残さなくなっていった。社会民主党がプロレタリア革命からブルジョアジーを救済したように、今度はファシズムが社会民主党からブルジョアジーを解放したのである。ヒトラーのクーデターは、この反革命的変転の鎖における最後の環にすぎない。

 小ブルジョアジーは、社会発展の概念に敵意を抱いている。というのは、発展は常に自分たちに不利に働くからである。進歩は、これらの人々に返済不可能な負債以外の何ものももたらしてこなかった。国家社会主義は、マルクス主義だけでなく、ダーウィン主義をも拒否する。ナチスが唯物論を呪うのは、自然に対する技術の勝利が小資本に対する大資本の勝利を意味してきたからである。この運動の指導者たちが「理知主義」を清算しようとしているのは、彼ら自身が2流、3流の知識人でしかないからであり、何よりも彼らの歴史的地位のせいで一つの考えをその結論にまで押し進めることができないからである。小ブルジョアジーが必要としているのは、物質や歴史を超越し、競争、インフレ、恐慌、競売台から自分たちを守ってくれるより崇高な権威である。進化や「経済的思考」や合理主義に対して――20世紀、19世紀、18世紀に対して――、英雄的なものの源泉としての国家的観念論(national idealism)が対置される。ヒトラーの国家[民族]は、小ブルジョアジー自身の神話化された影であり、千年王国の情緒的妄想なのである。

 国家をして歴史を超越させるために、ヒトラーはそれに人種という支えを与える。歴史は人種の自己発展とみなされる。人種の諸特徴は、変化する社会的諸条件とは無関係に説明される。下等な「経済的思考」を拒否する国家社会主義は、それよりもさらに下方に下りていく。それは、経済的唯物論に反対して、動物学的唯物論に訴える。

 人種理論は、生活のすべての秘密を解く万能の鍵を求める思い上がった独学の人物のために特別に創造されたものであるかのように見えるが、実際には、思想史の光に照らせばまったくその惨めな姿をさらけ出す。純血のゲルマン民族という信仰を作り出すために、ヒトラーは、外交官で素人文筆家であるフランス人のゴビノー伯爵(4)の人種理論を受け売りしなければならなかった。政治の方法論については、ヒトラーはイタリアに出来合いのものを見出した。この国ではムッソリーニが、マルクス主義の階級闘争理論から多くの部分を借用していた。そしてマルクス主義それ自身は、ドイツ哲学、フランス歴史学、イギリス経済学の総合的成果である。思想をさかのぼってその系統まで調べてみると、たとえその思想が最も反動的で、混乱したものであっても、人種的痕跡などまるで見出せない。

 もちろん、国家社会主義の哲学が途方もなく貧困なものであるからといって、ヒトラーの勝利が十分明白なものになるやいなやアカデミズムの諸科学が帆を一杯に広げてヒトラーの航路に入って行くことが妨げられたわけではなかった。教授連中の大多数にとって、ワイマール体制の時代は暴動と不安の時代であった。歴史家、経済学者、法律学者、哲学者は競合しあう真理の基準のうちどれが正しいのか、つまり、どの陣営が最後に状況の支配者になるのかの推量に熱中していた。ファシスト独裁は、ファウストの懐疑とハムレットの動揺を大学の教壇から取り除く。知識は、相対主義的な議会体制の黄昏から抜け出して、再び絶対の王国に入った。アインシュタイン(5)は、ドイツの国境外に居を構えることを余儀なくされた。

 政治の分野では、人種主義は、骨相学と結託して、傲慢で大げさな排外主義の一変種となる。没落した貴族が自分の血統のよさに慰めを見出すように、窮乏化した小ブルジョアジーもまた、自分が人種的に特別に優れているというおとぎ話に陶酔する。国家社会主義の指導者たちが生粋のドイツ人ではなく、国外からの移住者であるという事実は、注目に値する。ヒトラーはオーストリア出身、ローゼンベルク(6)は旧ツァーリ帝国下のバルト海沿岸地方出身、党指導部の中で現在ヒトラーの代理をつとめているヘス(7)は植民地諸国出身である。ドイツの最も野蛮な諸階級の琴線に触れることとなった思想をその「指導者たち」に吹き込むためには、文明の辺境における野蛮な民族的殴り合いの学校が必要だったのである。

 個人と階級――自由主義とマルクス主義――は悪である。国家は善である。しかし、私的所有の門口までくると、この哲学は引っ繰り返える。救いはただ個人の私的所有にのみある。国有という思想はボリシェヴィズムの落とし子である。小ブルジョアジーは、国家を神格化しながらも、国家に何も与えたがらない。反対に、小ブルジョアジーは、国家が自分たちに財産を与え、労働者や裁判所命令送達吏から自分たちを守ってくれることを期待する。だが残念ながら第三帝国は、小ブルジョアジーに対して新たな課税以外何も与えないであろう。

 その結びつきの点で国際的で、その方法の点で非個人的である現代経済の領域では、人種の原理は、中世の墓場から掘り出されたもののように見える。そこでナチスは、前もって譲歩をしておく。すなわち、人種の純潔性は、精神の王国では身分証明書によって証明されなければならないが、経済の分野では主として効率性によって確認されなければならない、と。現代の条件のもとでは、このことは競争力を意味する。人種主義は、裏口を通って経済的自由主義へと、ただし政治的自由なしのそれへと舞い戻るのである。

 経済における国家主義は、実際には、反ユダヤ主義の、残虐であるが無力な爆発に帰結する。ナチスは、現代の経済システムから高利貸資本や銀行資本を悪霊としてとり出す。そして、周知のように、ユダヤ人ブルジョアジーが重要な位置を占めているのがまさにこの分野なのである。小ブルジョアジーは、資本全体の前には頭をたれながらも、長いマントを羽織り、それでいてポケットにはたいてい一セントもないボーランド系ユダヤ人を金もうけの悪霊に見立て、それに対して宣戦を布告する。ユダヤ人に対するポグロムが、人種的優越性の最高のあかしとなる。

 国家社会主義が権力に就いたときに掲げていた綱領は、何ともはや、へんぴな田舎にあるユダヤ人雑貨店を彷彿とさせるものであった。そこに見出せるものは、値段は安いが、品質はそれ以上にひどい代物ばかりである。自由競争の「幸福な」時代の思い出と、安定した階級社会の漠然とした想起。植民地帝国再生への期待と閉鎖経済の夢想。ローマ法からゲルマン法への回帰に関する空文句。アメリカによる債務支払い延期措置に対する願望。別荘や自動車に象徴される不平等への羨望交じりの憎悪と、鳥打帽に菜っ葉服の労働者に象徴される平等への動物的恐れ。狂暴な民族主義と、世界の債権者に対する恐怖。……政治思想におけるこれらすべての国際的ガラクタの山が、新しいゲルマン的メシアニズムの精神的宝庫を満たすにいたったのである。

 ファシズムは、社会の底に沈殿しているもろもろのものを政治に利用した。今日、農民の木造家屋だけでなく、都会の超高層ビルにも、20世紀と並んで10世紀や13世紀が生きている。1億もの人々が電気を使用する一方で、今なお神のお告げや悪魔祓いの魔法の力を信じている。ローマ法王は、水が奇蹟的にぶどう酒に変わったとラジオを通じて放送している。映画スターたちが霊媒師のもとに通う。人類の天才が創造した驚くべき機械を操縦する飛行士たちは、セーターにお守りをつけている。暗黒、無知、野蛮の何という無尽蔵の蓄えがあることだろう! 絶望がこれらを立ち上がらせ、ファシズムがそれらに旗を提供した。社会が正常な発展をしている場合には文化的排泄物として国家の身体から取り除かれていたはずのすべてのものが、今や喉からあふれ出している。資本主義の文明は未消化の野蛮を吐き出している。これが国家社会主義の生理学である。

 ドイツ・ファシズムは、イタリア・ファシズムと同様、小ブルジョアジーの背に乗って権力にのし上がった。ファシズムは、小ブルジョアジーを、労働者階級の諸組織や民主主義の諸機関を叩き壊す破城槌に変えた。だが権力の座についたファシズムは、小ブルジョアジーの支配とは縁もゆかりもない。反対にそれは、独占資本の最も無慈悲な独裁なのである。ムッソリーニは正しい。中産階級は、独立した政策を推進することができない。大恐慌の時期に、彼らは、2つの基本的階級のうちの一方の階級の政策を不条理にまで持っていくために呼び出された。ファシズムは、彼らを資本に奉仕させることに成功した。トラストの国有化や不労所得の根絶といったスローガンは、権力獲得とともにただちに投げ捨てられた。それどころか、小ブルジョアジーの特性に立脚したドイツ「領士」の連邦主義は、現代資本主義にとって有用な警察的中央集権体制に場所を譲った。国家社会主義の国内外政策が成功を収めるたびごとに、それは必然的に大資本が小資本をさらに押しつぶす結果を招くだろう。

 小ブルジョア的幻想の綱領が放棄されたわけではない。それは、単に現実から切り離され、儀式的行為の中に解消されているにすぎない。全階級の統一なるものは、半分象徴的な強制労働の実施や、労働者の祝日としてのメーデーを「国民の利益」のために取り上げたりすることに帰着している。ラテン文字に対してゴシック文字を防衛することは、世界市場のくびきに対する象徴的な復讐なのである。ユダヤ人を含む国際銀行家への依存は、ほんのかけらも緩和されていない。それゆえタルムード[ユダヤ教の律法とその解説]の慣習法に一致して動物の屠殺は禁じられている。地獄への道が善意によって敷きつめられているとすれば、第三帝国の道は象徴によって敷きつめられている。

 小ブルジョア的幻想の綱領を惨めな官僚的仮面舞踏会に変えることによって、国家社会主義は、帝国主義の最悪の形態として、国家の上に舞い上がる。ヒトラー政府が内的矛盾の犠牲となって今日か明日にでも崩壊するなどというのは、まったく虚しい希望である。ナチスにとって綱領は権力を握るために必要であったが、ヒトラーはけっしてこの網領を実現するために権力を行使するのではない。彼になすべき課題を与えているのは独占資本である。国民のあらゆる力と手段を帝国主義の利益のために強制的に集中することこそファシスト独裁の真の歴史的使命であり、それは戦争の準備を意味する。そして、この課題は、それはそれで、国内では何の抵抗も受けることなく、権力のよりいっそうの機械的集中をもたらしている。ファシズムは改良することも、引退させることもできない。それはただ打倒しうるのみである。この体制の政治的軌道は、戦争か革命かの二者択一へと突き進んでいる。

 1933年6月10日、プリンキポ

  補遺

 ナチス独裁体制の1周年が近づきつつある。この政権のすべての傾向が、時間とともに、明確ではっきりした性格を表してきている。小ブルジョア大衆によって民族革命の必要な補完物として描かれていた「社会主義」革命は、正式に弾劾され一掃された。諸階級の友愛なるものは、政府が特別に定めた日に、持てる者が持たざる者たちのためにオードブルとデザートを遠慮するという事実のうちにその最高の表現を見出した。反失業闘争は、半飢餓的な失業手当を半分に切り縮めることに収斂した。残りの半分は統計操作によってごまかされる。自給自足的「計画」経済は、経済的解体の新たな段階にすぎない。

 ナチスの警察的体制が国民経済の分野で無力であればあるほど、ナチスはよりいっそうその努力を対外政策の分野へと移さざるをえない。これは、徹頭徹尾侵略的なドイツ資本主義の内的力学に完全に照応している。ナチス指導者たちが平和主義的宣言に突然転換したことにだまされるのは、まったくのお人好しだけであろう。国内の悲惨な事態の責任を国外の敵に転嫁し、独裁体制の圧力で民族主義の爆発力を蓄積すること以外に、ヒトラーの自由になる方法が何か残されているだろうか? ナチスの権力掌握以前でさえすでにその概要が公然と示されていた網領のこの部分は、今や全世界の目の前で鉄の論理をもって実現されつつある。ヨーロッパの新たな破局の日時はドイツの武装に必要とされる時間によって決定される。それは、数ヶ月の問題ではないが、数十年の問題でもない。ヒトラーがドイツの国内勢力によって行く手をさえぎられないかぎり、ヨーロッパが再び戦争に突入するのに数年しかかからないだろう。

1933年11月2日、プリンキポ

『ドイツにおける反ファシズム闘争』より

  訳注

(1)アルフォンソ13世(1886-1941)……スペイン国王。在位1886-1931。1931年の革命で王位を追われ、イタリアへ亡命。

(2)イーゼルとヴェルダン……フランスにおけるイーゼル河とヴェルダン市はともに第1次世界大戦の激戦地で、100万人以上の兵士が死んだとされる。

(3)メッテルニヒ、クレメンス(1773-1859)……オーストリアの反動政治家。1821年から1848年までオーストリアの宰相として、反動支配を確立。プロイセンとともにドイツ連邦を形成し、さらにヨーロッパの反動諸大国と神聖同盟を結成。1848年の革命で失脚し、イギリスに亡命。

(4)ゴビノー、ジョゼフ・アルチュール(1816-1882)……フランスの作家、外交官。『人種不平等論』(1853-54)の中で、他人種に対するアーリア人の優越性を説き、ナチズムに理論的根拠を与えた。

(5)アインシュタイン、アルベルト(1879-1955)……ユダヤ系ドイツ人の物理学者。相対性理論の創始者で、1921年にノーベル物理学賞を受賞。ナチスの迫害を逃れて、アメリカに亡命。

(6)ローゼンベルク、アルフレート(1893-1946)……ドイツのファシスト政治家・理論家。ナチスの機関誌を編集し、ゲルマン民族の優越とユダヤ人弾圧を説く。第2次大戦後、戦犯として処刑。

(7)ヘス、ルドルフ(1894-1987)……ドイツのファシスト、ナチス党の幹部、ヒトラーの腹心、「総統の代理」。党内ではゲーリングに告ぐ3番目の地位を保持していた。戦後のニューレンベルク裁判で終身刑。


  

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