反ファシズム大会への声明 

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】本稿は、1933年6月4〜6日にスターリニストおよび著名人が中心になってパリで開かれた反ファシズム大会に向けた国際左翼反対派の声明である。この声明を起草したのはトロツキーで、この声明の中でこの間のドイツ・ファシズムの勝利の原因とプロレタリアートのなすべき課題について簡潔に語っている。結局、この大会にはスターリニストの執拗な妨害と暴力によってトロツキストおよびそのシンパは一人も参加できなかった。

 本稿は最初、『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)に訳出されたが、今回アップするにあたって、『反対派ブレティン』所収のロシア語原文にもとづいて全面的に点検・修正を施している。

Л.Троцкий, Заявление делегатов, принадлежащих к Интернациональной Левой Оппозиции (большевики-ленинцыи), к конгрессу борьбы против фашизма, Бюллетень Оппозиции, No.34, Май 1933.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 ドイツにおけるヒトラーの勝利は、資本主義が民主主義の条件下では生きることができない、あるいは、自らを民主主義的ぼろきれで覆い隠すことすらもできないことを示している。プロレタリアートの独裁か、それとも金融資本の剥き出しの独裁か! 労働者ソヴィエトか、それとも絶望した小ブルジョア群衆の武装集団か!

 ファシズムは、資本主義体制の危機を解決するための綱領を何ら持っていないし、また持つこともできない。だが、このことは、ファシズムが自動的に自らの破産の犠牲になることを意味しはしない。それどころか、ファシズムは国を破壊し、文明を堕落させ、文化の中にますます多くの野蛮を持ち込むことによって、資本主義的搾取を維持するだろう。ファシズムの勝利は、プロレタリアートが社会の運命を自己の手に握ることができなかったことの結果である。プロレタリアートが立ち上がらないかぎり、ファシズムは生き続ける。

 1918年のプロレタリア革命をブルジョアジーに譲り渡し、そうすることによって、没落しつつある資本主義をまたしても救った社会民主党、まさにこの党こそが、そしてこの党だけが、それに続く段階で、ブルジョアジーがファシスト・ギャング団に依拠することを可能にしたのである。社会民主党は「より小さな悪」を求めるという政策にもとづいて、一段また一段と屈服しつづけ、最後には、反動的陸軍元師ヒンデンブルクに投票するまでに至った。そしてこのヒンデンブルクが、今度はヒトラーを権力へと招き入れたのである。社会民主党は、資本主義が腐朽しつつあるのに、民主主義の幻想でプロレタリアートの士気を阻喪させることによって、そのあらゆる抵抗力を奪ってしまった。

 この根本的な歴史的責任を共産主義に転嫁しようとするのは、愚劣で不誠実な試みである。もし共産主義が存在しなければ、プロレタリアートの左翼は、とっくにアナーキズムやサンディカリズムやテロリズムの道を取るか、あるいはあっさりとファシズムの戦闘部隊を膨張させていただろう。オーストリアの例は、このことをあまりにも説得的に示している。オーストリアでは、共産主義はきわめて弱体で、社会民主党は自らが作った民主主義国家の枠内で、労働者階級の隊列の中において独占的な支配力を保持しているが、この党の政策は、一歩一歩ファシズムの勝利を準備してい。

 ドイツ改良主義の上層部は現在、その合法的地位の残滓やその地位から生じる利益を保持するために、ヒトラーの体制に順応しようとしている。無駄な試みだ! ファシズムの後から、ポストや利得を要求しそれを独占しようとする飢えてがつがつしたイナゴの大群が押し寄せてくるからである。改良主義官僚の階級脱落はプロレタリア組織の壊滅の副産物であり、1914年8月4日に始まった社会民主党による裏切りの絶えざる連鎖に対する歴史の報復である。

 他国の社会民主党指導者たちは、今やドイツの戦友たちを自分たちから切り離そうとしている。けれども、改良主義的インターナショナルのこの「左翼的」批判を信じ込むのは許しがたい軽率さである。そのすべての支部は、同一の道のそれぞれ異なった段階にいるにすぎない。帝国主義戦争の時期と同様、ブルジョア民主主義の没落過程においても、第2インターナショナルの各国支部は喜んで、他の民族政党を犠牲にして自らの評判を立て直そうとする。だが、これらの諸党は基本的に同じことをしているのである。レオン・ブルム(1)は、軍国主義的・帝国主義的フランスの政府を支持している。われわれの知るかぎり、第2インターナショナルの議長ヴァンデルヴェルデ(2)は、ドイツ・ファシズムを現在の規模にまで成長させたベルサイユ講和への署名を撤回していない。

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 共産主義インターナショナルの最初の4つの大会のすべての基本的・原則的テーゼ――帝国主義的資本主義の腐朽的性格、ブルジョア民主主義の瓦解の不可避性、改良主義の行き詰まり、プロレタリア独裁をめざす革命的闘争の必要性――の正しさは、ドイツの事態の中で揺るぎない形で確認された。だが、その正しさは、逆方向から、すなわち勝利によってではなく、破局によって証明されたのである。コミンテルンがほぼ15年間にわたって存在してきたにもかかわらず、社会民主党が「より小さな悪」という政策をその最後の結論にまで、つまり、現代史において考えうる最悪のものに行き着くまで推し進めることができたとすれば、その原因は、共産主義のエピゴーネンにその歴史的使命を果たす能力がなかったという事実のうちに求めなければならない。

 1923年までは、コミンテルンは、すべての国でほとんど停止することなく前進し、社会民主党を弱体化させたり、取って代わったりしていた。だが、この10年間というもの、コミンテルンは何ら新しい量的成果をなしとげなかったばかりでなく、深刻な質的堕落に陥った。ドイツにおける公式共産党の崩壊は、その「総路線」の破産の頂点をなすものである。すなわち、1923年のドイツにおける最初の降伏に始まって、ブルガリアとエストニアでの冒険、一国社会主義の理論と実践、中国における国民党への屈服、イギリス労働組合官僚への同じくらい恥知らずな屈服、広東での冒険、「第三期論」の発作、大衆的な労働組合からの決別、「社会ファシズム」の理論と実践、「民族解放」と「人民革命」の政策、統一戦線の拒否、左翼反対派の追放と弾圧、そして最後に、プロレタリア前衛の独立性を完全に圧殺し、民主主義的中央集権制を無原則的で愚鈍な機構の全能に置きかえたこと。

 官僚主義の本質は、大衆への不信、ならびに大衆の自主的活動を上層での策謀ないし剥き出しの命令に置きかえようとする性向にある。他の国々と同じくドイツでも、スターリニスト官僚は、たえず労働者階級の前に最後通牒を突きつけた。官僚は、上から恣意的にストライキや「街頭制圧」や「赤色デー」、「赤色月間」の日程を決めてしまった。彼らは、そのあらゆるスローガンやあらゆるジグザグを無批判に受け入れるよう労働者階級に命令した。彼らは、統一戦線のさいに自分たちの指導性を前もって文句なしに承認するよう大衆に要求した。官僚たちはこの途方もない最後通牒にもとづいて、骨の髄まで誤った無力な反ファシズム闘争を展開した。

 プロレタリアートの闘争において誤りは不可避である。党は自らの誤りを通して学び、カードルを選抜し、指導者を教育する。だが、現在のコミンテルンの中に見出せるのは、あれこれの誤りではなく、誤りのシステムである。これが正しい政策を不可能にしているのである。このシステムの社会的担い手となっているのは、膨大な物質的・技術的手段を備え、大衆からすっかり自立している広範な官僚層である。この層は、階級敵の眼前でプロレタリアートの前衛層を解体させ弱体化させるという犠牲を払ってでもあくまでも自らを防衛するために必死に闘っている。こうしたものが、世界の労働者運動におけるスターリニズムの本質である。

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 左翼反対派はこの数年間、全世界の眼前で、ファシストの波の高まりのすべての段階を追跡し、真の革命的現実主義に立った政策を提起してきた。1929年の秋、つまり今から3年半前、世界恐慌がはじまったばかりのであったころ、すでに左翼反対派は次のように書いていた。

 「自由主義と君主制との衝突から一度ならず革命的情勢が生じ、それがこの対立し合う両者を越えて発展していったのと同様に、社会民主党とファシズム――ブルジョアジーの相互に対立し合う2つの代理人――との衝突から革命的情勢が生じうるし、それはその後この両者を超えて発展していくことだろう。ブルジョア革命の時代に自由主義と君主制とのあいだの衝突を理解したりその意義を評価したりすることができず、その衝突を革命的に利用する代わりに、相闘う両者を同一視するようなプロレタリア革命家がいるとすれば、そのような革命家は何の役にも立たない。ファシズムと社会民主主義との衝突を、いかなる内容も欠いた『社会ファシズム』というまったく不毛な定式でもって覆い隠すような共産主義者がいるとすれば、そんな共産主義者は何の役にも立たない」(3)

 このような全般的な戦略的展望にもとづいて統一戦線政策が立てられるべきであった。この3年間というもの、左翼反対派は、ドイツにおける政治危機の発展を一歩一歩追跡してきた。反対派は、その定期刊行物や一連のパンフレットの中で闘争のあらゆる段階を分析し、「下からのみの統一戦線」という定式の最後通牒的性格を暴露し、可能なところでは防衛共同委員会のイニシアチブを取り、この方向に向けた労働者のイニシアチブを支援し、これを全国に拡大するようたえず要求してきた。もしドイツ共産党がこの道を断固として進んでいたとすれば、改良主義官僚は統一戦線に向かう労働者の圧力に抗することはできなかったであろう。そうなれば、ファシズムは、一歩ごとに新たな障壁にぶつかり、そのすべての継ぎ目が裂けていただろう。地域の防衛機関は抑えがたい勢いで拡大して、事実上、労働者評議会に転化していただろう。ドイツ・プロレタリアートは、この道を進むことによって、確実にファシズムを潰走させ、その最後の一撃で寡頭支配層全体を一掃していただろう。全体としての情勢は、ドイツ・プロレタリアートの革命的勝利のための土台を作り出していた。

 しかしながら、スターリニスト官僚は、無意識ではあったが、事実上革命をサボタージュする道を進んだ。彼らは、共産党系の諸組織と社会民主党系の諸組織との協定を最も厳格に禁止し、労働者によって作られた共同の防衛機関を破壊し、正しい革命的政策を擁護するすべての人々に「反革命派」というレッテルを貼って隊列から追放した。こうした活動方法は次のような事態をもたらすために専用に編み出されたものであるかのようだ。すなわち、共産党員を孤立させ、社会民主党労働者とその指導者とのあいだの結びつきを強化し、プロレタリアートの隊列に混乱と解体の種をまき、ファシストが順調に権力に到達するのを準備することである。その結果がこれだ!

 ドイツ・プロレタリアートの運命がすでに決定されてしまった3月5日、コミンテルン執行委員会は、上からの統一戦線を受け入れる用意があると宣言したばかりでなく――もっとも、各国レベルのみであって、国際規模ではそうではなかった――、改良主義官僚を満足させるために、統一戦線の期間中は相互批判を放棄することに同意した。最後通牒的な傲慢さから無原則な譲歩への信じがたいほどの急転換である! 自らの党内で批判を圧殺したスターリニスト官僚は、明らかに政治闘争における批判の役割に関する理解力を失ってしまったのだ。革命的批判は、あらゆる事件や綱領に対する、あらゆる階級や政党や集団に対する、プロレタリア前衛――すなわち現代社会において最も批判的な部分――の態度を形成する上で決定的なものである。生物が呼吸をやめることができないように、真の共産党はたとえ1日たりとも批判をやめることはできない。統一戦線の政策は、いかなる場合にも相互批判を排除するものではなく、逆に、それを必要とする。一方は裏切りによって、もう一方はその一連の致命的誤りによって押しつぶされてしまった2つの官僚機構だけが、相互批判を停止することに利益を見出すのである。彼らは、それによって統一戦線を、自己保存のための反人民的な暗黙の共謀に変えてしまっている。われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者は、いかなる条件下でもそのような共謀に加担しないと宣言する。逆にわれわれは、労働者の面前でそれを絶えず暴露する。

 批判の放棄に同意したスターリニスト官僚は、それと同時に、ウェルス(4)=ライパルト(5)一派がヒトラーに対し醜悪に這いつくばっている事態に飛びついて、社会ファシズム論を復活させている。実際この理論は過去において誤っていたのと同じく、今日でもいぜんとして誤っている。つい最近までドイツを支配していた者たちが、慈悲を求めてファシストの軍靴にひれ伏し、その靴をなめているが、それは、改良主義官僚の憐れな本質に完全に照応している。だが、だからと言って、改良主義者にとって民主主義とファシズムの軍靴とのあいだには何の相違もないとか、闘争の舞台に向けた活路が時機を失せず切り開かれたときにも社会民主党の大衆がファシズムと闘争することができないとか、そういうことにはけっしてならない。

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 ファシズムの政策は、デマと嘘と中傷にもとづいている。革命的政策は、真実にもとづいてのみ立てることができる。それゆえわれわれは、この大会を招集した組織ビューローを断固として糾弾せざるをえない。組織ビューローがその訴えの中で、反ファシズム闘争の強力な発展について語ることによって、ドイツの現状について誤った楽観的像を描いているからである。実際には、ドイツ労働者は目下のところ闘わずして退却しており、完全な混乱状態の中にいる。これが、言葉でごまかしようのない厳しい現実である。プロレタリアートが立ち直ってその力を再編・結集するには、プロレタリアートが、その前衛を筆頭に、生起した事態を理解しなければならない。幻想を一掃せよ! なぜならまさに幻想が破局をもたらしたからである。われわれは、ありのままを明確に率直に公然と語らなければならない。

 ドイツの情勢は深刻に悲劇的である。死刑執行人どもは、仕事を開始したばかりである。犠牲者の数は際限がないだろう。何百、何千という共産党労働者が投獄されている。今なお自らの旗に忠実なままにとどまり続けている者には過酷な試練が待ち受けている。全世界の誠実な労働者は一人残らず、ファシスト死刑執行人の犠牲となった人々に心からの同情を寄せている。だが、ドイツにおけるスターリニズムの代弁者たちが今やファシズムの犠牲者になっているからといって、スターリニズムの致命的な政策について沈黙するよう要求するとすれば、それは最悪の偽善となろう。歴史的大問題は、センチメンタリズムでは解決されない。合目的性は闘争の最高の法である。起こったすべての事態についてのマルクス主義的説明のみが、プロレタリアートの前衛に自信を取り戻させることができる。犠牲者に同情を表明するだけでは十分ではない。必要なのはもっと強力な存在になることによって、死刑執行人を打倒し、絞め殺すことである。

※  ※  ※

 ドイツ・ファシズムは、イタリアの例をそっくり模倣している。しかしながら、そのことは、ムッソリーニの場合と同じようにヒトラーの権力が何年にもわたって保障されているということを意味するものではない。ファシスト・ドイツは、資本主義の崩壊がはるかに進行し、現代史の中でかつてなかったほど人民大衆が窮乏化し、国際関係が激しく緊張した状況の中で、その歴史を開始する。その結末は、現在の支配者たちが考えているよりもはるかに早くやってくるかもしれない。だが、それは自動的にはやって来ない。必要なのは革命的打撃である。

 社会民主党の新聞は、ドイツの政府ブロック内部の亀裂に大いに期待を寄せている。モスクワの『プラウダ』も基本的に同じ立場をとっている。ほんの昨日までファシズムと社会民主主義との対立を否定していたモスクワは、今日、ヒトラーとフーゲンベルク(6)との対立をあてにしているのだ。支配陣営内に矛盾が存在することに議論の余地はない。しかし、これ自体は、ドイツ資本主義の情勢全体によって条件づけられているファシスト独裁の勝利的発展を阻むには無力である。奇跡を期待してはならない。ファシズムに終止符を打つことができるのはプロレタリアートだけである。労働者に歴史の大道への活路を与えるためには、革命的指導部における決定的な転換が必要である。マルクスとレーニンの政策に復帰しなければならない。

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 われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者がこの大会にやってきたのは、何らかの幻想や誤った評価を支持するためではない。われわれの目的は、将来のために道を掃き清めることである。もちろん、この大会に、闘争に対する真剣な心構えをしている何万という、いやおそらくは何十万という労働者が代表されていることをわれわれは疑っていない。またわれわれは、代議員の多数がファシズムを粉砕するために可能なあらゆることをやろうと真剣に考えていることを喜んで信じたい。にもかかわらず、われわれの深く確信するところによれば、この大会自体は、それが構想され招集されたやり方からして、真に革命的な意義を持ちえない。ファシズムは恐るべき敵である。それと闘うには、よく組織され正しく指導された何百万、何千万という労働者の密集した部隊を必要とする。われわれには職場や組合での強固な基盤が必要である。闘争の経験によって試された指導部に対する大衆の信頼が必要である。この問題は、厳かな集会や雄弁な演説によっては解決されない。急きょ即興的に招集されたこの大会は、相互に何のつながりもない孤立した諸グループを代表しているだけである。これらのグループは、大会後もこれまでと同様、何百万というプロレタリアートから孤立した存在でしかないであろう。

 さらに。ブルジョア・インテリゲンツィア層の「孤立した個人」が、かつてアムステルダムの「反戦」大会を彩ったように、このパリ大会をも彩っている。これは信頼の置ける色ではない。確かに先進的労働者は、科学や文学や芸術の最良の代表者たちが自分たちに寄せてくれる同情に大いに感謝している。しかし、だからと言って、急進的な科学者や芸術家が大衆組織に取って代わったり、プロレタリアートの指導を自らに引き受けるということにはけっしてならない。にもかかわらず、この大会は指導者を僭称している! ブルジョア・インテリゲンツィアのこれらの代表者たちが革命闘争に加わりたいと本当に願っているのなら、まず自分たちの綱領を明確に定め、自ら労働者組織に加わることから始めるべきである。言いかえれば、闘うプロレタリアートの大会で「孤立した」知識人が投票権を得るためには、その孤立に終止符を打たなければならないのだ。

 反戦活動も反ファシズム闘争も、いずれもプロレタリアートの一般的闘争からはずれた特殊技術を必要とするわけではない。情勢を正確に分析し、日々の防衛的ないし攻勢的闘争を指導し、自らの周囲にますます広範な大衆を結集し、改良主義的労働者との共同の防衛闘争を遂行し、それと同時に彼らを改良主義の偏見から解放していくことが必要である。以上のことができない組織は、戦争を前にした場合も、ファシズムを前にした場合も、不可避的に破綻するだろう。

 アムステルダム反戦大会はすでに、中国への日本の強盗的攻撃[満州事変]に対するその無定見ぶりを暴露した。アジテーションの領域においてすら、スターリニスト官僚と孤立した平和主義者との同盟は本格的なことを何らなしていない。率直に言わなければならない。寄せ集めの国際会議でしかないこの反ファシスト大会は、まさに行動が欠落しているところで、行動の見せかけを作り出すために招集された。もし大会がその組織者の企図にしたがって無内容なアピールを発するだけで終わるならば、それはファシズムに対する闘争の歴史において、無に等しいものとなるばかりでなく、マイナスにすらなる危険がある。というのは、現在の状況下における最も重大な犯罪は、自分たちの実際の力や闘争の真の方法について労働者を誤解させることだからである。

 反ファシズム大会は、たった一つの条件にもとづいてのみ、ささやかなだが進歩的な役割を果たすことができる。すなわち、大会が舞台裏の官僚的演出家による催眠を振り払い、ドイツ・ファシズムの勝利の原因、指導的プロレタリア諸組織の責任、革命闘争の真の綱領、といった諸問題に関する自由な討論を議題にのせることである。この途上において、そしてその途上においてのみ、大会は革命の再生にとっての一要因となりうる。

※  ※  ※

 国際左翼反対派の政綱が、ファシズムに対する闘争のための唯一正しい指針を与えている。当面の最も緊急の措置として、われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者は以下のことを提案する。

 1、国際的規模での協定に関する第2インターナショナルの提案をただちに受け入れること。このような協定は、個々の国に適応したスローガンや方法の具体化を排除するものではなく、逆にそうした具体化を要求する。

 2、「下からのみの統一戦線」という定式を原則的に退けること。この定式は統一戦線そのものを拒否することを意味する。

 3、社会ファシズム論を拒否し断罪すること。

 4、いかなる場合、いかなる条件下でも、一時的な同盟者を批判する権利を放棄しないこと。

 5、共産党およびその指導下にあるすべての組織(この大会を含む)における批判の自由を復活させること。

 6、独立した共産主義的労働組合という政策を放棄すること。大衆的労働組合に積極的に参加すること。

 7、「民族解放」や「人民革命」のスローガンにもとづくファシズムとの恥ずべき競争を拒否すること。

 8、一国社会主義論を放棄すること。これは、小ブルジョア民族主義の傾向を助長し、ファシズムに対する闘争において労働者階級を弱体化させる。

 9、ヨーロッパ・ソヴィエト合衆国の旗のもとに、親ベルサイユ派および反ベルサイユ派の両排外主義に反対してヨーロッパ・プロレタリアートを動員すること。

 10、反革命との闘争の経験を検討し今後の行動綱領を作成するために、率直で真剣な同志的討論を通じてコミンテルン各国支部の臨時大会を準備し、それを1ヶ月以内に招集すること。

 11、民主的に準備される共産主義インターナショナルの国際大会を2ヶ月以内に招集すること。

 12、左翼反対派を、共産主義インターナショナルに、その各国支部とそれが指導しているすべての組織の隊列に復帰させること。

 第2インターナショナルと第3インターナショナルとの交渉をただちに開始し、オーストリア問題をまず第一の議題にしなければならない。まだこの国では、いっさいが失われたわけではない。積極的防衛の道にただちに踏み出したオーストリア・プロレタリアートが、ヨーロッパのすべての国のプロレタリアートに支援されて、この攻勢を一貫して大胆に発展させていくならば、敵の手から権力を奪い取ることができるだろう。オーストリア国内の力関係は勝利を保障している。赤色オーストリアはただちにドイツ労働者にとっての砦となるだろう。全情勢は、急激に革命にとって有利なものへと変わり、ヨーロッパ・プロレタリアートは、自分が無敵の勢力であると感じるだろう。そして、すべての敵を一掃するうえで彼らに欠落しているのはただこの意識だけである。

※  ※  ※

 国際反革命との闘争において中心的位置を占めているのはソ連邦である。この分野において、われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者は、他のどの分野にもまして見せかけの楽観的政策を支持しない。スターリン官僚制においては常に、破局の5分前までいっさいが順調である。ドイツの場合がそうだった。同じ方法がソ連にも適用されつつある。だが、この最初の労働者国家の内部情勢は、今日かつてないほど緊迫している。無統制の官僚による根本的に誤った政策は、わが国を耐えがたいまでの窮乏に投げ込み、農民とプロレタリアートとを対立させ、労働者大衆のあいだに不満を蔓延させ、党の手足を縛り、プロレタリア独裁のあらゆる柱とかすがいを弱体化させてきた。10月革命は、偽りの賛歌を歌い支配官僚のすべての言葉に賛成するような「友人」を必要としない。10月革命が必要とするのは、たとえそれがいかに苛酷なものであっても真実を語るが、それと同時に危機に際してはその不動の忠誠を保持するような闘士である。

 われわれは、世界プロレタリアートの面前に警鐘を打ち鳴らす。ソヴィエトの祖国は危機にある、と! それを救うことができるのは、政策全体の根本的改革のみである。このような改革の綱領が、ソ連邦における左翼反対派の綱領である。今日、ソヴィエト連邦の監獄と流刑地は、Kh・G・ラコフスキーを先頭とする何千もの最良の闘士たちで満たされている。この大会の演壇から、われわれはこれらの勇敢な同志たちに兄弟としてのあいさつを送る。彼らの数は増大しつつある。どのような激しい迫害もこれらの人々の勇気をくじくことはないだろう。来るべき困難な日々において、プロレタリアートの独裁は、これらの人々のうちに、先見の明のある助言者だけでなく献身的兵士をも見い出すだろう。

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 世界の、とりわけヨーロッパの労働者運動の発展は、決定的な岐路にさしかかっている。ドイツ共産党は粉砕された。それを、古い基礎の上に、古い指導部のもとに再建しようと考えるのは絶望的なユートピアとなろう。許されない敗北というものがある。ドイツ共産党は、今後、新しい基礎の上に建設されるだろう。旧党の中でスターリニズムの遺産と手を切った分子のみが、建設者としての位置を占めることができるだろう。他の各国支部およびコミンテルン全体の発展過程において組織的な連続性は維持されるのだろうか? この点に関しては歴史はまだ最後の審判を下していないように思われる。確かなことが一つある。すなわち、この途方もない誤りをただすための時間はもうわずかしな残されていないということである。もしこの時間が失われたなら、共産主義インターナショナルは、栄光あるレーニン主義とともにはじまり、恥すべきスターリニズムをもって終ったものとして歴史に入るだろう。

※  ※  ※

 われわれボリシェヴィキ=レーニン主義者は、ドイツ共産主義の崩壊の経験を、残りのすべての支部の再生にとっての出発点にするよう提案する。われわれは、このことに向けて全力を尽くす用意がある。この課題のために、われわれは、最も激しくわれわれに敵対した昨日の対立者にも手を差し伸べる。ファシズムとの闘争において、防衛の局面であれ攻勢の局面であれ、ボリシェヴィキ=レーニン主義者が、これまでと同様、いつでもどこでも共同の隊列の中で戦闘の配置につくことは言うまでもない。

 マルクスとレーニンの旗のもとに、世界プロレタリア革命のもとに――前進せよ!

国際左翼反対派(ボリシェヴィキ=レーニン主義者)代表団

 

1933年4月

『反対派ブレティン』第34号所収

『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)より

  訳注

(1)ブルム、レオン(1872-1950)……フランス社会党の指導者。ジョレスの影響で社会主義者となり、1902年に社会党入党。1920年、共産党との分裂後、社会党の再建と機関紙『ル・ポピュレール』の創刊に努力。1925年、社会党の党首に。1936〜37年、人民戦線政府の首班。社会改良政策をとったが、スペインの内戦に不干渉の姿勢をとる。第2次大戦中、ドイツとの敗北後、ヴィシー政府により逮捕。ドイツに送られる。戦後、第4共和制の臨時政府首相兼外相。

(2)ヴァンデルヴェルデ、エミール(1866-1938)……ベルギー労働党と第2インターナショナルの指導者。1894年、下院議員。1900年に第2インターナショナルの議長。第1次大戦中は社会排外主義者。戦時内閣に入閣した最初の社会主義者の一人であり、国務相、食糧相、陸相などを歴任。ベルサイユ条約の署名者のひとり。1925〜27年に外相としてロカルノ条約締結に尽力。

(3)トロツキー「オーストリアの危機と共産主義」(『反対派ブレティン』第7号、1929年11月13日)の一節。

(4)ウェルス、オットー(1873-1939)……ドイツ社会民主党右派。第1次大戦中は排外主義者。ベルリンの軍事責任者としてドイツ革命を弾圧。1933年まで、ドイツ社会民主党国会議員団の指導者。共産党との反ファシズム統一戦線を拒否し、ファシズムに対する妥協政策をとりつづける。

(5)ライパルト、テオドール(1867-1947)……ドイツの労働組合指導者で、社会民主党主導の「自由労働組合」の組織者。後にドイツ労働総連合(ADGB)の議長。第2次世界大戦後、東ドイツでスターリニスト党と社会民主党の合体を主張。

(6)フーゲンベルク、アルフレート(1865-1951)……ドイツの大銀行家、大資本家、右派政治家。1909〜1918年、クルップ製鋼の重役。1916年以降、約150社に及ぶフーゲンベルク大コンツエルンを結成。1919年より国家人民党議員。ワイマール共和国に反対し、1928年に国家人民党の党首となり、ヒトラーと同盟を結んだ。1933年1月30日、最初のヒトラー政権の経済相になったが、1933年6月に解任。


  

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