【解説】この論文は、1921年のコミンテルンの戦術転換(統一戦線戦術と労農政府の提唱)を、1923年のフランスによるルール占領という危機的事態をふまえて発展させたものである。
「ヨーロッパ合衆国」というスローガンをヨーロッパにおける社会主義政党の共通スローガンにするという立場は、1914年の第一次世界大戦の勃発当初からのトロツキーの立場だった。当初は、レーニンもそうだったが、1915年の有名な「『ヨーロッパ合衆国』のスローガンについて」という論文の中で、このスローガンの実現は社会主義革命後にしかなされないし、現在の資本主義のもとでは、帝国主義者によって悪用されるだけであるという理由で拒否された。それ以降、「ヨーロッパ合衆国」論は、ボリシェヴィキの中ではいわくつきのものとなり、一貫して無視ないし軽視されることになった。だが、トロツキーは、1923年のこの論文で、かつて拒否されたスローガンを再び提起し、この提起はコミンテルン執行委員会によって基本的に受け入れられた。トロツキーはついに、10年近くかけて、ボリシェヴィキを自分の立場の側に獲得したのである。
だが、レーニンがかつて「ヨーロッパ合衆国」のスローガンを拒否したことはあまりにも有名だったので、レーニンの無謬神話を維持するために、何らかの整合的な説明が必要になった。こうして、1915年のレーニンの立場と1923年のコミンテルン執行委員会の立場の間には矛盾がないという苦しまぎれの説明をする役目を仰せつかったのが、アメリカ共産党のジョン・ペッパー(後にスターリニスト)である。彼の論文「ヨーロッパ社会主義合衆国」は、日本語訳の『ヨーロッパとアメリカ』(柘植書房)に訳出されているが、要するにペッパーによれば、1915年の時点でのヨーロッパ合衆国のスローガンは資本主義にもとづいたものであったので反動的だが、コミンテルンが現在提唱している「ヨーロッパ合衆国」のスローガンは社会主義にもとづいているので進歩的である、というものである。この説明が、1915年のスローガンの説明としても、1923年のスローガンの説明としても、根本的に誤っているのは明らかである。要するに、ペッパーは、過渡的綱領としての「ヨーロッパ合衆国」のスローガンの意味をまったく理解していないのである。1914年にトロツキーが「共和制ヨーロッパ合衆国」というスローガンを出したとき、念頭においていたのはむろん、「資本主義にもとづくヨーロッパ合衆国」などではない。資本主義のもとではヨーロッパの統一は不可能であり、したがって、このスローガンにもとづく労働者人民の闘争は、ヨーロッパ規模でのプロレタリアートの独裁になるしかない、これが当時トロツキーが主張したことである(「平和綱領」の「ヨーロッパ合衆国」の章を参照のこと)。また、1923年におけるスローガンも、単に社会主義革命が勝利した後の国家形態のことを問題にしているのではなく、現在における闘争スローガンとして、ヨーロッパ革命を勝利に導く過渡的綱領として提起されているのである。
Л.Троцкий, О своевременности лозунга 《Соединенные Штаты Европы》, Европа и Америка, Мос.-Лен., 1926.
Translated by Trotsky Institute of Japan
現在、「労働者と農民の政府」というスローガンと並んで、「ヨーロッパ合衆国」というスローガンを出すべき時であると私には思われる。この2つのスローガンを統一してはじめてわれわれは、ヨーロッパの発展についての最も喫緊の問題に対し、展望と段階を示す一定の回答を得るのである。
先の帝国主義戦争は基本的にヨーロッパの戦争であった。アメリカと日本のエピソード的な参戦は、この戦争の持つこうした性格を変えるものではなかった。アメリカは必要とするものを獲得した後、ヨーロッパの焚火から手を引いて自宅へ引き返してしまった。
戦争の原動力は、資本主義の生産力がヨーロッパの民族国家の枠組みを乗り越えて成長したことであった。ドイツは、ヨーロッパを「組織する」という課題――すなわち、世界支配をめぐって本格的にイギリスとの闘争を開始するために、まずヨーロッパ大陸を経済的に自己の指導のもとに統一するという課題――を自らに課した。フランスは、ドイツを解体するという課題を自らに課した。フランスの人口の希少さ、その圧倒的に農業国的な性格、経済様式の保守主義のために、フランス・ブルジョアジーにとっては、ヨーロッパを組織するという問題を提起することさえ不可能なことであった。なにしろ、この問題の解決は、ホーエンツォレルン家の軍事機構によって武装したドイツ資本主義にとってさえ歯が立たなかったのだから。そこで、今や勝利したフランスは、ヨーロッパをバルカン化することによって自己の支配を維持している。そしてイギリスは、たえず彼らの伝統的な偽善によってその活動を隠しながら、ヨーロッパを分裂させ弱めるというフランスの政策を扇動し支持している。その結果、われわれの不幸な大陸は切り刻まれ、分割され、弱められ、解体され、バルカン化されて、狂気の館に変えられてしまったのである。ルール占領は、先を見越した計算(ドイツの最終的破壊)と結びついた抑えがたい狂気の現れであるが、この種の結びつきは、精神医学によって一再ならず観察されているところである。
戦争の根底に、関税障壁を一掃したより広範な発展の舞台を求める生産力の要求があったように、ヨーロッパと人類にとって破滅的なルール占領のうちには、ルールの石炭をロレーヌの鉄に結びつける必要性の歪められた表現が見出せる。ヨーロッパは、ベルサイユ条約によって押しつけられた国境と関税の境界の内部では経済的に発展することはできない。ヨーロッパはこうした境界を取り除くか、さもなければ完全な経済的衰退の脅威に直面せざるをえない。だが、支配的ブルジョアジーが、彼ら自身によってつくりだされた国境を克服するために用いている方法は、混沌を増大し、解体を促進しているにすぎないのである。
ブルジョアジーにヨーロッパの経済的復興という基本的問題を解決する力がないことは、勤労大衆の前にますます明らかになってきている。「労働者と農民の政府」というスローガンは、勤労者が自分自身の力によって活路を見出だそうとするますます増大する努力に応えたものである。現在では、この活路をより具体的に指摘することがぜひとも必要になっている。それはすなわち、ヨーロッパの経済的分解と強力なアメリカ資本による奴隷化とからわが大陸を救う唯一の手段としての、ヨーロッパ諸国人民の最も密接な経済的協力である。
アメリカは、ヨーロッパ経済の死の苦悶が昂じて、――オーストリアのように――ヨーロッパをわずかな金で買い占めることができるようになるのを安んじて待ちつつ、ヨーロッパから離れた。だが、フランスはドイツから離れることはできないし、ドイツもフランスから離れることはできない。そして、ドイツはフランスとともにすでに西欧の基本的中核となっている。ここにヨーロッパ問題のアルファとオメガがある。これ以外はすべて付随的なものにすぎない。
帝国主義戦争が勃発するはるか以前に、われわれは、バルカン諸国は連邦制なしには存在することも発展することもできないという結論を下していた。オーストリア=ハンガリー帝国の各構成部分や、現在ソヴィエト連邦の外に残された帝政ロシアの西部地域についてもまったく同じことが言える。アペニン山脈やピレネー山脈やスカンジナビア半島は、大洋にむかって延びたヨーロッパの身体の各器官をなしており、独立して存在することはできない。現在の生産力の発展水準のもとでは、ヨーロッパ大陸は一つの経済単位をなしている。もちろん、閉鎖的な単位ではなく、深い内部的結びつきをもった単位であり、その結びつきは、帝国主義戦争の恐るべき破局のうちに暴露され、現在ふたたびルール占領の激烈な発作の中で露わとなっているのである。
ヨーロッパという言葉はけっして地理上の用語なのではない。それは――とくに現在の大戦後の条件のもとでは――世界市場という用語よりも比較にならないほど具体的な一つの経済上の用語なのだ。以前からわれわれは、連邦制がバルカン半島に必要であると認めてきたが、現在では、バルカン化されたヨーロッパに対してこの連邦制の課題をきっぱりと提起すべき時である。
ここで、一方ではソ連、他方ではイギリスの問題が残されている。ソヴィエト連邦は、もちろんのこと、ヨーロッパの連邦的統一にも反対しないし、ソ連邦とヨーロッパとの連邦的統一にも反対しないだろう。この統一によって、ヨーロッパとアジアの間に堅固な架け橋が保障されるのである。
イギリス問題の解決は、より条件的である。つまり、この問題は、イギリスにおける革命の発展がどのようなテンポで行なわれるのかということにかかっている。もし、イギリス帝国主義が打倒される前にヨーロッパ大陸において「労働者と農民の政府」が勝利するならば――そして、このことは大いにありうることなのだが――、ヨーロッパにおける労働者と農民の連邦は、まさにイギリス資本と敵対することになるだろう。そして、もちろん、イギリス資本が打倒される時には、イギリス諸島は待望の一員としてヨーロッパ連邦に参加するだろう。
ところで、なぜヨーロッパ連邦であって、世界連邦ではないのか、と質問する者もいるかもしれない。だがこうした問題の立てかたはあまりにも抽象的である。もちろん、世界の経済的および政治的発展は、統一された世界経済を志向しており、その集中化の程度はその時々の技術の水準に照応している。だが問題は将来の社会主義世界経済にあるのではなく、現在のヨーロッパが袋小路から抜け出す活路を見出だすことにあるのだ。われわれは、アメリカやオーストラリアやアジアやアフリカにおける革命がいかなるテンポで発展するのかということとは独立に、ばらばらにされ荒廃せられたヨーロッパの労働者と農民に対して、活路にいたる道筋を示さなければならない。こうした見地からすれば、「ヨーロッパ合衆国」というスローガンは、「労働者と農民の政府」というスローガンとまったく同じ歴史的地平にある。それは活路を指し示し、救済の展望を明らかにし、それによって勤労大衆を革命の道へと押しやる過渡的スローガンなのだ。
世界の革命の発展過程をすべて同列に置くとすれば、それは正しくない。アメリカは戦争によって弱体化したのではなく、強化された。アメリカ・ブルジョアジーの内的安定性はいまだにきわめて強力である。彼らはヨーロッパ市場への依存性を最小限に引き下げつつある。したがってヨーロッパを捨象するならば、アメリカの革命は何十年も遅延するだろう。だが、このことは、ヨーロッパ革命がアメリカ革命にならわなければならないということを意味するだろうか? もちろん、否である。後進国ロシアがヨーロッパの革命を待たなかった(そして待つことができなかった)とすれば、ヨーロッパはなおさらアメリカ革命を待たないし、待てないだろう。労農ヨーロッパは、資本主義アメリカによって封鎖されても――最初はおそらくイギリスによってすら封鎖されても――、緊密な軍事的および経済的同盟にもとづいて持ちこたえ、発展することができるだろう。
ヨーロッパの破壊を助け、ヨーロッパの遺産相続権を得ようと準備を整えている北アメリカ合衆国の側からの脅威こそが、互いに相手を破壊しようとしているヨーロッパ諸国民を一つの「労農ヨーロッパ合衆国」に統合することをとりわけ緊急なものにしている。このことに目を閉じてはならない。アメリカとヨーロッパのこうした対立は、当然ながら、ヨーロッパ諸国と大西洋の向こうの強大な共和国
[アメリカ合衆国のこと]とが置かれている客観的な諸条件の相違から出てくるものであるが、この対立はもちろんのこと、プロレタリアートの国際連帯やアメリカにおける革命の利益に反するものではけっしてない。その反対である。全世界で革命の発展が遅れている理由の一つは、衰退したヨーロッパがアメリカの「金持ち叔父さん」に卑俗な期待をかけていることである(たとえば、ウィルソン主義、ヨーロッパの最もひどい飢饉地帯への慈善的な食料供与、アメリカの「借款」等々)。ヨーロッパの人民大衆が、戦争によって奪われた自分自身の力に対する自信を再び取り戻すことが早ければ早いほど、そして彼らがヨーロッパ労農共和国連邦というスローガンのもとに堅く団結すればするほど、大洋のこちら側でも向こう側でも、革命はますます急速に発展するだろう。なぜなら、ロシアにおけるプロレタリアートの勝利が、ヨーロッパ諸国の共産党の発展に強力な刺激を与えたように、ヨーロッパ革命の勝利は、同じくらい、いや比較にならないほど大きな程度で、アメリカならびに全世界の革命に刺激を与えるからである。ヨーロッパを捨象するならば、数十年にわたる霧を通してアメリカ革命を眺めなければならないが、歴史的諸事件の最も自然な連鎖にもとづくならば、ヨーロッパ革命の勝利は短期間のうちにアメリカ・ブルジョアジーの力を揺るがすであろう。このようにわれわれは確信をもって言うことができる。単に、ルール問題、すなわち、ヨーロッパの燃料と鉄の問題ばかりではなく、賠償問題もまた完全に「ヨーロッパ合衆国」の図式の中におさまる。賠償の問題は純粋にヨーロッパの問題であり、近い将来、ヨーロッパの資力だけで解決することができるし、解決されるだろう。労働者と農民のヨーロッパは、外部からの危険に脅かされているかぎりは、自らの戦争予算を持つと同様に自らの賠償予算を持つだろう。こうした予算は、累進所得税や資本課税にもとづいて、さらに戦時に掠奪された財産の没収等々にもとづいて立てられるだろう。この予算の配分は、ヨーロッパ労農連邦のしかるべき機関によって規制されるだろう。
われわれは、ここでは、ヨーロッパの各共和国の統合がどのようなテンポで進められるか、それがどのような経済上および憲法上の形態をとるか、ヨーロッパ経済が労農政府の最初の期間にどの程度集中されるか、ということについて予言する必要はない。こうしたいっさいのことを、われわれはすでに、旧帝政ロシアの領土の上で形成されたソヴィエト連邦がすでに有している経験を念頭におきながら、安んじて将来に委ねることができる。だが、まったく明らかなことは、関税障壁を覆さなければならないということである。ヨーロッパの人民はヨーロッパを、ますます計画的となる統合された経済の領域としてみなさなければならないのである。
われわれにとっての問題は実際には、将来の世界連邦の構成部分としてのヨーロッパ社会主義連邦なのであり、こうした体制はプロレタリアートの独裁のもとでしか実現されないのだ、といった反論がもしかしたら出されるかもしれない。だが、われわれは、こうした議論の検討に時間を割くことはしないだろう。なぜなら、そうした議論は、「労働者政府」の問題を討議した際に、国際的規模で十分検討に付されたからである。「ヨーロッパ合衆国」というスローガンは、あらゆる点で「労働者の(あるいは労働者と農民の)政府」というスローガンに照応している。「労働者政府」はプロレタリア独裁なくして実現されうるだろうか? こうした問いにはただ条件つきの答しか与えられない。いずれにせよ、われわれは「労働者政府」をプロレタリアート独裁に至る段階として取り上げている。この点にこそ、われわれにとってのこのスローガンの巨大な価値があるのだ。だが、「ヨーロッパ合衆国」というスローガンもまた、まったく同種の、完全にパラレルな意義を持っている。こうした補足的なスローガンなしには、ヨーロッパの根本問題は宙に浮いてしまうだろう。
だが、この「ヨーロッパ合衆国」のスローガンは、平和主義者の手の上でもてあそばれはしないであろうか? こうした危険性を、このスローガンを拒否する十分な根拠であるとみなすような「左翼」が現在この世に存在しているとは思われない。何といってもやはり、われわれは1923年に生きているのであって、なにがしかを学んできた。「労農政府」というスローガンに対する民主的エスエル流の解釈を恐れるのと同じ根拠ないしは無根拠でもって、ヨーロッパ合衆国の平和主義的解釈を懸念することもできよう。もちろん、もしわれわれがヨーロッパ合衆国のスローガンを「労働者政府」のスローガンや統一戦線のスローガンや階級闘争から引き離し、自立した綱領として、和解と復興のための万能薬として提起するならば、われわれは必ずや民主化されたウィルソン主義――すなわち、カウツキー主義ないしは、これより低劣なもの(そもそもカウツキー主義より低劣なものがあるとすればの話だが)に転落してしまうだろう。
だがそれでもやはり――繰り返すが――われわれは1923年に生きているのであって、なにがしかを学んできた。共産主義インターナショナルは今では一つの現実であり、われわれのスローガンと結びついた闘争を実行し統制するのはカウツキーではない。われわれの問題設定は、カウツキー主義のそれと直接に対立している。平和主義とは、革命的な行動の必要を避けることを自己の課題とするアカデミックな綱領である。これとは反対に、われわれの問題設定はいかに闘争を促進させるかにある。ドイツの労働者に向かって、共産党員ではない一般の労働者に向かって(共産党員を説得する必要はない)、何よりもまず、労働者政府のための闘争の経済的結末を恐れている社会民主党労働者に向かって、いまだに賠償と国家債務の問題で頭がいっぱいになっているフランスの労働者に向かって、さらに、労働者政権の樹立が自国の孤立と経済的破滅に導きはしないかと恐れているドイツやフランスや全ヨーロッパの労働者に向かって、われわれは次のように述べるのである。――たとえ、一時的に孤立させられても(ソヴィエト連邦のような東方の大きな橋があるかぎり、ヨーロッパはそう簡単には孤立させられないであろうが)、ヨーロッパは単にもちこたえることができるだけではなく、内部の関税障壁を一掃し、その経済とロシアの無尽蔵の天然資源とを結びつけることによって、いっそう発展し強固になることができるだろう、と。
純粋に革命的な展望としての「ヨーロッパ合衆国」は、われわれの革命的展望全般における当面する次の段階なのである。それは、ヨーロッパとアメリカが置かれている状況の深刻な相違からくっきりと浮かび上がってくる展望である。当面する時期にとって最も本質的なこの相違を無視するものは誰でも、実在する革命的展望を否応なしに単なる歴史的抽象の中に埋没させてしまうであろう。もちろん、労農連邦はヨーロッパの段階にとどまらないだろう。それは、われわれが述べたように、わがソヴィエト連邦を通じて、ヨーロッパにアジアへの出口を切り開き、それによってアジアにヨーロッパへの出口を開くであろう。それゆえ、単に一つの段階が問題になっているにすぎないのであるが、それはきわめて偉大な歴史的段階なのであり、われわれは何よりもまずその段階を通過しなければならないのである。
1923年6月30日、『プラウダ』第144号
『ヨーロッパとアメリカ』所収
『ヨーロッパとアメリカ』(柘植書房)より
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