統一戦線について

フランス共産党問題に関する報告によせて
トロツキー/訳 西島栄 

【解説】本稿は、トロツキーが1922年2月の第1回コミンテルン拡大執行委員会総会での報告「統一戦線について」に関連して、統一戦線問題に関する基本的観点をテーゼの形式で明らかにしたものである。当時のフランス共産党は、イタリア共産党と並んで、極左派の拠点で、最も強く統一戦線戦術に反対していた。トロツキーは、コミンテルン内ではフランス問題の担当であったので、とりわけフランス共産党の問題に多くの労力を割いている。このテーゼはその一環であり、統一戦線戦術の基本原則が簡潔に明らかにされている。

 本稿の最初の邦訳は、『コミンテルン最初の五ヵ年』下巻(現代思潮社)に所収のものだが、本稿はロシア語原文にもとづいて訳しなおされている。

Л.Троцкий, О едином фронте,Коммунистическое движение во Франции. Москобский Рабочий, 1923.

Translated by Trotsky Institute of Japan


1、統一戦線に関する一般的考察

 1、共産党の任務はプロレタリアートの革命を指導することである。共産党は、プロレタリアートに権力の獲得を呼びかけそれを実現するためには、労働者階級の圧倒的多数に依拠しなければならない。

 党は、この多数をつかむまでは、彼らを獲得するために闘わねばならない。

 これを達成することができるのは、党が明確な綱領と厳格な党内規律をもつ完全に独立した組織である場合のみである。まさにそれゆえ、党は思想的にも組織的にも改良主義者や中間主義者と決裂しなければならない。なぜなら、彼らは、プロレタリア革命をめざしてはおらず、大衆に革命の準備をさせる能力もその意欲も持ち合わせておらず、そのいっさいの行動によってこの事業を妨害しているからである。

 「諸勢力の統一」や「戦線の統一」といった名目で中間主義者との分裂を嘆く共産党員は、それによって、自分たちが共産主義のイロハを理解しておらず、ほんの偶然によって共産党に入ったことを証明している。

 2、共産党は、その成員の思想的統一性をともなった完全な独立性を確保するとともに、労働者階級の多数派をその影響下に置くために闘争する。この闘争は、客観的情勢や戦術の有効性いかんによって、急速に進んだり停滞したりする。

 だが革命の準備期においても、プロレタリアートの階級生活が中断されないことは、まったく明白である。工業企業主、ブルジョアジー、国家権力との衝突は、あれこれの側のイニシアチブによって、日々進行していく。

 これらの衝突が、労働者階級全体、あるいはその多数派、あるいは労働者のあれこれの部分の死活にかかわる利益に関係していれば、労働者大衆は、行動の統一の必要性を感じる――資本の攻勢に対する抵抗の統一、あるいは資本に対する攻勢の統一である。行動の統一に対する労働者階級のこうした要求に機械的に反対する党は、労働者の意識の中で必然的に断罪されるだろう。

 したがって、統一戦線の問題は、その起源においてもその本質においても、共産党の議員団と社会党の議員団との相互関係や、この2つの党の中央委員会の相互関係や、『ユマニテ』と『ル・ポピュレール』 [社会党の機関紙]との相互関係の問題ではけっしてない。現在の時期においては、統一戦線の問題は、労働者階級に依拠している政治組織が一定の時期には不可避的に分裂にさせられているという事実にもかかわらず、資本に対する闘争における統一戦線の可能性をできるだけ保証する必要性から生じてくるのだ。この課題を理解しない者にとって、党とは単なるプロパガンダ集団であって、大衆行動の組織ではない。

 3、共産党がまだ人数的に取るに足りない少数派の組織である場合には、大衆闘争の戦線でいかに行動するかという問題は、決定的な実践的・組織的意義を持ってはいない。こうした状況のもとでは、大衆行動は、今なお強力な伝統のおかげで決定的な役割を演じつづけている旧来の組織の指導のもとに置かれる。

 同様に、統一戦線の問題は、たとえばブルガリアのように、共産党が勤労大衆のただ一つの組織である国でも生じない。

 だが、共産党がすでに大きな政治的・組織的勢力になってはいるが、まだ決定的な力量に達していない国、すなわち党が、たとえば組織されたプロレタリア前衛の4分の1ないし3分の1ないしそれ以上しか組織的に掌握していない国、こうした国々では、共産党は統一戦線の問題に非常に鋭く直面することになる。

 党がプロレタリア前衛の3分の1ないし2分の1を組織している場合には、残りの3分の2ないし2分の1が改良主義者ないし中間主義者に組織されている。しかしながら、まだ改良主義者ないし中間主義者を支持している労働者でも、よりよい物質的生活条件と闘争のより大きな自由を守ることに利益を有していることはまったく明らかである。したがって、明日には労働者階級の残りの3分の2をも組織すべき共産党が、今日、プロレタリアートの現在の闘争に対する組織的障害物のように映らないために――実際に障害物にならないためにはなおさら――われわれの戦術を工夫しなければならない。

 それだけでなく、党は、こうした現在の闘争の統一を確保するためのイニシアチブをとらなければならない。このような道を通じてはじめて、党は、まだ党を理解していないがゆえにまだ党を支持しておらず信頼していない残りの3分の2の人々に近づくことができるのである。こうした道を通じてのみ彼らを獲得することができるのである。

 4、社会民主党と根本的かつ不可逆的な形で手を切らなかったなら、共産党はけっしてプロレタリア革命の党にはなれなかっただろうし、革命に向けた最初の真剣な一歩を踏み出すことはできなかっただろう。そして永久にブルジョア国家に付属した議会的安全弁にとどまっただろう。

 このことを理解しない者は、共産主義のABCの最初の文字すらわかっていない者である。

 他方、もし共産党が、その時々の時点で、共産主義的労働者大衆と非共産主義的労働者大衆(社会民主党労働者も含めて)との、協定にもとづく共同行動の可能性に向けた系統的な方策を追求しないならば、そのことで党は、労働者階級の多数派を――大衆的行動を基盤にして――獲得するうえでの己れの無能力を暴露することになるだろう。その場合、党は、共産主義のプロパガンダ団体になりこそすれ、けっして権力獲得の党になることはないだろう。

 剣を持っているだけでは十分でない。われわれはそれを研がなければならない。だが剣を研ぐだけでも十分でない。剣をふるう方法を知らなければならない。

 共産主義者を改良主義者から分離させ、前者を組織的規律で団結させるだけでは十分ではない。この組織は、プロレタリアートの死活にかかわる闘争のあらゆる分野において、プロレタリアートのすべての集団的行動を指導することを学ばなければならない。これが、共産主義のABCにおける2番目の文字である。

 5、統一戦線は労働者大衆だけに及ぶのか、それとも、日和見主義的指導者をも含むのか?

 このような問題の立て方自体、誤解の産物である。もし、改良主義的組織(政党であれ労働組合であれ)を飛び越して、われわれの旗の周囲に、あるいはわれわれの当面する実践的スローガンの周囲に労働者大衆を結集させることができるならば、もちろんそれが一番いいだろう。しかし、その場合には、統一戦線の問題それ自体が、現在の形では存在していなかっただろう。

 問題は、労働者階級の一定の非常に重要な部分が改良主義的な組織に属しているか、あるいはこれを支持しているところから生じる。彼らの現在までの経験は、彼らを改良主義組織から離脱させてわれわれの組織に参加させるにはまだ十分ではない。こうした関係に重大な転換が生じるのは、おそらく、現在日程にのぼっている大衆行動に彼らが参加したのちのことであろう。まさにそれをめざしてわれわれは現在努力しているのである。だが、今はまだそうはなっていない。現在、組織された労働者階級は3つのグループに分裂している。

 その1つである共産党は社会革命をめざしている。まさにそれゆえ、共産党は、搾取者ないしブルジョア国家に反対する勤労者のあらゆる運動を、たとえそれが部分的なものであっても、支持しているのだ。

 もう1つのグループである改良主義組織はブルジョア階級との妥協をめざしている。だが、労働者に対する影響を失わないために、この組織は、その指導者たちの内心の願望に反して、搾取者に反対する被搾取者の部分的運動を支特せざるをえない。

 最後に、第3のグループとして中間主義者がいる。彼らはたえず先に挙げた2つのグループのあいだを動揺しており、独立した意義を有していない。

 したがって、フランスの状況は、これら3つの組織に結集している労働者と、これらの組織に近い未組織大衆との――死活に関わるさまざまな問題をめぐる――共同行動を完全に可能にしているのである。

 すでに述べたように、共産主義者は、こうした統一行動に反対しないどころか、逆にそのイニシアチブをとらなければならない。なぜなら、ますます多くの大衆が運動に引き入れられ、彼らの自信が高まれば高まるほど、大衆運動はますます自己への確信を強め、出発点での闘争スローガンがいかにささやかなものであろうと、ますます断固として前進することができるようになるからである。そして、このことは、運動の大衆的側面の成長が、運動を急進化させることによって、そのスローガン、闘争方法、および一般的には共産党の指導的役割にとって、ますます有利な条件をつくり出すことを意味する。

 改良主義者は、大衆運動の潜在的な革命性を恐れている。彼らの好む活動の舞台は、議会の壇上や、労働組合の事務室、労働調停局や、大臣の玄関間である。

 反対にわれわれは、他のすべての考慮を別にしたとしても、改良主義者をその避難所から引きずり出して、彼らを闘争中の大衆の面前でわれわれと並び立たせることに利益を見出す。正しい戦術をもってすれば、それはわれわれの得になるだけである。それを疑ったり恐れたりする共産主義者は、最良の泳法に関する命題を承認しながら、あえて水に飛びこもうとしない泳ぎ手のようなものだ。

 6、したがって、戦線の統一は、闘うプロレタリアートのかなりの部分の意志がまだ改良主義者によって表現されているかぎりにおいて、われわれが、一定の限界内で、特定の問題に関して、実践的にわれわれの行動を改良主義組織の行動と一致させることを前提としている。

 だが、そうは言っても、われわれは彼らと分裂したのではなかったか? そうだ。なぜなら、われわれは、労働者運動の基本的な諸問題に関して彼らと意見が異なるからである。

 それでも、われわれは彼らとの協定を求めるのか? そうだ。彼らを支持する大衆が、われわれを支持する大衆とともに共同闘争を行なう姿勢がある場合にはいつでも、そして彼ら改良主義者が多かれ少なかれこうした闘争の機関になることを余儀なくされる場合にはいつでも、われわれは彼らとの協定を求める。

 だが、彼らはこう言うのではないか、「諸君はわれわれと分裂したのちでも依然としてわれわれを必要としているのだ」と。しかり、おしゃべりな彼らはこうしたことを言うかもしれない。われわれ自身の隊列の中にも、こうした言葉を聞いて驚く者もいるかもしれない。だが、広範な労働者大衆に関して言えば――われわれを支持しておらず、まだわれわれの目標を理解してはいないが、2、3の労働者組織が平行して存在しているのを知っている大衆でさえ――、われわれの行動から、次のような結論を引き出すだろう。われわれが、諸組織の分裂にもかかわらず、大衆行動の統一を容易にするために全力を尽くしているという結論である。

 7、統一戦線の実現をめざす政策は、言うまでもなく、行動の実際の統一をあらゆる場合に自動的に保証するものではない。反対に、多くの場合――そして、おそらくは大多数の場合に――、組織的協定は半分しか、あるいはたぶんまったく達成されないだろう。しかし、必要なのは、闘う大衆に対して、行動の統一が達成されないのは、われわれの形式的な非妥協性のせいではなくて、改良主義者の側に闘争に向けた真の意志が欠けているからであるということを確信する機会をつねに与えることなのである。

 他の組織と協定を結ぶことによって、もちろんのこと、われわれは自らにもある一定の行動規律を課す。しかしこの規律は絶対的性格を持ちえない。改良主義者が、闘争にブレーキをかけ始め、運動に明らかな損失をもたらし、状況と大衆の気分に逆らうならば、われわれはつねに、独立の組織として、われわれの一時的半同盟者なしに闘争を最後まで遂行する権利を保持する。

 このせいで、われわれと改良主義者との闘争が新たに鋭さを増すかもしれない。だが、これはもはや、閉鎖的なサークル内部で同一の思想を単に繰り返すことではなく、――われわれの戦術が正しい場合には――プロレタリアートの新しい層にわれわれの影響力が広がることを意味する。

 8、この政策を改良主義者への接近とみなすことができるのは、編集室から一歩も出ることなく、改良主義をワンパターンの表現で批判することで改良主義から決別することができると信じているようなジャーナリストの観点にもとづく場合のみである。この手のジャーナリストは、労働者大衆の面前で改良主義者と対決するのを恐れ、共産主義者と改良主義者とを大衆闘争の対等な条件のもとで比較する可能性を大衆に与えるのを恐れている。「接近」に対するこの革命的恐怖のうちには、実のところ、共産主義者も改良主義者も、自分たちの厳格に仕切られた勢力範囲、自分たちの常連の集会参加者、自分たちの新聞雑誌に安住し、それらすべてのおかげで真剣な政治闘争の幻想がつくり出されるような、そういう現在の状態を維持しようとする政治的受動性が隠れているのである。

 9、われわれは、労働者運動内部の裏切りや背信行為や不決断や中途半端さを批判する完全な自由を獲得するために、改良主義者や中間主義者と決別した。まさにそれゆえ、われわれの批判・煽動の自由を制限するような組織的協定はいかなるものであれ、無条件に退けられなければならない。われわれは統一戦線に参加するが、一瞬たりともそこに溶解してしまうことはない。われわれは、統一戦線の中で独立した部隊として行動する。闘争の中で、広範な大衆は、われわれが誰よりもよく闘い、誰よりも明確に事態を見通し、誰よりも勇敢で決断力があることを経験を通じて確信するにちがいない。こうして、われわれは、揺るぎない共産主義的指導のもとで、革命戦線の統一を実現するときに近づくだろう。

 

2、フランスの労働者運動内の諸グループ

 10、われわれが共産主義インターナショナルの全政策から出てくる上述のテーゼの立場を離れることなく、統一戦線の問題をフランスに適用するならば、われわれは次のように自問しなければならない。フランスの情勢はどうなっているのか、共産主義者が、実践活動の立場からみて取るに足りない少数派(quantite negligeable)でしかないような状況にあるのか、それとも反対に、組織労働者の圧倒的多数を掌握しているのか? それとも、両者の中間的状態を占めているのか? すなわち、大衆運動の中で大きな意義を持ってはいるが、その手中に揺るぎのない指導権を握るほどには強くない状況なのか?

 フランスの情勢がまさにこの第3の情勢にあることはまったく争う余地がない。

 11、党の領域では、共産党は改良主義者に対して圧倒的な優位を占めている。共産党の組織、共産党の新聞雑誌は、いわゆる社会党の組織や新聞よりも数的にも内容的にも活力の点でもはるかに優っている。

 しかしながら、こうした圧倒的な優位性にもかかわらず、それはフランス共産党にフランス・プロレタリアートに対する完全で揺るぎない指導力を保証するものではない。なぜなら、フランスのプロレタリアートの活動分野は主に労働組合であり、そこではいまだにきわめて強力な反政治的・反政党的な傾向と偏見が存在するからである。

 12、フランス労働運動の最大の特殊性は、労働組合が、長い間、サンディカリズムという名前をもった特殊な反議会主義政党にとっての外皮ないし隠れ蓑であったという事実にある。なぜならば、革命的サンディカリストがいかに政治ないし政党から一線を画そうとも、彼ら自身が、労働者階級の組合組織に依拠しようとする一個の政党であるという事実をけっして否定することができないからである。この党はそれなりに積極的で革命的でプロレタリア的傾向を有しているが、同時に、それ自身のきわめて否定的な性質をも有している。すなわち、きちんと仕上げられた綱領や輪郭のはっきりとした組織が欠如していることである。労働組合組織は、けっしてサンディカリズムの組織と重なり合うものではない。組織的な点から見ると、サンディカリストは、労働組合に点在する無定形な政治的細胞である。

 問題をさらに複雑にしているのは、サンディカリストが、労働者階級の内部の他のすべての政治グループと同じく、戦後、2つの分派に分かれたことである。すなわち、ブルジョア社会を支持し、したがってまた議会主義的改良主義者と協力せざるをえない改良主義的部分と、ブルジョア社会を転覆する道を求め、それゆえ、その最良の部分においては共産主義に向かいつつある革命的部分とにである。

 まさに戦線の統一を維持しようとする志向こそが、共産主義者に対してばかりでなく革命的サンディカリストに対しても、フランス・プロレタリアートの労働組合組織の統一のための闘争というまったく正しい戦術を鼓舞したのである。反対に、ジュオー(1)やメレーム(2)などの徒党は、労働者大衆の面前で、行動や闘争の点では革命的左翼と対抗することができないと感じた破産者の本能にもとづいて、分裂の道をたどった。フランスの労働組合運動全体で展開されている巨大な意義を持った闘争、すなわち改良派と革命派とのあいだの闘争は、われわれにとっては同時に、労働組合組織と組合戦線の統一のための闘争である。

 

3、労働組合運動と統一戦線

 13、まさにフランス共産党は、統一戦線に関して、きわめて有利な立場に立っている。政治組織の枠内では、フランス共産主義は、旧社会党の多数派を獲得することに成功した。その後、日和見主義者たちは、他のあらゆる政治的肩書きに加えて、さらに「ディシダン」――つまり分裂派という肩書きを背負うことになった。わがフランス共産党はこの事実を利用して、社会改良主義の組織に「分裂派」というレッテルを貼り、こうして、改良主義者たちが行動の統一と組織の統一を破壊するものであることを前面に押し出したのである。

 14、労働組合運動の分野では、革命的翼、とりわけ共産主義者は、モスクワ派とアムステルダム派との相違がいかに深いかということを、自分自身に対しても自分の敵に対しても隠してはならない。この相違はけっして労働運動の隊列の内部における単なるニュアンスの相違ではなく、現代社会全体を分裂させている最も深刻な矛盾、すなわちブルジョアジーとプロレタリアートとの矛盾を反映している。だが、それと同時に、革命派、何よりも自覚的な共産主義分子はいかなる場合でも、すでに述べたように、労働組合から飛び出したり、組合組織を分裂させたりする戦術を主張しはしなかった。このようなスローガンは、ただ世間知らずのセクト主義グループや、ドイツ共産主義労働党や、フランスの一部の「リバタリアン的」無政府主義グループの特徴にすぎない。彼らは広範な労働者大衆に何の影響力も持たず、またこうした影響力を獲得しようという望みも意志も持たない。彼らは、厳格に外界から隔絶した信徒を引き連れた小さな教会であることに満足している。それに対してフランス・サンディカリストの真に革命的な分子は、本能的に次のことを感じとっている。労働運動の分野でフランスの労働者階級を獲得することができるのは、大衆的行動の領域で改良主義的見解や方法に革命的見解や方法を対置すると同時に、この行動の統一性をできるだけ維持することによってであるということである。

 15、革命派が採用した、労働組合内の細胞組織のシステムは、組織の統一を破壊することなく、思想的影響力の獲得と戦線統一のために闘争する最も自然な形態以外の何ものも意味しない。

 16、社会党の改良主義者と同じく、労働運動内部の改良主義者もまた分裂のイニシアチブをとった。まさにこの社会党の経験こそが、かなりの程度、労働組合の改良主義者に次のような結論を吹き込んだのである。時間は共産党に有利に働いており、分裂を強引に進めないと経験と時間の影響に対抗しえないという結論である。CGT(フランス労働総同盟)の支配徒党は、一連の手段を講じて、左派を解体し、組合の規約が保証している諸権利を彼らから奪い、ついには――あらゆる規約および規則に反して――直接的な追放措置によって、左派を公式に組合組織の外部に置いた。

 他方では、革命派は、労働者組織の民主的な規範にもとづいて自らの権利を擁護して闘うとともに、上から押しつけられた分裂に抗して全力を挙げて組合組織の統一を下部に訴えている。

 17、フランスの自覚的労働者はみな次のことを知らなければならない。すなわち、共産主義者は、社会党の6分の1ないし3分の1しか占めていないときには、党の多数派がごく近いうちに自分たちを支持するようになるだろうとの確信を堅持して、組織を割るようなことはしなかったのに対して、改良主義者は、自分たちが3分の1に縮小すると、再びプロレタリア前衛の多数派を獲得するといういかなる希望も持たず、ただちに組織を割ったことである。

 フランスの自覚的労働者はみな次のことを知らなければならない。すなわち、革命分子は、労働組合運動の諸問題に直面したときも、まだ取るに足りない少数派であるあいだは、革命期の状況における闘争の経験が急速に組合労働者の多数派を革命的綱領の側に引き寄せるだろうとの確信を堅持しつつ、共通の組織の中で活動することを通じてこの諸問題を解決してきた。ところが、改良主義者は、労働組合内部での革命派の成長を目にすると、彼らと競い合って勝利するといういかなる希望も持てないため、ただちに追放と分裂という手法に頼るのである。

 ここから、きわめて重大な意義をもつ結論が出てくる。

 第1に、先に述べたようにブルジョアジーとプロレタリアートとの矛盾を反映している両派の対立の深さが、改めて明らかになったこと。

 第2に、プロレタリア独裁の反対者の言う「民主主義」の正体が、その根源にいたるまで徹底的に暴露されたこと。なぜなら、彼らは、国家の枠内においてだけではなく、労働者組織の枠内においても、民主主義の方法と対立しているからである。労働者組織が彼らに反対するときは、党内の分裂派のように組織を割ったり、ジュオーやドムーランのように他の人々を追放したりする。組合組織と政治組織におけるブルジョアジーの手先でさえ、自分たちが進んで受け入れた労働者民主主義の規範にもとづいて労働運動の諸問題を解決することに同意しないというのに、ブルジョアジーがプロレタリアートとの闘争を民主主義の枠内で解決することに同意するだろうと想定するとしたら、それはまったくもって奇妙な考えである。

 18、労働組合の組織と活動を統一するための闘争は、今後も共産党の最も重要な任務の一つだろう。この闘争は、ますます多くの労働者を共産党の綱領と戦術の周囲に団結させるためにたえず努力するという意義を持つだけでなく、同時に、こうした目標を実現する途上で、共産党が、組織分裂によって労働運動にもたらされた障害を最少限のものにする――有利な情勢がある場合にはだが――ために、直接に、ないし組合内部の共産党員を通じて奮闘するという意義をも有している。

 統一を回復しようとするわれわれのあらゆる努力にもかかわらず、CGTの分裂が近い時期に固定化することになったとしても、このことはけっして、統一労働総同盟(CGTU)が――近いうちにそこに組織労働者の半分ないしそれ以上が参加するかどうかにかかわりなく――、あっさりと改良主義的CGTの存在を無視して活動を行なうだろうということを意味するものではない。このような政策は、プロレタリアートの統一した戦闘的行動の可能性を――完全に排除するわけではないにしても――著しく困難にし、それと同時に、改良主義的CGTが、ブルジョアジーの利益のために、ストライキやデモなどに対して「市民同盟」[フランスのスト破り組織]の役割を演ずることをきわめて容易にするだろうし、さらに、「統一労働総同盟(CGTU)は非合理的な行動を挑発している。彼らはその全責任を負わなければならない」と主張する外見上の根拠を改良主義的CGTに与えてしまうことになるだろう。まったく明らかなことだが、状況が許すかぎりいかなる場合でも、革命的CGT(CGTU)は、何らかのカンパニアが必要だとみなしたなら、改良主義的CGTに対して、共同行動の具体的な計画に関する具体的な提案と要求を公然と提出するとともに、彼らに労働者の世論による圧力をかけつつ、この世論の前で改良主義者の不確信と回避的態度をその一歩ごとに暴露するだろう。

 こうして、労働組合組織の分裂が固定化する場合でも、戦線統一のための闘争方法はそのあらゆる意義を保持し続けるのである。

 19、以上のことから次のことを確認することができる。労働者運動の最も重要な分野――労働組合――に関しては、統一戦線の戦術は、すでにこれまでジュオー一派に対する闘争の中でわれわれがとってきた方法をいっそう首尾一貫して、いっそう粘り強く、いっそうきっぱりと適用することを要求していると。

 

4、政治闘争と統一戦線

 20、党の領域では、何よりもまず、組織の面でも機関紙に関しても、社会党に対する共産党の優位性が圧倒的である点に、労働組合分野とのきわめて重要な違いがある。したがって次のように考えることもできよう。すなわち共産党はそれ自体として政治戦線の統一を確保することができるし、それゆえ、共産党には何らかの具体的な行動への提案をもって分裂派の組織に呼びかける動機は存在しない、と。この種の問題設定は、厳格に事務的で合法則的なものであり、口先の急進主義にではなく力関係の評価にもとづいているが、事柄の本質に即して評価されなければならない。

 21、共産党の党員は13万人にのぼるが社会党の党員は3万人にすぎないという事実に注意を向けるならば、フランスにおいて共産主義の思想が巨大な成功を収めたことが明らかになる。だが、こうした数字と全体としての労働者階級の数量との関係に注意を向けるならば、そして改良主義的労働組合の存在や、革命的労働組合における反共的潮流の存在をも考慮に入れるならば、労働者運動における共産党のヘゲモニーの問題は、分裂派に対する数の上での優越性によってはけっして解決されないきわめて困難な課題として、われわれの前に提起されてくる。状況しだいでは、分裂派は、その組織の弱さや、彼らの機関紙『ル・ポピュレール』の取るに足りない発行部数やその貧弱な思想内容だけから判断する場合にそう見えるよりもはるかに重要な、労働者階級内部の反革命的要素となるかもしれない。

 22、情勢を正しく評価するためには、その情勢がどのようにして形成されたかを明確に理解しなければならない。旧社会党の大多数が共産党に移行したのは、戦争によって全ヨーロッパ諸国で引き起こされた不満や憤激の波の結果であった。ロシア革命の実例や第3インターナショナルのスローガンが活路を示しているように思われた。だが、ブルジョアジーは1919〜20年の時期を持ちこたえ、さまざまな手段を組み合わせることによって、戦後期に一定の均衡を打ち立てることができた。この均衡は、おそるべき矛盾によって侵食され、一大破局に向かって突き進みつつあるが、現在および近い将来においては、相対的な安定を保持するだろう。世界資本主義の側からの最大の困難と障害をかろうじて切り抜けたロシア革命は、もてるすべての力を途方もなく張りつめても、ごくゆっくりとしかその社会主義的課題を実現することができなかった。その結果、最初の無定形で無批判的な革命的気分の上げ潮は、不可避的に引き潮に取って代わられた。共産主義の旗のもとにとどまったのは、世界の労働者階級の中の最も断固とした勇敢な若い部分だけであった。

 このことは、もちろん、ただちに革命が起こるとかすぐに急進的な変革が起こるといった希望が潰えて幻滅してしまったプロレタリアートの広範な層が、完全にかつての戦前の立場に舞い戻ったということを意味するものではない。それどころか、彼らの不満はかつてなく深刻になっているし、搾取者に対する憎悪はいっそう先鋭なものになっている。しかし、同時に彼らは政治的に方向性を見失い、闘争の道を見出しておらず、それゆえ受動的に待機している。状況しだいでは、彼らは、あれこれの方向に急激に転換する可能性を持っている。

 この受動的で方向性を失った大量の予備軍は、一定の状況の組み合わせのもとでは、分裂派によってわれわれに対立する方向で広範に利用されるかもしれない。

 23、共産党を支持するためには、革命の事業への信念、能動性、献身性が必要である。分裂派を支持するためには、政治的方向性の喪失と受動性があれば十分である。だが、まったく明らかなことだが、労働者階級の革命的で能動的な部分が共産党に輩出するメンバーの数は、受動的で方向性を喪失した部分が分裂派の党に輩出するメンバーの数よりもはるかに多いだろう。

 同じことは機関紙についても言える。政治的無関心に陥った分子はほとんど新聞を読まない。『ル・ポピュレール』の発行部数が取るに足りない水準で、その内容がお粗末であるのは、労働者階級の一定部分の気分を反映している。分裂派の党内で職業的インテリゲンツィアが労働者に対して完全な優位性を持っているという事実は、けっしてわれわれの診断と予測に反するものではない。なぜなら、受動的で、幻滅を感じ、方向性を見失った労働者大衆は、とりわけフランスでは、弁護士やジャーナリストや改良主義的まじない師や議会主義的山師からなる政治的徒党にとっては格好の栄養源として役立つからである。

 24、党組織を現役の軍隊とみなし、まだ組織されていない大衆を予備軍とみなすならば、わが労働者軍が分裂派の軍隊よりも3、4倍強いとしても、一定の状況のもとでは、予備軍がわれわれにとってはるかに不利な割合で両者のあいだに分割されるという事態が起こるかもしれない。

 25、左翼連合の思想がフランスの政治的雰囲気の中に広がりつつある。ポアンカレ主義の新時代は、勝利の幻想というけばけばしい料理を国民に進呈しようとしたブルジョアジーの試みに他ならないが、この時期が過ぎ去れば、それに対する平和主義的反動がブルジョア社会の広範な層に、何よりも小ブルジョアジーのあいだに起こることは、大いにありうることである。全般的な和解に対する希望、ソヴィエト・ロシアと協定を結び、ソヴィエトから特恵条件で原料と債務の支払いを受け取り、軍国主義の重荷が減少するといった希望が、要するに民主主義的平和主義の幻想的綱領が、国民連合に取って代わる左翼連合の綱領に一定期間なることができる。

 フランスにおける革命の発展という見地から見れば、国民連合から左翼連合ヘのこうした体制交替は、プロレタリアートがほんのごくわずかでも小ブルジョア的平和主義の幻想の餌食にならないかぎりにおいてのみ、一歩前進になるだろう。

 26、改良主義者たる分裂派は、労働者階級の内部における左翼連合の代理人である。彼らの成功は、ブルジョアジーに反対する労働者統一戦線の思想と実践が労働者階級全体をとらえる程度が少なければ少ないほど、大きくなるだろう。戦争によって混乱させられ、革命の遅滞に幻滅させられた労働者層は、左翼連合政府ができても危険なことは何もないと考えて、あるいは、今のところ他の道を見出せないために、「より小さな悪」として左翼連合に希望をかけるかもしれない。

 27、左翼連合とは、労働者とブルジョアジーの一定部分とのあいだに結ばれる、ブルジョアジーの他の部分に対抗する連合(ブロック)である。労働者階級の中でこの左翼連合の気分と思想に対抗するための最も確実な方法の一つは、ブルジョアジー全体に対抗する労働者階級のあらゆる部分の連合という思想を粘り強く断固として広げることである。

 28、分裂派に関しては、このことは次のことを意味する。彼らが、罰を受けることなく労働者運動の諸問題において回避的で待機的な立場をとることを許してはならないし、労働者階級に対するプラトニックな同情的声明を出しつつ、ブルジョア的抑圧者の庇護を享受しつづけるようなことも許してはならない、ということである。言いかえれば、われわれは、必要な場合にはいつでも、分裂派に対して、ストライキ労働者やロックアウト労働者や失業者や戦傷者等々に対する支援の一定の形態を提案し、われわれのこの提案に対する彼らの反応を大衆の面前で記録し、そうすることで、彼らと、政治的に無関心ないし半ば無関心な大衆の一定部分――改良主義者は一定の状況のもとでは彼らに頼ろうとする――とを対立させることができるし、またそうしなければならない。

 29、このような戦術は、分裂派が改良主義的CGTと疑いもなく密接に結びついており、後者とともに労働者運動内のブルジョア代理人の2つの翼であるという事実からして、ますます重要なものとなる。われわれは、労働組合の領域でも政治の領域でも、同じ戦術を用いて、この二者一体の代理人に対して、同時に攻勢をとらなければならない。

 30、われわれの行動の論理、アジテーション上まったく説得的で申し分のない論理は次のようなものである。「労働組合運動ないしは社会主義運動の改良主義者諸君――とわれわれは大衆を前にして言う――、諸君は、われわれが誤りで犯罪的だとみなす思想と方法にもとづいて、労働組合と党を分裂させた。われわれは諸君に要求する、諸君は、少なくとも、労働者階級の部分的で差し迫った具体的な闘争課題において、車輪に棒を突っ込むようなまねはしないで、行動の統一を可能にするべきである。この具体的な場合において、われわれは、かくかくしかじかの闘争綱領を提案する」と。

 31、上に述べた方法は、議会活動や地方自治体活動に関しても同様に有効に用いることができるだろう。われわれは大衆に向かってこう言う。「分裂派が労働者大衆を分裂させたのは、革命を欲していないからである。彼らからプロレタリア革命への支援を期待するのはナンセンスである。だが、ブルジョアジーの特定の利益とプロレタリアートの特定の利益とのいずれかを選ばなければならないときに、もし彼らが実際に後者を支持することに同意するならば、議会内でも議会外でも、彼らと一定の実践的協定を結ぶ用意がわれわれにはある。分裂派は、ただブルジョアジーの諸政党――すなわち左翼連合ならびにそのブルジョア的調教者との結びつきを断ち切りさえするならば、こうした行動に出ることも可能なはずだ」。

 分裂派がこうした条件を受け入れるならば、彼らを支持する労働者たちは急速に共産党に吸収されるだろう。まさにそれゆえ、分裂派はこうした条件に同意しようとしないのである。言いかえれば、彼らは、ブルジョアジーとの連合を選ぶのか、それとも――大衆闘争の具体的で明確な条件のもとで――労働者階級との連合を選ぶのかという、明瞭かつ正確に提起された問題に対して、ブルジョアジーとの連合を選ぶと答えざるをえないだろう。こうした回答は、彼らがあてにしているプロレタリア予備軍のあいだで罰なしにはすまないだろう。

 

5、共産党の党内課題

 32、以上の政策は、言うまでもなく、共産党自身の完全な組織的独立性、思想的明確さ、革命的確信を前提にしている。

 したがって、たとえば、わが党の党員の中に左翼連合の支持者がいて、ブルジョアジーのこの当面する綱領をあえて公然と擁護するならば、労働者階級のあいだで左翼連合の思想を憎悪と軽蔑の対象にすることをめざした政策を完全に成功させることはできないだろう。左翼連合の思想を支持する連中を赤恥をかかせて無条件的かつ無慈悲に党から追放することは、共産党の自明の義務である。このことは、われわれの政策から曖昧さや不明瞭さを一掃するだろうし、先進的労働者に、左翼連合問題の先鋭さに注意を向けさせ、共産党が、ブルジョアジーに反対するプロレタリアートの行動の革命的統一を脅かす問題に関しては真剣であることを示すことになるだろう。

 33、改良主義者や分裂派との合同を呼びかけるアジテーションのために統一戦線の思想を利用しようとする人々も、わが党の隊列から容赦なく放逐しなければならない。なぜなら、彼らはわれわれの隊列における分裂派の手先であり、分裂の原因とその真の責任者に関して労働者を欺く存在だからである。彼らは、分裂派とのあれこれの実践的な統一行動の可能性という問題を正しく提起する代わりに、分裂派の小ブルジョア的で本質的に反革命的な性格にもかかわらず、われわれの党がその共産主義的綱領と革命的方法を拒否するよう要求している。こうした分子を無慈悲に赤恥をかかせて追放することは、労働者統一戦線の戦術が改良主義者への屈服ないし妥協とは似ても似つかないものであることを、最もよく示すことになるだろう。統一戦線の戦術は、党に対して、完全な行動の自由と柔軟性と断固たる姿勢を要求する。だがこのことが可能になるのは、党があらゆる機会に、いったい何を欲し、何をめざしているのかをはっきりと正確に宣言し、大衆の眼前で、しっかりとその諸方策と諸提案を解説し説明する場合のみである。

 34、以上のことから出てくるのは、個々の党員が、自分自身の責任において政治的出版物を出し、その中で党のスローガン・行動方法・提案に対立する自分自身のスローガン・行動方法・提案を提起することがまったく許されないということである。

 彼らは共産党を隠れ蓑にして、したがって共産党の名前が権威をもつ場、すなわち労働者のあいだで、毎日毎日われわれに敵対する思想を広めている。あるいは、われわれにはっきりと敵対的なイデオロギーよりもはるかに有害な混乱と懐疑主義の種子をまいている。

 こうした類いの新聞雑誌は、発行者もろとも永遠に党外に放逐されなければならない。そして、共産党の旗のもとで小ブルジョア思想を密輸入している連中を容赦なく暴露する論文を通じて、このことをフランスの全労働者に知らせなければならない。

 35、以上述べたことから同じく出てくるのは、党の指導的出版物が、共産主義の基本的立場を擁護する論文と並んで、この立場を論駁したり否定したりするような論文を掲載することはまったく許されないということである。労働者大衆の読者が、指導的な共産党機関紙の社説として、偽善的な平和主義の立場にわれわれを連れ戻そうとするような論文や、ブルジョアジーの勝ちほこる暴力を前にして革命的暴力への嫌悪を労働者に振りまくような士気阻喪的論文を目にするといった党機関紙の体制がこのまま続くことは絶対に許されない。これらの論文は、軍国主義との闘争という見せかけのもとで、革命と蜂起に反対する闘争を行なっているのである。

 戦争の経験とその後のいっさいの諸事件、とりわけドイツとロシアの諸事件を経た後でも、共産党の中になお人道主義的平和主義の偏見が生き残っていて、党がこうした偏見を完全に一掃するために、この問題に関する討論を開始することが望ましいと考えたとしても、いずれにせよ、平和主義者たちは、この討論において、対等な権利を持った勢力として登場してその偏見を振りまくことはできない。彼らは、中央委員会を筆頭にした党の権威ある声によって厳しく断罪されなければならない。中央委員会が、この討論はやりつくしたとみなした後では、党を士気阻喪させるトルストイ主義やその他の平和主義の思想を普及しようとするあらゆる試みは、疑いもなく党から一掃されることになるだろう。

 36、しかしながら、党から古い偏見を一掃し党内の団結を固める仕事が完成されないかぎり、党を改良主義者や民族主義者にあまりに接近させるような状態に置くことは危険ではないかと言う者もいるかもしれない。だがこうした見解は誤りである。もちろん、広範なプロパガンダ活動から大衆運動に直接参加することへと移行する場合に、共産党にとって、新しい困難と、したがって一定の危険性が伴うことは否定しえない。だが、党が、直接闘争に参加することなく、敵や対抗相手と直接向き合うことなく、あらゆる試練に対する準備を整えることができると考えるのは、まったく誤っている。反対に、闘争に直接参加することによってのみ、偽りのない形で真に党内を清掃し団結させることができるのである。党と労働組合における一部の官僚分子が、われわれよりも、かつて自分たちが偶然快を分った改良主義者たちの方により近しさを感じているということは、大いにありうる。このような同伴者を失うことはマイナスではなくプラスであり、その損失は、今はまだ改良主義者に従っている男女労働者がわれわれの陣営に加わることによって、100倍もつぐなわれるだろう。その結果、共産党はますます均質的で、ますます断固とした、ますますプロレタリア的な党になるだろう。

 

6、労働組合運勤における党の任務

 37、フランス共産党の他のあらゆる課題にはるかに優先する最も重要な課題は、労働組合問題においてきっぱりと明確な立場を確立しておくことである。

 改良主義者によって広められている伝説、すなわち党が労働組合を組織的に従属させる計画を持っているという伝説は、言うまでもなく、無条件に否定され、その嘘が暴露されなければならない。党が明確な綱領にもとづく政治的同意見者たちを結集するのに対して、労働組合は、さまざまな政治的傾向をもった労働者、無党派の労働者、無神論の労働者、信仰をもつ労働者などをも結集する。党は、外部から労働組合を従属させるようないかなる機関も手段も持ちあわせていないし、また持ちえない。

 党が労働組合の内部生活に影響力を及ぼすことができるのは、党員がこの組合内で活動し、そこに党の見解を持ち込むかぎりでのことである。労働組合に対する党の影響力は、その中の党員の数によっているだけでなく、とりわけ彼らがどれだけ党の原則を正しく首尾一貫して合目的的に労働組合運動の要求に適応させているかにもよっている。

 党は、上述した道にそって、労働組合組織の中で決定的な影響力を勝ちとることを課題とする権利と義務を持っている。党がこの目的を達成することができるのは、組合内での共産党員の活動が、党の原則と完全かつ全面的に一致し、党の絶え間ない統制のもとに行なわれる場合のみである。

 38、それゆえ、すべての共産党員の意識から、党をプロレタリアートの議会主義的政治組織とのみみなす改良主義的偏見を完全に一掃しなければならない。共産党は、労働者運動を思想的に高めそれを政治的に結実させるためだけでなく、あらゆる分野で、何よりも労働組合で労働者運動を指導するためのプロレタリア前衛の組織である。労働組合は党に従属するものではなく、完全に自治的な組織であるが、労働組合内の共産党員は、その組合活動におけるどんな自治も主張することはできない。彼らは、党の綱領と戦術の伝導者でなければならない。労働組合の内部で党の思想の影響力を強化するために闘わないだけでなく、まったく誤って適用された「自治」の原則の名のもとにこの闘争に反対するような共産党員の行動は、最も厳しく断罪されなければならない。実際、このようなやり方を通じて彼らは、労働組合に対する一部の個人・グループ・徒党の影響力を決定的なものにすることを促しているのである。これらの徒党は、明確な綱領で結ばれてもいないし党組織も持たないが、思想的グループとその相互関係の曖昧さを利用して、その手中に組合の組織機構を握り、プロレタリア前衛による真の統制から自分たちの徒党を独立させることに血道を上げている。

 党は、労働組合で活動するさい、無党派の大衆およびその善意で誠実な代表者に対して最大限、注意深い態度をとらなければならないし、彼らと共同活動を行なうさいには系統的かつ節度をもってサンディカリズムの最良の分子――学ぶ能力を持った革命的アナーキストも含めて――に接近しなければならない。だが、他方では、党内においては、党員としての地位を利用してますます傲慢に労働組合内に反党的な影響を広めようとするエセ共産党員をこれ以上野放しにするわけにはいかない。

 39、党は、その機関紙、宣伝員、組合内党員を通じて、プロレタリアートの基本的な課題を解決するために革命的サンディカリズムの欠陥を絶え間なく系統的に批判しなければならない。党は、倦まずたゆまずサンディカリズムの理論的・実践的な弱点を批判しつつ、それと同時に、その最良の分子に、労働組合や全体としての労働者運動に革命的な影響力を与えるための唯一正しい道は、革命的サンディカリストが共産党に入って、次の諸活動に参加することであると説明しなければならない。すなわち、運動のあらゆる基本問題を検討し、経験を総括し、新しい課題を定め、共産党それ自身から不純物を取り除き、共産党と労働大衆との結びつきを強化することである。

 40、フランス共産党の中で全党調査を行なうことが絶対に必要である。党員の社会的地位(労働者、サラリーマン、農民、知識人、等々)、労働組合運動に対する関係(労働組合のメンバーか、共産党の集会や革命的サンディカリストの集会に出席しているか、こうした集会で組合に関する党の決定を実践しているか、等々)、党の機関紙に対する態度(どのような党出版物を読んでいるか)などを確かめるためである。

 こうした調査は、その主な結果が第4回世界大会前に集計できる時期に実施されなければならない。 

1922年3月2日

『フランスにおける共産主義運動』所収

『ニューズ・レター』第33号より

 訳注

(1) ジュオー、レオン(1879-1954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の一人。

(2) メレーム、アルフォンス(1881-1925)……フランスのサンデリカリスト。第1次大戦当初はツィンメルワルト派に属していたが、その後、平和主義陣営に移り、1918年には排外主義者に。


  

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