わが党とその課題

トロツキー/訳 西島栄

【解説】第1次ロシア革命の敗北後の2〜3年間、ロシアの党組織や大衆運動の多くは急速に解体し、多くの活動家、社会主義インテリゲンツィアが党から脱走した。この大規模な崩壊と後退の過程が一段落した1909年に、この論文は書かれている。この論文の中でトロツキーは、少し筒運動の復帰の兆しが見られることに注目し、党が非合法組織を維持しながら、こうした大衆運動に、そして議会のみならず、さまざまな合法的団体や大会に積極的に介入することを党全体に訴えた。そして、こうした実践的行動を通じて、党の統一を実現することを目指したのである。

 革命の敗北後に党の分裂は急速に進行したが、トロツキーはその原因の一つを、党が実践的行動から離れて亡命知識人たちによる抽象的な論争によって席巻されてしまっていることに見ていた。それゆえトロツキーは、論争の必要性を認めつつも、それを行動の統一を破壊しない範囲におさめることが必要であり、何よりも大衆的な運動にすべての分派が参加することで、党を完全な分裂から救うことができると確信していた。この時期のトロツキーの党統一に関するすべての論文にはこの観点が貫徹されている。

 この論文自体は無署名であるが、『プラウダ』の1面に掲載されたメイン論文であり、またその内容からして、トロツキーの筆によるものであると判断した。

Л.Троцкий, Наша партия и ея задачи, Правда, No.4, 2(14) июня 1909 г.

translated by Trotsky Institute of Japan


   転換点

 官僚的予言者や農奴制的地主や資本主義的略奪者によって構成されている反革命的徒党は、没落の脅威におびやかされている。彼らは祖国から盗み取ることのできるものを盗み取ったが、何もつくり出すことはできない。政府は、首吊り縄の全ストックを使い果たすまで、絞首刑と弾圧を続けることができる。しかし、死刑執行人の手の中にはもはや、1〜2年前のような確信はもうない。下部ではすでに反動の氷は揺らぎはじめている。反動はまだ粉砕されていないが、あらゆる方面に亀裂が走っている。政治的マヒ状態は過ぎ去りつつある。工場の煤だらけの窓からも、新鮮でさわやかな風が流れ込みはじめている。いっさいはまだ古いままのようであるが、すでに古いものの下から新しいものが感じられる。そして、このことは、プロレタリアートのすべての生きた細胞の上に現われている。組織の残骸がおとなしく反革命の波間を漂っていた完全な茫然自失状態の時期は、過ぎ去りつつある。ある地方の労働組合は目に見えて強化され、別の地方では、ようやく解凍しはじめ、少し動き始めたところである。同じことは党組織についても言える…。明らかに、われわれは転換点にいる。最悪の状態からよりましな状態へ、墓場のような静けさから、運動と闘争へ。

 

   何をなすべきか?

 わが党の地下インテリゲンツィアの大部分は、永久ないし一時的に、退却するか逃亡した。理由はさまざまであり、口実もさまざまであるが、いずれにせよ、彼らは自らのポストを放棄した。党内および党外――こちらの場合の方がはるかに多いが――の活動のあらゆる分野は、次から次へと労働者自身の手に移りつつある。これが、わが党の発展の基本的な事実であり、このことはまた、分派の違いなくすべての者によって意識され認識されている。この点で意見の対立はない。したがって、この根本的な事実から出発し、それにもとづいていっさいを建設しなければならない。

 先進的労働者は、現在、労働組合、協同組合などで活動していて、工場で常に最初の声を発し、あらゆる合法的大会で発言している。こうしたことをやる者はみなほぼ全面的に社会民主主義者であり、彼ら自身、自らを社会民主主義者とみなしており、社会民主主義者として発言している。この巨大な歴史的貢献こそ、われわれの古い地下党のはかりしれない成果である。しかし、これらの社会民主主義労働者は、党的な意味では相互に結びついていない。それだけではない。彼らは、常に党の結びつきを尊重するということからはほど遠く、党を建設ないし再建しようと絶えざるを努力をするということからもほど遠い。その理由の一つは、閉鎖的な地下活動が彼らを満足させないということにある。革命期に甘い果実を味わった彼らは、今や〔地下活動という〕苦いものを味わいたくないと思っている。もう一つの理由は、分派闘争がまさに地下活動においてはるかに病的な現象を蔓延させており、しばしばまったく耐えがたい雰囲気をもたらしていることである。だが、さらにもう一つの理由は、広範な労働者層――その一部は現在責任あるポストについている――が一度も党に入ったことがないことである。彼らは、党から、自分たちの階級闘争の要求に合致したスローガン、思想、概念だけを受け入れた。彼らはその後、革命の豊かな経験を積み、本格的な組織的技術をわがものとした。そして現在、彼らはこれらの資本を元手に生きている。社会民主主義者として、だが社会民主党なしに

※原注 本号掲載の「ペテルブルクからの手紙」を参照せよ。

 しかしながら、問題はこの水準にとどまらない。相互の党的な結びつきを失ったことで、社会民主主義労働者は、たちまちのうちに、プロレタリアートのより後進的な層に指導的立場から働きかける可能性をも失った。社会主義労働者間の政治的結びつきが切断されたなら、いったい何が残るのか? 残るのは、おそらく、経験豊かなオルガナイザー、労働組合の経理、労働組合機関紙の編集者であろう。しかし、さまざまな職種の労働者を自己の隊列の中に包含し、プロレタリアートのすべての必要と要求を一個に統一し、日々の階級闘争を社会主義革命の見地から解明する統一的な組織はどこにあるのか? 社会民主党はどこにあるのか? それは解体し、消失しつつある。さらにそれとともに、すべてのプロレタリア組織において、実践的課題が低迷し、沈静化し、小事へと分解し、組織の指導部と一般メンバーとのあいだの結びつきが弱まり、労働組合の戦闘的エネルギーも低下した。今号の『プラウダ』に掲載されているペテルブルクからの通信にはすでに、「先進」層と大衆とのあいだ、指導部と平メンバーとのあいだに不和が生じていることに対する嘆きが聞かれる

※原注 「『プラウダ』とペテルブルク労働者との往復書簡」を参照せよ。

 もしこのような状況が長引くなら、われわれは、これまでの時期に党によって蓄積されたすべての資本をいつのまにか浪費してしまうことになるだろう。

 しかし、そうはならない! 先進的労働者は長期にわたって党から離れていることはないだろう。インテリゲンツィアはブルジョア社会のふところに逃げ込むが、労働者にはどこにも逃げる場所はない。合法組織そのものにおける労働者の要求からして、明日にでも彼らは政治的・革命的・社会民主主義的結びつきを求めることを余儀なくされるだろう。そしてそれはすでに今日余儀なくされている。古い党の覆いの下ではすでに新しいものが姿を現わしはじめている。そしてわれわれの課題、すなわち社会民主党のすべての生きた分子の課題は、この健全で純粋にプロレタリア的な新しい基盤にもとづいて、社会民主党の再生と成長を促進するために全力を尽くすことである。

 

   党と合法闘争

 党組織は、あらかじめ準備された設計図のもとに建設される蒸気機関ではない。党は常に、階級闘争の生きた諸形態に適応しながら、活動の過程そのものの中で作り変えられる。ロマノフ、アゼーフ(1)、ドゥブローヴィン(2)といった連中が支配しているロシアにおいて、わが党の機構は非合法でしかありえない。しかし、このことは、党が大衆の生活と闘争のあらゆる公然形態を捨て去らなければならないことを、いささかでも意味するものではない。反対である。常にあらゆるところで、社会民主党は労働者の先頭に立たなければならない。経済ストライキにおいても、議会においても、兵士の中でのアジテーションにおいても、学習サークルにおいても、バリケードにおいても、協同組合のカウンターにおいても。党は、地下活動に閉じ込められる場合であれ、公然の舞台に打って出る場合であれ、それにかかわりなく革命的でありつづける。わが党は、「合法性」に対するアナーキスト的恐怖を知らないし、「非合法性」に対する警察的恐怖とも無縁である。党は、労働者階級が生活し思考し闘っているあらゆるところに向かう。そして、どのような状況下においても、自分自身でありつづける。現在の体制が党に与えているあらゆる手段を用いて、プロレタリアートを社会主義革命の自覚した軍隊へと結集する。まさにこのことが、わが党を現代世界における最も革命的な党にするのである。

 労働組合、協同組合、学習サークル、文学・音楽・スポーツ関係の諸団体――これらすべては、労働者の結合、彼らの階級闘争、彼らの文化生活のさまざまな諸形態である。もちろん、これらの形態の重要性は一様ではない。しかし、われわれ社会民主主義者は、これらの団体のどれ一つとして、それを支え指導することに無関心でいることはできない。われわれは、労働者がよりよい労働条件(労働組合の場合)、ないし、必需品のより有利な購入条件(協同組合の場合)を求めて闘っている場所にも、労働者が理論的知識を獲得し蓄積する場所にも(学習サークル)、労働者が文化・芸術に近づこうとしている場所にも(文学サークル等)、いなければならない。われわれは、革命期に獲得されたただの一つの合法的陣地も、獲得された土地のただの一寸も、闘争なしに警察的反動に譲り渡してはならない。そしてこの陣地には、わが国の国会の演壇も入る。われわれはもっぱら、総力を挙げてこの演壇に押し入って、それをロシア全体の演壇にしなければならない。そしてわが党の国会議員団を、数万の自覚的労働者の油断のない能動的な統制のもとに置かなければならない。

 それと同時に、労働者の日々の闘争にもとづいたこれらすべての組織において、われわれは、最も遅れた労働者に次のことを示さなければならない。社会主義のための、広範で切り縮められも盗まれもしない公然たる闘争は、資本主義の廃墟の上でのみ考えられるし、可能であるということを。したがって、プロレタリアートの共同のあらゆる形態を通じて、あらゆる合法的・半合法的組織を通じて、われわれは、労働者を社会主義的結びつきでもって結合し、この結びつきを組織的に打ち固め、この結びつきの上にわれわれの党を建設しなければならない。

 かくして、この問題におけるわれわれの戦術はまったく明白である。

 社会民主主義労働者は、労働組合の中に入らなければならない。同様に、組合の政策に、社会民主主義的な意味で影響を及ぼさなければならない。協同組合、各種サークルやクラブにおいてもまったく同じことが必要である。社会民主主義者は、すべての根本的問題において同一方向の政策を堅持し、それをすべての労働者組織の中で友好的な形で実行しなければならない。このことを達成することができるのは、恒常的な共同体、すべての当面する諸問題を集団的に討議し、政治的スローガンを共同で作成する機関が存在する場合のみである。言いかえれば、これが可能になるのは、あらゆる無党派の労働者組織の内部で活動しているすべての社会民主主義細胞を包括し、これらの細胞を通じて労働者大衆のあらゆる公然行動に系統的に影響を与える党組織が存在する場合のみである。

 したがって以下のようになる。

 1、社会民主主義者は、すべての合法的・半合法的・非合法的なプロレタリア組織に入り、それらの統一のために闘い、それらの組織を拡大強化すること。

 2、社会民主主義者は、これらの組織の中で社会民主主義者であり続けること。自分たち自身の間での組織的結びつきを確立し、社会民主主義の精神にのっとって、無党派の組織に働きかける努力をすること。

 3、すべての社会民主主義分子のこうした必要不可欠な結びつきにもとづいて、わが党の非合法組織を発展させ強化しなければならないこと。

 

   党派性と中立性

 こうした観点から見るなら、労働組合の「党派性」と「中立性」との矛盾――この問題は、最近わが党の文献でこのような形で提起されている――は、実践的に完全に後景に退く。

 党派性とは、既存の無党派的組合に提起することができるような要求ではないし、その名のもとに、既存の組合と並んで独自の社会民主主義的組合を建設することのできるようなものでもない。そうではなく、党派性とは、われわれ社会民主主義者が無党派の組合の中で活動する際に必要で義務的な方向性を定めた指導的原則である。

 中立性とは、何らかの原則ではなく、あるがままを表現したものにすぎない。組合は組織的に党の外に立っている。これは、何はともあれ一つの事実である。この事実を抽象的に確認したからといって何も変わりはしない。組織的に組合を分裂させて、経済闘争に混乱を持ち込みかねないようなあらゆる措置は、政治組織に分裂を持ち込むことと同じくらい犯罪的である。労働者にはどちらにおいても統一が必要である。

 組合を党に近づけ、そのことによってプロレタリア運動の統一を保障するためには、社会民主党は、組合のために多くの活動を担い不屈に働くことが必要であり、党機構の助けをかりて組合に貢献することが必要であり、組合の中で影響力を獲得し、党の権威を高め、こうして、実践を通じて大衆に、組合と党が同じ階級的身体の2本の手であることを示さなければならない。

 組合の党派性は、巨大な課題であって、形式的な原則ではない。そして、実際には、2つの分派は――あれこれの側への偏向をともないつつも――、まさにこの課題、すなわち中立性から党派性への移行を実践的に解決するために、組合の中で活動している。そして、活動しないわけにはいかない。残る問題は、実践的熟達、組織的創意工夫、等々である。しかしこれはすでに原則の問題ではなく、経験と習熟の問題である。そしてこの点では、われわれはみな――分派の違いなしに――まだ7つの鍋の中で煮える[困難な試練を経る]必要がある。

 われわれは以下のことを主張し繰り返す。

 われわれ社会民主主義者が党として労働組合の中で何をなすべきかという問題を実践的基盤にもとづいて提起するならば、中立主義者と党派性の支持者との矛盾は具体的な実践的内容を失い、それとともに労働組合における全党的戦術の統一性が完全に可能になるし、したがってまた義務的になる。

 

   手工業性から党の政治へ!

 党が自らの力を形成し発展させることができるのは、その政治活動の広範な枠組みが存在する場合のみである。現在われわれにとって光や空気や水のごとく必要なのは、われわれの革命活動を統一すること、政治的戦術を系統的に実行することである。

 すでに、革命前の時期に、ロシア社会民主党は自覚的に、専制の野蛮な状況を克服し、革命的「手工業性」から全国にわたって統一された戦術へと移行しようと努力してきた。われわれはこのことに半分だけしか成功しなかった。その代わり、革命は一振りでわが党の戦術を統一し、ばらばらの委員会・サークル・グループを政治的全体の機関に変えた。反革命は、全力を尽くして、われわれを原始的な状態に逆戻りさせようとしている。われわれの合法出版物は圧殺された。公然集会の可能性は一掃された。党は法律の外に置かれた。われわれの組織は破壊され、解体された。そして、われわれは事実上、組織的・政治的手工業性に逆戻りした時期を過ごした。組織的に破壊され、分派闘争によって引き裂かれたことによって、プロレタリアートの統一した行動の機関としての党は現在、存在していない。

 始まりつつある政治的活性化は、わが党が一個の全体として政治闘争に系統的に介入する能力があるかどうかという問題を、きわめて先鋭な形で提起している。断固たるイニシアチブが必要であり、われわれは何よりもこのことを党の指導機関に要求する。そのイニシアチブとは、党の委員会・グループ・細胞のばらばらで混沌とした活動を政治的に統合することに向けたイニシアチブである。反革命的テロルの猛威にもかかわらず、われわれは現在、この課題を解決するのに、革命前に比べてはるかに有利な諸手段を有している。われわれは、人的手段と経験の点ではるかに豊かになっているし、プロレタリアートの全般的な政治的水準も著しく高まった。合法的な可能性と手がかりも以前より多いし、最後に、われわれには国会の演壇もある。それは戦術の統一という事業において、はかりしれない貢献をすることができる。

 必要なのは、党のすべての組織と機関――中央委員会、国会議員団、中央機関紙、地方委員会、党出版物――が、党全体にとっての統一したスローガンのもとで、系統的に政治カンパニアを組織し、それを計画的に実行することである。

 必要なのは、このカンパニアに――各地方の統一された社会民主主義分子を通じて――労働組合、協同組合、サークル、クラブ、未組織の労働者大衆を引き入れることである。

 当面する課題がいかなるものであろうとも――それが公共事業の組織化であれ、労働立法の法案作成であれ、ペルシャに対する帝政ロシアの介入に対する抗議であれ――、いずれの場合においても、党の影響が及んでいるすべての大衆をいっせいに動員することが必要不可欠である。

 中央委員会の声明、国会におけるわが党議員の演説、各地方での宣伝ビラ、党新聞での論文、口頭のアジテーション、さまざまな労働者組織や個々の集会の声明や決議――これらはすべて、統一した政治的スローガンによって意義づけられ中央集権化されなければならない。

 われわれの政治的手工業性を克服する過程においてのみ、党を戦術的に統合する過程においてのみ、われわれは、労働者階級の中に分散した社会民主主義分子を一個に結集し、確固たるプロレタリア的基盤にもとづいてわが党を再建することができるのである。

 

   意見の相違と行動の統一

 しかし、意見の相違があるもとで行動の統一を達成することは可能だろうか? 可能だ! これに否定的に答える者は、そのことによって党の存在そのものの可能性を否定しているのである。

 わが党は大政党である。それは、さまざまな見解、さまざまな気質、さまざまな発展水準をもった多くの人々を包含している。しかし、彼らは基本的な点で相互に一致している。そしてこの基本点はわれわれの党綱領の中に表現されている。基本的諸問題に関するこの思想的な一致のうちには、われわれを実践において団結させる他のはるかに強力な要因が示されている。それは、階級としてのプロレタリアートの社会的均質性であり、資本主義的奴隷制の圧力のもとで生じるその利害の統一性、要求の統一性である。これこそまさに、党を完全に分裂させようとするわが党の分派の試み(1905年初め)が下部で克服不可能な障害にぶつかり、分裂しかかっていた組織が労働者の圧力のもとで再び統一せざるをえなかった(連合委員会、ストックホルム大会)ことの理由である。

 何をなすべきかという問題は、わが党においてけっして、どのように考えるべきかという問題ほど意見を分岐させはしない。現在の事件をどう理解するべきかという問題は、わが党においてはけっして、将来の事件についてどう考えるべきかという問題ほど意見の対立を生みはしない。

 この事実は何を意味するか? この意味は明白である。階級的実践から遠ざかれば遠ざかるほど、プロレタリアートの闘争の生きた現実から遠ざかれば遠ざかるほど、ますます意見の対立は先鋭で非和解的なものになり、経済的・政治的闘争の生きた問題に近づけば近づくほど、ますます接点は大きくなり、ますます意見の一致が大きくなる、ということである。

 一個の全体としての党は、理論的予測によって生きているのでもなければ、革命の将来の道筋の探求によって生きているのでもなく、哲学的論争によって生きているのでもない。党は政治的行動によって生きているのである。党組織は、実践を通じて、実践のために形作られる。今日の焦眉の問題のために、当面する諸要求のためにこそ、広範な労働者大衆は、労働組合や政治組織に結集されるのである。

 階級的軍隊の先進的部隊たるマルクス主義者が、科学的探求を通じて、現在と将来とを結合しなければならないことは、議論の余地のないことである。彼らには、発展の将来の歩みを考慮に入れる義務がある。そして、事件が実際にはわれわれの予測していたものとまったく異なった形で進んだとしても、それでもやはり、未来を見通そうとするわれわれの努力はわれわれの意識を深化させ、われわれの視野を広げ、今日の政策を豊かにするだろう。このことに疑いの余地はない。しかし、そのさい一つの条件がいる。明日の問題をめぐる意見の対立が、今日われわれが一丸となって打って出ることを妨げないことである。理論的論争が、われわれの政策を豊かにするようにしなければならず、われわれの政策を混乱させることになってはならない。

 したがって、われわれが党に向けて発する訴え、自覚的プロレタリアートがそれをつかみ取るだろうとの確信をもって発する訴えは、そして、われわれが次の党大会に向けて送る訴えは、こうである。現在進行中の闘争の問題により接近せよ! 党活動の当面する課題により接近せよ!

ウィーン『プラウダ』第4号

1909年6月2日

『トロツキー研究』第36号より

   訳注

(1)アゼーフ、エヴノ(1869-1918)……ロシアのテロリストで秘密警察のスパイ。エスエル戦闘団の指導者として、内相プレーヴェ、セルゲイ大公などの暗殺を組織。1908年に、スパイ摘発の専門家ブルツェフによってスパイであることが暴露され、翌年、エスエル党中央委員会により死刑を宣告。1915年にドイツで捕らえられ、ベルリンで没。

(2)ドゥブローヴィン、ア・イ(1855-1918)……ロシアの黒百人組の指導者。「ロシア国民同盟」の創立者で、機関紙『ルースコエ・ズナーミャ(ロシアの旗)』の編集者。ポグロム組織者。1918年に銃殺刑に処せられる。


  

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