アヴァス通信社とのインタビュー

トロツキー/訳 西島栄

【解説】このインタビューは、メキシコに亡命したトロツキーが、スペイン入国後はじめてスペイン内戦について論じたものである。アヴァス通信社は、フランスのジャーナリストであるシャルル・アヴァスによって1835年にパリで設立されたヨーロッパ最古の通信社である。

 トロツキーはこのインタビューの中で、「スペイン共和軍に対する支援を拒否することができるのは、卑怯者、裏切り者、ファシズムの手先だけである。すべての革命家にとって第一の義務は、フランコ、ムッソリーニ、ヒトラーの徒党と闘争することである」という原則的立場を確認するとともに、カタロニア政府へのPOUMの入閣を、1936年2月における人民戦線の選挙連合への参加と並ぶ第2の誤りとしてはじめて言及している。トロツキーは、スペインの労働者・農民が勝利したらヨーロッパ戦争になるというブルジョアジーやスターリニストの予言を断固として否定し、事実はその逆であること、スペインにおけるフランコの勝利こそヨーロッパ戦争を早めることになると断言した。歴史はトロツキーの予測が正しかったことを明らかにした。スペイン共和派への支援を拒否したフランス人民戦線政府は、まさにそのことによって、数年後におけるフランス共和制の死刑執行書にサインしたのである。

Translated by the Trotsky Institute of Japan


 共和派戦線と義勇兵を援助するために私が何らかの「指令」を与えたか否か? 私は誰に対しても「指令」など与えたことはない。そもそも、私は「指令」など与えない。論文の中で自分の意見を表明するだけである。スペイン共和軍に対する支援を拒否することができるのは、卑怯者、裏切り者、ファシズムの手先だけである。すべての革命家にとって第一の義務は、フランコ、ムッソリーニ、ヒトラーの徒党と闘争することである。

 スペインの政府連合の左翼にいるのは――部分的には野党でもあるが――POUMである。この党は「トロツキスト」ではない。私は、この党のメンバー、とりわけ青年たちが前線における闘争で発揮したヒロイズムに暖かい共感を抱きながらも、この党の政策を多くの機会に批判してきた。POUMは「人民」戦線の選挙連合に参加するという誤りを犯した。この連合政府の影に隠れて、フランコ将軍は数ヵ月間かけて、今やスペインを破壊している武装蜂起を大胆に準備してきたのである。革命政党たるもの、盲目と犯罪的寛容さの政策に対するいかなる責任をも――直接的にであれ間接的にであれ――引き受けてはならなかった。それがなすべきは、大衆に対して警戒を呼びかけることであった。

 POUMの指導部は、カタロニア政府に入閣するという第2の誤りを犯した。前線において他の諸政党と手に手を取って戦うのに、これらの政党の誤った政府政策の責任を引き受ける必要はいささかもない。一瞬たりとも軍事戦線を弱めることなく、いかにして大衆を革命の旗のもとに結集するべきかを知る必要がある。

 内戦においては、通常の戦争よりもはるかに、政策が戦略を支配する。ロバート・リー(1)は軍事指揮官としては間違いなくグラント(2)よりも才能があったが、黒人奴隷制の廃止という綱領のおかげで勝利はグラントの手中に落ちたのである。ロシアにおける3年にわたる内戦においても、軍事的手法と軍事技術の優位性はしばしば敵側の方に十分あった。しかし、結局のところ、勝利したのはボリシェヴィキの綱領だったのである。労働者は自分たちが何のために戦っているのかを非常によく知っていた。農民は永らく躊躇していたが、2つの体制を経験にもとづいて比較した結果、結局はボリシェヴィキ側を支持したのである。

 スペインにおいては、コーラスを高音から指導しているスターリニストたちは、ある定式を提起した。それは、共和国政府の首相であるカバリェーロ(3)も固執しているものである。すなわち、最初に軍事的勝利、次に社会改革。この定式はスペイン革命にとって致命的である。実際において、[共和派とファシストの]2つの綱領の間に根本的相違を見いだせない勤労大衆、とりわけ農民は無関心に陥るだろう。こうした状況のもとでは、ファシズムは不可避的に勝利するだろう。なぜなら、純軍事的な優位性はファシストの側にあるからである。大胆な社会改革は内戦における最も強力な武器であり、ファシズムに勝利するための根本的な条件である

 スターリンはこれまでも常に革命的状況下において日和見主義者であることを自己暴露してきたが、スターリンの諸政策を導いているのは、フランスのブルジョアジー――とりわけ、フランスの人民戦線に対して、紙の上で公式の宣戦布告をするはるか以前から敵対していた「200家族」――をおびえさせることに対する恐怖です。スペインにおけるスタ ーリンの政策は、1917年におけるケレンスキーの政策よりもむしろ、1918年のドイツ革命におけるエーベルト(4)とシャイデマン(5)の政策を繰り返すものである。ヒトラーの勝利は、エーベルトとシャイデマンの政策に対する罰なのである。ドイツにおいては、その罰は15年遅れたが、スペインにおいては、その罰は15ヶ月もしないうちににやってくるだろう

 しかしながら、スペインの労働者と農民の社会的・政治的勝利はヨーロッパ戦争を意味するのではないか? 反動的臆病さによって動機づけられたこのような予言は、根本的に誤っている。もしスペインでファシズムが勝利したならば、フランスはけっして抜け出すことのできない万力の中にとらえられるだろう。フランコの独裁はヨーロッパ戦争を不可避的に早め、フランスは最も困難な状況に置かれるだろう。つけ加えるまでもないことだが、ヨーロッパ戦争は、フランス人民から最後の一滴まで血を搾り取り、彼らを没落に導くだろう。そして同じ理由から、全人類に恐るべき打撃が与えられるだろう。

 他方、スペインの労働者と農民が勝利したならば、それは疑いもなくムッソリーニとヒトラーの体制を揺るがすだろう。ファシスト体制は、そのまったく異様で全体主義的な性格ゆえに、揺るぎない堅固さを有しているかのような印象を生み出している。しかし実際には、ファシスト体制は、最初の深刻な試練にさらされるやいなや、内部爆発の犠牲になるだろう。勝利したロシア革命はホーエンツォレルン体制の力を掘りくずした。勝利したスペイン革命はヒトラーとムッソリーニの体制を掘りくずすだろう。この理由だけからしても、スペインの労働者と農民の勝利がただちに平和のための強力な力であることがわかるだろう。

 スペインにおける真の革命家の任務は、軍事戦線を打ち固め強化することであり、ソヴィエト官僚の政治的後見を粉砕することであり、大衆に大胆な社会的綱領を提示することであり、そうすることによって革命の勝利を確保し、まさにそうすることで平和の大義を守ることである。そこにのみヨーロッパの救いがある!

1937年2月19日

『スペイン革命(1931-39)』(パスファインダー社)所収

『ニューズ・レター』第18号より

  訳注

(1)リー、ロバート(1807-1870)……アメリカの軍人、南北戦争における南部連合の総司令官。各戦線で活躍したが、北軍のグラント将軍に敗れて降伏。

(2)グラント、シンプソン(1822-1885)……アメリカの軍人・政治家、南北戦争における北軍の総司令官。1961年、南北戦争の勃発とともに北軍に従軍。ミシシッピ川流域の作戦で軍功をあげ、北軍の総司令官になる。1968年、軍事的英雄として大統領に当選(第18代、1869-77)し、再建政策を実施。

(3)カバリェーロ、フランシスコ・ラルゴ(1869-1946)……スペインの社会主義政治家、スペイン社会党の左派指導者。1936年9月から1937年5月まで人民戦線政府の首相。

(4)エーベルト、フリードリヒ(1871-1925)……ドイツ社会民主党の右派。第1次大戦中は排外主義者。1919年にドイツの大統領。ドイツ革命を弾圧し、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの暗殺に関与。

(5)シャイデマン、フィリップ(1865-1939)……ドイツ社会民主党右派。1903年から国会議員。第1次世界大戦においては党内排外主義派の指導者。1919年に首相。ドイツ労働者の蜂起を鎮圧し、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの暗殺に関与。


  

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