社会主義的蓄積の法則、計画原理、工業化のテンポ

そして――無原則
トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、社会主義的本源的蓄積をめぐるプレオブラジェンスキーの所論を批判した未発表の覚書である。プレオブラジェンスキーの蓄積論は、彼が左翼反対派の論客であったこともあって、左翼反対は全体の共通した立場であるかのように、とりわけトロツキーの立場と同一であるかのようにみなされていた。しかし、トロツキーは、プレオブラジェンスキーの一国主義的なアプローチの仕方には反対で、そのような一国主義的アプローチは、工業化の際、国内の資源だけで蓄積を推進することを助長することになり、結局、発展テンポを緩慢にするか、あるいは、急速に工業化しようとしてロシア人民に、なかんずくロシアの農民に過度な負担を与えることになると考えていた。

 プレオブラジェンスキー自身は、トロツキーのこうした「世界市場的アプローチ」を知った後の1926年以降、世界経済との結びつきの重要性をも強調するようになるが、しかしその基本的スタンスはどこまでも一国的なものだった。1928年以降、スターリンが、主としてロシア農民からの収奪にもとづいて馬車馬的工業化を開始したとき、プレオブラジェンスキーがスターリンに屈服したのは、けっして偶然ではなかったのである。

Л.Троцкий, Закон социалистического накопление, плановое начало, темпо индустриализаций и――беспринципность, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР, Том.2, 《Терра-Терра》, 1990.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 1、価値法則と社会主義的蓄積との相互作用(闘争と協力)という見地からわが国経済を分析することは、原則的にはきわめて有益である。より正確に言えば、唯一正しい。こうした研究は閉鎖的なソヴィエト経済という枠内で始まざるをえなかった。しかし今や、こうした方法論的アプローチが「一国における社会主義の発展」という完結した経済的展望に転化してしまう危険性が生じている。こうした哲学の支持者たちは、これまでレーニンからの引用の誤った解釈に依拠していたのだが、今や、方法論的アプローチを疑似自足的な過程の普遍化に変えてしまうことによって、プレオブラジェンスキーの分析を利用しようとするだろう、と予想しうる。そこで、どうしても、このような剽窃や模造品を避けて通るわけにはいかないのである。価値法則と社会主義的蓄積との相互作用を検討する際には、それを世界経済の脈絡の中に置いて考えなければならない。そうすれば、価値法則というものが、ネップの制限された枠組みの中では、世界市場の価値法則という外部からの増大しつつある圧力によって補完されていることが明らかとなるだろう。

 2、この点に関して、わが国経済の発展テンポの問題、したがって何よりもまず、工業化のテンポの問題がより決定的な意義を有している。外国貿易の独占は、社会主義的蓄積に貢献する強力な要素であるが、万能の要素ではない。外国貿易の独占はただ、ソヴィエトにおける生産物の価値が世界市場における生産物の価値に年々近づいていく程度に応じてのみ、外部からの価値法則の圧力を抑制し規制することができるのである。もちろん、ソヴィエトの生産物の価値を計算するに際しては、社会立法という間接費を考慮に入れなければならない。しかし、経済体制の世界的な競争という枠組みの中では、先に指摘した要求は完全に有効である。すなわち、ソヴィエト工業の発展テンポは、ソヴィエトの生産物の価値が世界市場の生産物の価値に――労働者や農民にとって目に見えるほど明白に――近づいていくことを保証するものでなければならないのである。

 3、第14回党大会の決議は、工業化の限界として「市場の購買力と国家の手持ちの財政資金」を指摘している。だが、この限界は唯一のものでもなければ、基本的なものでもなく、ただ他の限界が市場と貨幣の分野で現象したものを経験的に表現しているにすぎない。問題をこのように立てるならば、国民経済の発展からのわが国工業の立ち遅れは、商品不足および、卸売りと小売りの鋏状価格差のうちに表現される。こうした指摘に応えて、グーセフたちは、2つの――お互いに無関係な、実際にはお互いに矛盾した、いずれにせよ同じくらい根拠のない――反論を持ち出している。一つ目は、工業を立ち遅らせないよう、そしてそれの指導的な役割を確保するよう要求する人々は、超工業化論者である。2つ目は、市場にもとづいて工業の発展段階を規定する人々は農民を恐れており、生産手段の生産を市場にあわせるわけにはいかないということを忘れている。

 4、かくして、固定資本の更新という問題に答えようとして、今や社会主義的蓄積と計画原理という問題に経験的にぶつかった人々は、こうした自らの新発見を工業化論者に、すなわち、この件に関しては特別に、超工業化論者から、農民市場に屈服した農業問題専門家に転じた工業化論者に対置しているのである。

 5、だが、このことは、社会主義的蓄積論への改宗者たちが計画原理の問題においてひき続き古い見地、すなわち本質的に市場の見地にとどまることをけっして妨げはしない。この数年間、計画原理は――もっぱらではないにせよ――主として、その年その年の枠内で、市場にもとづいて経済の諸要素を組み合わせ、それを利用するという点にあった。複雑で建設的な計画上の課題を解決するという問題は、固定資本の更新と拡大とが必要不可欠であることから今や完全に猶予できないものとなっている。この分野においては現在、社会主義的な問題設定こそが最も明確な表現をとらなければならないのである。それにもかかわらず、しかるべき修正は拒否された。

 6、ソヴィエト経済と世界経済との相互作用という問題は、あらゆる見地からして、ますます決定的な意義を帯びてきている。このことは、価値の蓄積法則や経済テンポに関連してすでに指摘しておいた。ソヴィエト連邦のいわゆる経済的独立の問題にとって、外国貿易はそれに劣らぬ意義を有している。この問題をあらゆる角度から、そして、できるだけわが国の輸出入の基本的な諸要素の研究にもとづいて、分析しなければならない。この方向にそって、5年程度の展望を作成しなければならない。経済的な結びつきと相互依存関係の増大は、いかなる弁証法的な道を通じて、工業の「独立」を準備するのかをぜひとも示さなければならない。

 7、農業と工業における蓄積を分配し再分配する問題、および民間と国家における蓄積を分配し再分配する問題と結びつけて、われわれは、まるでわれわれが農村を「植民地」のように考えているかのように言う伝説をひっくり返さなければならない。

 8、中央委員会総会において、経済と党体制との結びつきはまったく解明されずに残された。しかしながら、この結びつきの意義は測り知れないほど大きい。

 節約の問題は第14回党大会とその決議の中で十分鋭く設定された。しかし、第12回党大会で節約問題がきわめて鋭く提起された(地方党組織やソヴィエト組織や労働組合組織によって経済企業から徴収される上納金、無意味な広告、等々)にもかかわらず、その第12回大会以降、必要な成果が得られていないのはどうしてなのか、という問題はまったく解明されてない。まったく明らかなのは、国内世論、とりわけ党内世論の積極的な参加と統制なしには成果を得ることは不可能であるということである。この点にすべての問題の鍵がある。

 経営担当者の職員を選抜することは、業務上の考慮にもとづいて行なわれなければならない。経営担当者は、自分自身に対する労働者や党などの世論を自覚しなければなければならない。

 ところが官僚主義体制は、経営担当者がただ機構――なかんずく党の書記たち――に対してのみ責任を自覚するという点にその特徴がある。このような状況は、経営担当者の正しい選抜という見地からしても、正しい経営体制の確立という見地からしても、そして何よりも、最も厳格な節約の見地からしても、等しく有害である。

1926年5月2日

『トロツキー・アルヒーフ』第1巻所収

『社会主義へか資本主義へか』(大村書店)付録より


  

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