この忌まわしい殺戮はいつ終わるのか?

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、ロシア臨時政府による6月攻勢とその破綻、7月事件とその後に続いた革命派に対する大弾圧、レーニン、ジノヴィエフの地下潜伏、トロツキー、コロンタイ、ルナチャルスキーの逮捕といった状況の中で、トロツキーが獄中で書き上げた一連のパンフレットの一つである。

 このパンフレットの中でトロツキーは、4年にもわたって続いている戦争の悲惨さ、民衆がこうむっている途方もない犠牲と困窮を感情豊かに描き出し、戦争を主導しているブルジョアジー、王朝・皇帝、大臣、その戦争を支えている「社会主義者」たちを徹底して糾弾している。このパンフレットは、戦争はもうごめんだとの声を上げはじめたロシアの兵士、労働者、農民の心を揺さぶり、『次は何か――総括と展望』というパンフレットとともに、革命の勝利に大きな貢献を果たした。

今回アップしたものは、本邦初訳であり、どの言語にも翻訳されたことはない。

Л.Троцкий, Когда же конец проклятой бойни?, Сочинения, Том.3, 1917, Час.1, Мос-Лен., 1924.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 戦争が始まって4度目の秋がロシアに迫りつつある。雨が降り、秋の風が通りの十字路や戦場に吹き荒れる。わが祖国の都市には重苦しく不安な空気が漂い、貧しい農村に喜びはない。前線――縦に走る塹壕のこの黒い線では、われわれの兄弟たち、ロシアの労働者や農民たちが斃れていっている。雨と血でぬかるんだ大地。地獄の声のように鳴り響く大砲の轟音。人々は突撃し、正気を失って叫び声をあげ、絶望的に走り回り、狂乱状態に陥り、そして死んでゆく。無数の人々が死に、数えきれない人々が斃れていく…。

 そして、すでにこれが4年目に入っているのである。だが終わりは見えない。途中でやめるわけにはいかない――と、すべての国の統治者は言う――「最後まで戦争を遂行しなければならない」。獰猛なドイツ軍国主義者どもを打ちのめして二度と足腰立たないようにしなければならない!――と、ロシア、イギリス、フランス、イタリア、アメリカの「愛国者」は言う。「わがドイツ臣民よ聞いたか?――と、全身血まみれのドイツ皇帝は答える――敵どもはわれわれを粉みじんに粉砕することを欲している。だが、わがドイツの労働者と農民はわが王座の周囲に堅く団結している。最後まで戦争を遂行しなければならない。完全な勝利まで!」。このように、両陣営とも相互に相手の言葉を引き合いに出し、攻撃には攻撃でもって、破壊には破壊でもって、死には死でもって答えている。「最後まで戦争を遂行しなければならない!」。だが最後とはどこまでなのか? 4度めの秋の冷たい雨は戦場を泥地と化し、終わりは見えない。

 大戦中に700万もの人々がヨーロッパで死んだ。すなわち、1日平均6000人の人間が死んでいる計算になる。すべての参戦国で500万人もの負傷者が戦闘で出た。すでに冬季戦役が予定されている。まもなくすべての国の国民は自国の統治者からこう聞かされるだろう。「来年の春には、大規模で決定的な攻勢を開始するぞ…。最後まで戦争を遂行しなければ!」。

 とっくに、すべての国の将軍や外交官や政治家たちは、この戦争ではどの国も完全な勝利を収めることはないだろうと確信している。ドイツは陸上では大きな優位性を確保しているが、海へ出る道をすべてさえぎられている。どの大国も、勝利国として敵国に講和を受け入れさせる力はない。今やドイツ軍はリガ[ラトビア共和国の首都]を陥落し、戦線は、多くの兵士の戦死という犠牲を払って、何十ヴェルスタか前方に移動した。しかし、戦争はまったく平和には近づいていない。イタリア軍は、恐るべき暴力を用いて、いくらか前進した。フランス戦線は、両国に無数の犠牲者を出しながら、ほとんど同じ地点にとどまっている。この無意味な戦争に出口はない。製粉小屋の目隠しされた馬が全力を出しながらも一つの地点にとどまっているがごとく、ヨーロッパの何百万もの軍隊は、血を流しながらも、戦争を死点から動かすことができない。

 そして、すべての政府はこのことを知っている。だが彼らは講和を締結することができない。政府は平和を恐れている。なぜなら、平和の最初の日が決算の日になることを予感しているからである。

 塹壕と名づけられた血まみれの穴から出てきた衰弱した兵士たちを向かえたのは、窮乏化し荒れはてた町と村であり、そこには数百万の傷病者、数百万の寡婦と孤児、数百万の老人があふれている。最後の支えを失った兵士たちは、呪いと脅しの言葉とともに、政府に対して手を振りあげている。

 「いっさいの責任は君たちにある。君たち、皇帝と国王に、大統領と大臣に、ブルジョア議員、銀行家、資本家に。君たち、嘘つきの新聞屋たちに、君たち、主教、司祭、ラビ、牧師に! この戦争を引き起こしたのは君たちだ。かつてわが大地を汚したあらゆるものの中で最も血ぬられ最も下劣な戦争を。戦争を準備し唱導したのは君たちだ。それに教会・聖堂・ユダヤ教会・モスクの祝福を与えたのは君たちだ! 君たちは、われわれとわが兄弟たちからすべてを奪いとった。生命、健康、果実、われわれの労働を。代わりに君たちが与えたものは、貧困と新しい鉄鎖だ!」。

 そして、すべての交戦諸国の政府は、自らが犯した犯罪の重みの下で、ただ一つのことを気にかけている。恐るべき決算の時を先に延ばすことである。各国政府は、過去3度にわたる冬季戦役の借りを返そうとして、4度目の冬季戦役を準備している。しかし結局、ちょうどゲームに負けた者がゲームを長引かせるのと同じく、破産の時を先にのばそうとしているにすぎない。

 ドイツの母や妻たちは、群れをなして都市の街頭に繰りだし、平和とパンを求めている。不安に満ちた不平不満がドイツの都市大衆を支配している。そこで、ドイツ皇帝は自分の軍隊に新たな暴力をふるうよう強制している。パンと平和の代わりにドイツ国民が受け取ったものは、リガ陥落の報であった。ヒンデンブルク(1)は、兄弟たちがまもなくペテルブルクへの道をドイツの部隊で埋めつくし始めるだろうという知らせでもって労働者と農民を喜ばせようとした。

 「前進せよ、兵士諸君!――とヒンデンブルクは訴える――ペトロパブロフスカヤ要塞の壁のしたで、諸君の待ち望んだ平和を手にいれたまえ!」。

 ちょうどその時、ロシア政府は次のように述べている。ドイツ軍が再びわが国に攻勢をかけようとしている現在、平和について語ることはなおのことできない。「いま平和を口にする奴らに呪いあれ!」とケレンスキー首相はモスクワ会議で大声をはりあげる。平和について語ることができる時があるとすれば――と、いわゆる「愛国者」は言う――敵をロシアの国境の外にたたき出したときだ。

 3年以上かかって、ドイツ軍は、前進と後退を重ねながら、現在の地点にまでたどりついた。3年以内にロシアがドイツ軍を1914年時点の国境にまで押し返すことができる、と考える根拠はあるだろうか? そして、わが国の攻勢が成功した場合に、ドイツ政府はこう言いはしないか? ロシア軍が再びドイツの国境を脅かしている現在、平和についての考えそのものを排斥しなければならない!

 だが、この冬の軍事行動も、来年の春の軍事行動も、わが国にとって不利なものになったとしたら? その時にはどうするのか? いつ、どこで講和を結ぶのか? ロシア人民と全世界の勤労大衆にはいったいどんな希望があるというのか? 本当にヨーロッパは、そしてそれとともにロシアは、血を流したことで有罪とみなされるのか? 人民は相互にしがみつき、相互に引き裂きあい、耐えきれない痛みのために叫び声をあげ、救いを見出せないでいる。各国人民のうえに君臨している連中、彼らの政府、君主主義者や共和主義者たちは、これまでどおり全力をつくして、自国の国民の意識と良心を、好戦的な説教と規律の革鞭でもって麻痺させている。わが国では、いったん廃止された死刑が、戦争のためと称して前線で再び導入されたが、リガが陥落した今では、死刑を後方にも導入することが焦眉の問題として提起されている。戦争は人間の生命と財産をむさぼり食うだけでなく、われわれの革命をも、それが呼び起こした大いなる希望とともに、むさぼり食うのである。

 戦争が長引けば、ヨーロッパにとって、何よりもロシアにとって破滅的である。すべての交戦国は荒廃して戦争から出てくるだろう。現在の破壊を復興するには10年はかかるだろう。だが、ドイツやイギリスのような豊かな国はより早く復興するだろう。だが、手に負えない戦争によって徹底的に荒廃させられた後進的なわがロシアは、外国の資本家の戦利品となるかもしれない。ドイツやイギリスやアメリカの、もしくは、これらの国すべてが均等に。前線での軍事行動の成り行きとかかわりなく、いや戦争そのものの成り行きとさえ関係なく、戦争が長引けば長引くほど、ロシアが植民地と化す可能性は高まるだろう…。平和が、そして平和だけが革命を、ロシアを、全ヨーロッパを救うことができるのだ!

 「では、ヴィルヘルム(2)に屈服するのか? 彼が略奪することができたいっさいを、彼に譲るのか?」

 否、われわれはヴィルヘルムに頼りはしない。われわれは、ベルリンの死刑執行人たちのいかなる慈悲も、いかなる友情も求めはしない。かといって、他のどの政府からも慈善を期待しない。それらの政府は、腰まで自国の人民の血につかっている。そして、われわれは、われわれ自身の政府に対して何の信頼も置いていない。それは、革命から生まれた政府だが、今や最も下劣な革命の敵の側に移ってしまった。われわれは、政府に対し説教の言葉をもって訴えることなどしないし、敵に許しを求めたりもしない。そうではなく、われわれは、人民、男女労働者、兵士、農民に対し、平和のための闘争においてその努力を2倍、3倍にするよう訴えるのだ。

 政府は、波に浮かんだ泡のように、入れ替わり立ち替わりしている。そして、このような政府のもとで、数億の人民の運命が、未来の世代の運命が、全人類の運命が、決定されようとしているのだ。獰猛な愚か者と我を失った臆病者とが、交戦国政府の先頭に立っており、偏執的なまでに執拗にこう繰り返している。「最後まで戦争を!」。それに対しわれわれは、これらの犯罪者どもの頭に、全人民の次の叫びをとどろかせよう。「戦争に終わりを!」。

 

   嘘と真実

 すべての交戦諸国の人民大衆は一様に、戦争によって傷つき倒れていっている。そして、あらゆるところで彼らは支配層からだまされている。支配層は彼らに言う。この戦争は権利のため、独立のため、自由のため、であると。わが国ではこう言う。この戦争は革命のためであると。ちがう! 偽りだ! 人民が戦争へと駆り立てられているのは、自由のためではなく、自国の抑圧者の利益のためである。今なお、人民が血を流し続けているのは、ある国の資本家たちがさらに多くのもの手に入れたがっており、目的を達することができなかった別の国の資本家たちが最後の審判のごとく平和を恐れているためである。もし本当にわがロシアが革命のために戦争しているのだとすれば、わが国は、革命にとっての不倶戴天の敵であるイギリス帝国主義者、アメリカ株式仲買人、フランス高利貸したちと手をつないで行動するべきなのか? もし本当に戦争が革命を強化するものであり、破滅させるものでないとしたら、わが国のプリシケヴィッチ(3)、ロジャンコ(4)、ミリュコーフ(5)、グチコフ(6)、コルニーロフ将軍(7)、アレクセーエフ(8)のような連中がなぜ戦争の継続を要求しているのか? ちがう! 偽りだ! わが国が戦争しているのは、理念のためではなく、人民の利益のためでもなく、ロシアと同盟国の帝国主義者の鞭と命令にもとづいているのである。ドイツとオーストリアの兵士たちが、自国の王朝・貴族・ブルジョアジーの鞭のもと、殺し殺されているように。この戦争は、奴隷所有者によって戦火に追い立てられた資本主義的奴隷たちによる相互絶滅の戦争である。これこそが戦争の真実だ!

 

   ニセ「社会主義者」

 この真実を、有産階級とその下僕たちは国民の良心から入念に隠蔽している。どの国にも、ブルジョアジーが勤労大衆の目をくらますのを手助けしている「社会主義者」たちが少なからずいる。この種の「社会愛国主義者」たちは、ドイツではヒンデンブルクの血まみれの仕事を支えている。フランスとイギリスでは、資本家たちとともに内閣を構成し、従順に血を流すよう労働者を駆り立てている。最後に、ロシアでは、この種の「社会主義者」たちは、行動においては社会主義と絶縁しつつ、まるで政府権力の半分以上を手中にしているかのようにふるまっている。ケレンスキー、サヴィンコフ(9)、チェルノフ(10)、アフクセンチェフ(11)、スコベレフ(12)、プロコポーヴィチ(13)…。これらの連中はいずれも、2つの「社会主義」政党――社会革命党とメンシェヴィキ――出身の大臣たちである。そして、まさにこれらの社会愛国主義者たちは人民に戦争についての偽りの観念を植えつけているだけでなく、戦争に反対する人々を死刑にし監獄にぶちこんでいる。これらの連中は、われわれの側の人間ではない、人民の友ではない。彼らは、ブルジョアの陣営への脱走兵であり、投降者である。

 

   国際主義者

 しかし、どの国にも、勤労者の利益のためにたたかう献身的で誠実な闘士であり、搾取者と彼らの下劣な戦争に対する非和解的な敵である、別の社会主義者がいる。これが、国際主義派社会主義者である。彼らは人民に真実を語る。彼らは物事を本来の名前で呼ぶ。下劣な戦争を、革命の色で塗り替えたりはしない。野獣は野獣と呼び、略奪は略奪と呼ぶ。彼らは、自らの良心にとるいかなる行為も行なわないし、不誠実な有産階級と結託しはしない。国際主義者は、万国の労働者大衆に、戦争と帝国主義政府に対する非和解的な闘争を訴える。

 「人民の主要な敵は自分自身の国にいる!」と、ドイツ・プロレタリアートの革命指導者カール・リープクネヒトは叫んだ。自国のブルジョアジーに対する、その好戦的計画と外交的ペテンに対する、各国内部の労働者階級の闘争が断固とすればするほど、確固たるものになればなるほど、強力になればなるほど、平和の訪れる時はますます早くなるだろう。このような訴えの叫びをオーストリア労働者に投げつけたのは、ハプスブルク君主制とその手先の犯罪者どもに対する英雄的な闘士、フリードリヒ・アドラー(14)である。すべての交戦国において国際主義者はこの3年の間に、ブルジョアジーによってだまされていた大衆の心に近づく道を見出した。不幸な兵士たち、雨でどろどろになった塹壕に身をひそめ、飢え、全身シラミだらけになり、自分のゴミにとり囲まれ、弾丸か毒ガスによる死に脅かされているこの兵士たちは、心の底から、国際主義者の革命的宣伝のうちに真実を感じとっている。

 

   よく考えよ兵士諸君、そして理解せよ!

 現在の社会は、取るに足りない少数の者が圧倒的大多数の者の労働や生活をも支配するようにできている。ブルジョアジーは、どの国でも、その強力な資本と知識と悪巧みを駆使している。この連中が、自分たちの利益のために軍隊を死地に追いやったのだ。この連中が昨日までの「社会主義者」を手なづけ、彼らを自分たちの従順なしもべとし、彼らを使って人民をだましたのだ。ブルジョアジーとブルジョア体制に対する闘争だけが人民に平和をもたらすことができる。労働者階級は権力からブルジョアジーを叩きだし、国家の統治権をすべて手中におさめ、まず最初に戦争を終わらせ、次にブルジョア体制全体に終止符を打たなければならない。

 どの国のブルジョアジーも、自らが犯した無数の犯罪行為を清算するときが迫りつつあることを感じとっている。それゆえ、彼らは、十倍にもまして人民の指導者たる革命的社会民主主義者を憎悪しているのである。逮捕し、裁判にかけ、監獄にぶちこみ、可能な場合には、銃殺し、そしてすべての国で、革命的社会民主主義者を誹謗する中傷をふりまいている。カール・リープクネヒトに関してドイツのブルジョア新聞は、奴はイギリス政府に買収されていると書いている。オーストリアの愛国者たちは、フリードリッヒ・アドラーをロシアのスパイであると非難している。出獄したばかりのイギリスの社会主義者マクリーン(15)は、イギリスの愛国者によって、ずばりドイツ皇帝と呼ばれている。そして、わが国でも、国際主義派社会民主主義者の党(ボリシェヴィキ)は、国際労働者階級の事業への忠誠ゆえに、すべての反動的卑劣漢(ミリュコーフ、ペレヴェルゼフ(16)、アレクシンスキー(17)、ブルツェフ(18)のような連中)によって、「親独主義者」と呼ばれ、その指導者は、ドイツと結託していると非難されている。そしてケレンスキーは、アフクセチェフやスコベレフといっしょになって、破廉恥にもボリシェヴィキを迫害している。ちょうど、ドイツ皇帝が、われわれのドイツの友人であるカール・リープクネヒトの支持者たちを迫害しているように。

 

   社会主義者といってもさまざまだ!

 このことを、まず何よりも各々の労働者・兵士が理解しなければならない。福音書で言われているように、「主よ、主よ!」と叫ぶ者すべてが天国に行けるわけではない。われわれもまた今や、苦い経験にもとづいてこう言うことができよう。社会主義者を自称する者すべてが実際に社会主義者であるわけではない、と。

 エスエルは「社会主義者」とみなされている。メンシェヴィキは社会民主主義者を自称している。鉄が火打ち石のうえで鍛えられるように、社会主義者は戦争によって試される。戦争を支持した「社会主義者」がいる。彼らはブルジョアジーと手を組んでいる。彼らはブルジョアジーの計画と欲求(彼らの秘密協定など)を人民から隠している。彼らは軍隊に、この秘密計画を盲目的に実行するよう要求している。言葉のうえでの社会主義者は、行動のうえではブルジョアジーの下僕である。これがエスエルとメンシェヴィキである。彼らの大臣は死刑を導入し、新しい懲役法を制定した。ツェレテリ(19)を先頭とする指導者は、死刑を今後とも存続させることに賛成している。メンシェヴィキとエスエルの大臣はボリシェヴィキを逮捕し、起訴も取り調べもなく獄中にとどめおき、ボリシェヴィキの新聞を閉鎖し、ボリシェヴィキに対するブルジョアジーの下劣な中傷を黙認している。そして、それらはすべて、わがボリシェヴィキ党が非和解的に戦争に反対してたたかっているからなのである。

 ケレンスキーやアフクセンチェフやツェレテリやチェルノフを社会主義者とみなすことができるだろうか? 断じて否! 彼らは労働者階級の明白な敵である。しかし、労働者や、とりわけ兵士の中には、まだエスエルやメンシェヴィキが少なからずいるのではないか? まったくその通り。しかし、これは別問題である。メンシェヴィキの労働者やエスエルの兵士はわれわれの敵ではない。彼らが理解しなければならないことは、彼らが信頼してきた党は信頼に値しない党であるということ、そして彼らの指導者は労働者階級の事業の裏切り者であるということである。そして彼らはこのことを理解するだろう。なぜなら、メンシェヴィキとエスエルは戦争を支持しており、戦争の継続は万国の人民を、とりわけ最も貧困で荒廃したロシアの人民を不可避的に破滅に追いやるからである。

 「いま平和を口にする奴らに呪いあれ!」と社会革命党員のケレンスキーは叫ぶ。よかろう。われわれは、司祭の呪いも、エスエルの呪いも、恐れはしない。われわれは平和を口にしているだけでなく、平和のための闘争を遂行している。そして人民とともに、われわれは、この戦争を引き起こした連中を、戦争を際限なく長引かせている連中を、呪うだろう。われわれは闘争において迫害を恐れはしない。ツァーリズムの時代に迫害には慣れっこになっている。そして、われわれは、自分たちの勝利を確信している。革命の波はケレンスキーを権力の高みに引き上げた。今や彼は、歴史の歩みを思いのままに操りプロレタリアートにあれこれ指図することができると空想している。哀れな勘違いだ! 彼がかくのごとき逆らっている次の波は、彼を下流に押し流し、労働者階級こそすべてであって、彼ケレンスキーは単なる成り上がりにすぎないこと、すなわち無であることを示すだろう。

 

   「諸君は脱走兵となるよう訴えている!」

 このように、しばしばわれわれは中傷される。まるで、銃剣を大地に突き刺して塹壕から逃げだしてくるようわれわれが勧めているかのような嘘が振り撒かれている。何とくだらないお話だ! もちろん、ブルジョア新聞を読んだ無知な兵士が、ボリシェヴィキが脱走兵となるよう訴えているものと信じて、ライフル銃を投げ捨てたケースもあるかもしれない。しかし、これはわれわれのプロパガンダのせいではなく、このような腐った捏造をわれわれになすりつけようとする不誠実なブルジョア新聞のプロパガンダのせいである。個々の兵士の脱走や個々の部隊の不服従ははたして戦争を停止させることができるだろうか? 兵士は、疲労感や絶望、恐怖から脱走することはあっても、ボリシェヴィズムが原因で脱走したことはない。まるまる2ヵ月間にわたるわれわれへの攻撃と中傷の後で、われわれの敵である国防大臣のサヴィンコフでさえ、次のことを認めざるをえなかった。戦火を交えても、ボリシェヴィキの部隊は他の部隊よりもいささかも劣っておらず、若干の部隊は構成員の4分の3も戦場に残している!…と。だが、わが国の兵士が、自分らが引き起こしたわけではないこの不誠実な戦争において無数に死んでいっているときに、ブルジョア新聞(『レーチ(言論)』(20)、『ノーヴォエ・ヴレーミャ(新時代)』(21)、『ヴェーチェルネエ・ヴレーミャ(夕刊時報)』(22)、『ビルジェフカ(株式新聞)』、『ルースカヤ・ヴォーリャ(ロシアの意志)』(23)、『ルースコエ・スローヴォ(ロシアの言葉)』(24)など)は、はりつけにされた軍隊に対して嘘をつき中傷を流し続けている。このブルジョア的裏切り者ほど下劣な連中はいない! 

 しかし、国際主義者の兵士が他のすべての兵士と同じように死んでいっているとしても、彼らは自らを欺きはしない。彼らは、この戦争が自分たちの戦争ではないことをはっきりと知っている。支配階級にいかなる信も置いておらず、労働者と兵士が力を合わせて、ドイツやその他の国の兵士・労働者とともに、戦争に終止符を打ち、戦犯どもを被告席に座らせる時に向けて、準備を整えているのである。

 

   われわれ国際主義者は攻勢に反対し、別の道を示した

 しかり、われわれ国際主義者は6月18日の攻勢前夜に、公然かつ断固としてそれに反対した。ドイツのヴィルヘルム皇帝が――と、われわれは常に言っていた――4ヵ月もの間、彼の憎悪するロシア革命に対して攻撃をしかけなかったのは理由あってのことである。彼は自分の部隊を信用できなかったのだ。この不確信の時期を利用しなければならない。ドイツ人、オーストリア人、そしてすべての労働者に対し実際の行動で示さなければならない。ロシア革命は、まったく新しい、公正で、人民的で、民主主義的な対外政策を遂行するということを。ロシア革命はいかなる領土掠奪も暴力も望んでいないことを。旧来の掠奪的な条約はいかなるものであっても認めないということを。「同盟国」であれ「敵国」であれ、どの国の革命をも支持するということを。即時かつ公正な講和をすべての諸国人民に提起する用意があるということを。これが空文句ではないことを、ロシア革命が真剣なものであることを示すために、即座に秘密条約を公表し、ブルジョアジーの帝国主義大臣を臨時政府からたたき出し、ツァーリズムが結んだ軍事借款の支払いを拒否しなければならない。

 これに対応して、断固とした大胆な国内政策を遂行しなければならない。帝政時代の国会と参議院を解散し、民主共和制を宣言し、あらゆる身分差別を撤廃し、地主の土地を農民の土地委員会に引き渡し、臨時の財産税を導入し、国家の闇商人(公金横領者)どもを鉄のやっとこで絞めあげる、等々をしなければならない。このような政策は、革命の内的力だけでなく、その国際的権威をも巨大な高みに引き上げるだろう。全世界の勤労・被抑圧大衆はロシア革命に対する最大級の共感にあふれ、それを情熱的に支えようとし、それに見習おうとするだろう。他方では、ロシア革命は、全世界の支配階級に恐怖と憎悪を引き起こすだろう。こうして、帝国主義者と被抑圧大衆はたちまち2つの陣営に分かれることになる。そして、わが国の革命は、戦争にくさびを打ち込むことによって、ヨーロッパ革命の到来を早めることだろう。

 しかし、わが勤労者の遅れた部分、とくに兵士と農民はまだわれわれのことを理解していなかった。彼らは、ソヴィエトにおいてエスエルとメンシェヴィキに多数を与えた。エスエルとメンシェヴィキはブルジョアジーと手を組み、ブルジョアジーは前線での攻勢を要求し、そしてそれを実行した。

 われわれボリシェヴィキ国際主義者は、この攻勢がドイツ皇帝に対する最良の贈り物であると、口頭でも印刷物においても予言しておいた。「見よ――と、必然的にドイツ皇帝はドイツ兵に言うだろう――ロシアの臨時政府は、イギリス、フランス、イタリア、アメリカの帝国主義者と手に手を取ってわが国に攻勢をかけている。奴らは公然とドイツを破滅させようとしている。したがって諸君、ロシア革命をまったく信頼することはできないではないか」。わが国の攻勢に対抗して、ヴィルヘルムは逆攻勢をかける可能性を手に入れた。ロシア革命の道徳的・精神的力は掘りくずされ、ドイツ皇帝の物質的・物理的力は増大した。そして、その結果、甚大な犠牲が出、前線が突破され、リガが陥落し、ペテルブルクが脅かされているのである。

 

   いったい誰の責任か?

 答えは明白である。カデット帝国主義者の笛で踊った臨時政府の責任である。攻勢という犯罪的な冒険を支持したエスエルとメンシェヴィキの責任である。わが党に責任はない。われわれは少数派であった。権力はわれわれの手中にはなかった。われわれは警告することができただけである。この責務をわれわれは果たしたし、われわれの助言は嘘偽りのないものだった。エスエルとメンシェヴィキに指導権と権力を渡した兵士・労働者・農民は今や、彼らに総括を求めている。

 

   国の状況

 革命の最初から国の状況は非常に深刻であった。それは、臨時政府の無為無策ゆえに、日ごとどころか、時間単位で悪化した。臨時政府には、何らかの真剣な改革をブルジョアジーの意志に逆らってでも遂行する大胆さはまったくなかった。これに、不幸な攻勢の結果が重なり、状況はとことん危険なものとなった。今後われわれは何をなすべきか?

 政府の背後でエスエルとメンシェヴィキは叫ぶ、「今や政策にかまけている時ではない。すべての力と手段を防衛に集中せよ!」。これは偽善的な言葉であり、嘘である。防衛は政策なしに考えられない。必要なのはよい政策だけである。臨時政府の防衛政策は、攻撃政策と同じく、破滅的で反人民的である。

 もし政府が本当に革命的で人民的で、労働者的あったならば、革命の失われた権威をただちに取り戻そうとするだろう。状況が危険なものになればなるほど、そこから脱するには、ますます大胆で決然とした措置が必要となる。まず最初に、前述した綱領を実現することが必要である。すなわち、国内および同盟国の帝国主義者と決別すること、即時講和のしかるべき条件を宣言すること、土地革命と財政革命の措置によって内部から講和条件を支えること、である。これはヴィルヘルムに対する最も強力な打撃となるだろう。今や何と大きな打撃を与えることができることか!

 

   現政府にこのような政策が可能だろうか?

 否! 政府は、銀行家、同盟国の外交官、反革命司令部の網に完全にとらわれている。防衛に参加するようプロレタリアートに訴えながら、他方で政府自身が労働者を武装解除し、彼らにコサックや士官学校生をけしかけている。「政策」を拒否するよう訴えながら、同時に政府自身がデルジモルダ(25)の政策を行なっている。すなわち、ボリシェヴィキを逮捕し、労働者新聞を閉鎖し、ブルジョアジーによる専横・迫害・中傷を大目に見ている。

 「今や政策にかまけている時ではない!」とケレンスキーやアフクセンチェフは言うが、同時に地主の政策を遂行している。すなわち、貴族の土地を侵害したかどで土地委員会を各地で逮捕している。にもかかわらず、これらの連中は今なお、革命的、人民的戦争を遂行していると言うのだ!

 このような状況のもとで、防衛に対する責任は、以前の攻勢に対する責任と同様、全面的に、現政府とそれを支えているエスエルとメンシェヴィキが負うべきである。

 ケレンスキーやツェレテリの党に負けず劣らず、われわれ革命的社会民主主義政党にとっても、国の運命、ロシア人民の自由と独立とは大切で重要なものである。しかし、まさにそれゆえわれわれは、現在という最も重大な試練の日々においても、臨時政府の政策に対し非妥協的に反対し続けているのである。臨時政府の政策は、革命をも、そして防衛をも掘りくずしている。われわれに残された唯一の救いは、これまでどおり、できるだけ早く停戦を勝ちとるための闘争にこそある。3年間のすべての経験が物語っているように、戦争を停止させることができるのは、ヨーロッパにおいて発展しつつある革命の圧力によってのみである。労働者・兵士諸君、諸君のすべての努力を西欧におけるプロレタリアートの革命運動を支援し、それを育み、前方へ推し進めることに向けよ。ドイツにおける誠実な社会主義者、革命的労働者に、諸君が彼らと同じ闘争をしているのだということを知らせしめよ。

 リガの陥落は厳しい打撃であった。ペテルブルクが陥落することになれば、それは不幸なことである。だが、ロシア・プロレタリアートの国際主義的政策が陥落するならば、それは破滅を意味するだろう。

 

   男女労働者諸君! 兵士諸君!

 わが国の運命をケレンスキーの政策とコルニーロフの戦略に依存させるわけにはいかない。昨日コルニーロフがリガをドイツに譲り渡したように、明日にはケレンスキーがわが国を反革命に譲り渡すだろう。ケレンスキーやコルニーロフのような連中のすべての誤りを矯正するだけの力が必要である。これこそ、国際プロレタリアートの革命的力である。小賢者、政治的臆病者、俗物たちは、この力に信を置こうとはしない。だが、われわれにとっては、この力なしには希望も確信もありえない。もしホーエンツォレルン家が、防衛のあらゆる努力にもかかわらず、その大砲、技術、組織の優位性でもってわれわれを押しつぶそうとするならば、われわれは死ぬことになるだろうか? 否、ヨーロッパのあらゆる所にホーエンツォレルン家を制しようとする力が存在する。この戦争の非人間的な経験の中で、歴史上かつてなかったほどの怒りがヨーロッパの労働者に蓄積されつつある。カール・リープクネヒトとフリードリヒ・アドラーは、ドイツとオーストリアの労働者階級の大闘争のために立ち上がった単なる先駆者にすぎない。そしてわれわれはこの闘争に正面から取り組まなければならない。ペテルブルク市議会選挙においてわが党に投票した18万7000人の男女労働者・兵士こそ、インターナショナルの信頼できる砦である。モスクワ「国政」会議の日に抗議のストライキを行なったモスクワ労働者もまた、輝かしい砦である。この砦があるかぎり、そしてそれが拡大し強化しているかぎり、革命は滅びはしない。必要なのはただ、新しい第3インターナショナルの端のもとに、今後とも揺るぎなく自分の持ち場を固守することである。

 政府は、平静を装いながら、4度目の冬季戦役の必要性について語っている。これに対して人民はどのように応えるべきだろうか? どのように軍隊に訴えればよいか? ヨーロッパにおける革命的事態は多くの人の予想よりも急速に進展するかもしれない。われわれには意気消沈するいかなる根拠もない。

 先進的な労働者と兵士たちよ! 遅れた部分を目覚めさせ、無知な人々を啓蒙せよ。前線における恐るべき事態の雷鳴のもとで、人民に真実を教え、真の救済の道を指し示せ。人民自身が権力を手中に握らなけれならない。人民とは、労働者階級、革命的軍隊、農村の貧農である。労働者政府だけが戦争に終止符を打ち、祖国を破滅から救うことができるのだ。

 敵たるブルジョアジーを信用するな! 偽りの友人たるエスエルとメンシェヴィキを信用するな! ただ自分自身のみを信頼せよ。これが諸君の合い言葉である。

 前進せよ! 闘争に立ち上がれ! 赤旗を掲げよ!

 万国労働者の兄弟的抱擁によって、戦争だけでなく資本主義をも絞め殺す日は近い。

1917年8月

『トロツキー著作集』第3巻『1917年』第1部所収

本邦初訳

 

  訳注

(1)ヒンデンブルク、パウル・フォン(1847-1934)……ドイツのユンカー出身の軍人。第1次世界大戦中は参謀総長として戦争を指導し、国民的人気を博す。1925年に大統領に。1932年4月に再選。1933年1月にヒトラーを首相に任命。

(2)ヴィルヘルム2世(1859-1941)……ドイツの皇帝、在位1859-1941。労働者との融和策を打ち出して、ビスマルクと対立し、1890年に彼を辞任させる。最初は労働者保護政策をとったが、すぐには激しい弾圧政策に転向。攻撃的なユンカー帝国主義的拡張政策を推進し、第1次世界大戦を引き起こした。1918年のドイツ革命により退位し、オランダに亡命。

(3)プリシケヴィッチ、ウラジーミル(1870-1920)……ロシアの反動家、ベサラビアの地主出身の君主主義者で、黒百人組(ロシア国民同盟)の創設者。ツァーリズムの時代においては、国会内で最も強硬な君主主義者のブロックを指導。国会では、革命家とユダヤ人に対する仮借ない闘争を訴える演説を何度も行なっている。1916年、ユスポフ公らとともにラスプーチン殺害に参加。内戦中、白軍に参加し、白軍の敗走中にチフスで死亡。

(4)ロジャンコ、ミハイル(1859-1924)……ロシアのブルジョア政治家、大地主、オクチャブリスト。1907〜17年、国会議員。1917年の2月革命後に国会議員臨時委員会議長。国内戦中はデニーキン白衛軍に属して、ソヴィエト政権に敵対。1920年にユーゴに亡命。回想録『帝政の壊滅』(1929)。

(5)ミリュコーフ、パーヴェル(1859-1943)……ロシアの自由主義政治家、歴史学者。カデット(立憲民主党)の指導者。第3、第4国会議員。2月革命後、臨時政府の外相。4月18日に、連合諸国に、戦争の継続を約束する「覚書」を出し、それに抗議する労働者・兵士の大規模デモが起こり(4月事件)、外相辞任を余儀なくされる。10月革命後、白衛派の運動に積極的に参加し、ソヴィエト権力打倒を目指す。1920年に亡命。『第2次ロシア革命史』(全3巻)を出版。

(6)グチコフ、アレクサンドル(1862-1936)……ロシアのブルジョア政治家。大資本家と地主の利害を代表する政党オクチャブリスト(10月17日同盟)の指導者。第3国会の議長。ロシア2月革命で臨時政府の陸海相になり、帝国主義戦争を推進するが、4月の反戦デモの圧力で辞職(4月30日)。グチコフの代わりに陸海相になったのがケレンスキー。10月革命後、ボリシェヴィキ政府と激しく敵対。1918年にベルリンに亡命。パリで死去。

(7)コルニーロフ、ラブル(1870-1918)……帝政ロシアの軍人、陸軍大将。1917年の2月革命後、ペトログラードの軍管区司令官、ついでロシア軍最高司令官。8月に臨時政府に対する軍事クーデターを企てるが、ボリシェヴィキの前に瓦解。この反乱は「コルニーロフの反乱」あるいは「コルニーロフの軍事クーデター」として有名で、7月事件後に弾圧され押さえ込まれていたボリシェヴィキの勢いを再び強め、10月革命への序曲となった。10月革命後、白軍を組織し抵抗するが、敗北し、戦死。

(8)アレクセーエフ、ミハイル・ワシリエヴィッチ(1857-1918)……帝政ロシアの将軍。日露戦争時、陸軍少将。第1次世界大戦時、参謀総長。1917年2月革命後、臨時政府のもとで総司令官。1917年6月、ケレンスキーによって解任。1918年に反革命義勇軍を創設し、ボリシェヴィキ政権と闘争。同年、病死。

(9)サヴィンコフ、ボリス(1879-1925)……ロシアのテロリスト、エスエルの幹部、詩人。1903年にエスエル入党。エスエル戦闘団の一員として内相プレーヴェやセルゲイ大公の暗殺に関与。1906年に逮捕され死刑を宣告されるも、脱走。1911年に亡命。第1次大戦中は祖国防衛派としてフランス軍に志願。2月革命後、臨時政府の最高総司令部付コミッサール。ケレンスキー政権において陸軍官房長。ケレンスキーとコルニーロフとのあいだで暗躍し、コルニーロフ反乱を起こす重要な役割を果たす。10月革命後、反革命行動に積極的に参加。1921〜23年、ポーランドからソ連内部での反革命運動を組織。1924年に国境付近で逮捕され、エスエル裁判において自らの罪を告白。モスクワの獄中で自殺。ロプーシンという筆名で『蒼ざめた馬』『テロリストの回想』などの作品を残す。

(10)チェルノフ、ヴィクトル(1873-1952)……エスエルの指導者。第1次大戦中は 左翼中間主義的立場。1917年2月革命後、第1次臨時政府の農相。右翼エスエルの指導者。憲法制定議会の議長。ソヴィエト政権と闘争。チェコ軍団の反乱を扇動。1921年に亡命。

(11)アフクセンチェフ、ニコライ(1878-1943)……エスエルの右派指導者。1907年から1917年まで亡命。第1次大戦中は排外主義者。2月革命後、ペトログラード・ソヴィエト執行委員会のメンバー、全ロシア農民代表ソヴィエト執行委員会議長。第2次臨時政府の内相に。9月、予備議会の議長。10月革命後、反革命活動に従事し、ウーファおよびオムスクで反ボリシェヴィキ政府の代表。1918年末にパリに亡命。後にアメリカへ移住。死ぬまでソヴィエト政府に敵対し、ニューヨークで死去。

(12)スコベレフ、マトヴェイ(1885-1938/39)……1903年からメンシェヴィキ。1906年に亡命。1908〜12年にウィーン『プラウダ』の編集に携わる。1912年以降、第4国会の社会民主党議員団の一人。第1次大戦中は社会排外主義者。2月革命後、ペトログラード・ソヴィエトの議長代理。5月、第1次連立政府の労働大臣。10月革命後、グルジアに。1920年にフランスに亡命するが、同地でソヴィエト政府と協力。1922年にボリシェヴィキに入党し、利権委員会に。1924年にロシアに帰還。1938年(資料によっては39年)に粛清され、死後名誉回復。

(13)プロコポーヴィチ、セルゲイ(1871-1955)……帝政ロシアのブルジョア政治家、カデット。2月革命後、臨時政府の商工業大臣、食糧大臣を歴任。10月革命後、地下臨時政府に参画。1918年春、「ロシア再生同盟」に加わる。1922年に国外追放。

(14)アドラー、フリードリヒ(1879-1960)……ヴィクトル・アドラーの息子。オーストリア社会民主党の指導者。第1次世界大戦の時は反戦を唱えて、首相のシュテュルクを暗殺。大戦後出獄し、国会議員に。

(15)マクリーン、ジョン(1879-1923)……イギリスの革命的社会主義者、スコットランドの教師。第1次大戦中は国際主義者であり、スコットランドで『前衛』を発行。1915年、反乱罪のかどで逮捕。1916年、「スコットランド住宅連盟」を指導、軍需工場で数万人のストライキを組織。反戦活動の罪で逮捕投獄。1918年、ソヴィエト・ロシアはマクリーンを領事に任命したが、イギリス政府は承認せず、再び彼を5年の刑に処した。ハンストの結果、釈放。コミンテルンの初期にこれに参加。

(16)ペレヴェルゼフ、パーヴェル(1871-1944)……トルドヴィキ、ペテルブルクの弁護士。1917年、第1次連立内閣の司法大臣。1917年7月、レーニンがドイツ参謀本部とつながっていたとする文書を新聞に発表。10月革命後に亡命し、パリで死去。

(17)アレクシンスキー、グリゴリー(1879-1967)……最初、モスクワのボリシェヴィキ党員。第2国会の社会民主党議員の一人。右派の『フペリョート』派に。第1次大戦中は社会排外主義者となり、プレハーノフの『エヂンストヴォ(統一)』派に加わる。7月事件後、レーニンをドイツのスパイだとする誹謗中傷を広めた中心人物。1918年4月に亡命。亡命地でブルツェフの新聞『オブシチェ・デーロ』に反ボリシェヴィキの論文を寄稿。パリで死去。

(18)ブルツェフ、ウラジーミル(1862-1942)……ロシアの古参ナロードニキ、「人民の意志」派。第1次世界大戦まで、挑発分子を暴露する専門家として活躍。1908年に最大のスパイ挑発者アゼーフを暴露。1917年には、ボリシェヴィキの狂暴な敵として活躍し、ペテルブルクで反ボリシェヴィキ新聞『オブシチェ・デーロ』を発行。10月革命後に亡命し、パリで引き続き『オブシチェ・デーロ』を発行し、ボリシェヴィキ攻撃を活発に展開。1923年にパリで回想録を執筆。その後、革命的テロリズムの立場も放棄し、自由主義に移行するも、反ボリシェヴィキの立場は維持。パリで死去。

(19)ツェレテリ、イラクリー(1881-1959)……ロシアの革命家、メンシェヴィキの指導者。第2国会の議員。1912年に流刑。1917年2月革命後、流刑地から戻ってきてペトログラード・ソヴィエト議長。5月に、郵便・電信相として第1次臨時政府に入閣。6月、第1回全ロシア・ソヴィエト大会で中央執行委員会議長に。7月事件後、第1次臨時政府の内相に就任。1918年にグルジアのメンシェヴィキ政府の首班。1921年に亡命。

(20)『レーチ(言論)』……カデットの中央機関紙。1906から1918年までペテルブルクで発行。

(21)『ノーヴォエ・ヴレーミャ(新時代)』……反動派貴族・官僚の新聞で、1905年からは黒百人組の新聞。1868年から1917年までペテルブルクで発行。

(22)『ヴェーチェルネエ・ヴレーミャ(夕刊時報)』……反動的傾向のあるブルジョア新聞。1911年から1917年までペテルブルクで発行。

(23)『ルースカヤ・ヴォーリャ(ロシアの意志)』……1916年から1917年までペテルブルクで発行されていたブルジョア新聞。

(24)『ルースコエ・スローヴォ(ロシアの言葉)』……1895年から1917年までモスクワで発行されていたブルジョア自由主義派の新聞。

(25)デルジモルダ……ゴーゴリの戯曲に出てくる傲慢でいばり散らす巡査の名前から転じて、専制的で権威主義的な官僚のことを指す。


  


  

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