【解説】この論文は、大戦勃発後、『ナーシェ・スローヴォ』に比較的初期に書かれた綱領的論文の一つである。この論文の中でトロツキーは、平和のスローガンを重視しながらも、単に平和のスローガンを掲げるだけではプロレタリアートの政治綱領としては不充分であることを指摘し、戦争に対する「抽象的平和主義」のアプローチと革命的アプローチの違いを指摘している。この立場は後にさらに敷衍されて、1916年の「平和綱領」に発展することになる。
この論文は何ゆえか、ロシア革命後に大戦中の論文を集大成して編集された2巻本の論文集『戦争と革命』に収録されなかった。また、革命後のどの論文集にも収録されなかった。したがって、この翻訳は『ナーシェ・スローヴォ』掲載のものからの翻訳である。また、この論文は、これまで日本語で訳されたことはなく、また私の知るかぎり他のどの言語にも訳されたことはない。
Л.Троцкий, Нашь политический лозунгь, Наше Слово, No.22, 23, 1915.2.23, 24.
Translated by Trotsky Institute of Japan
革命的プロレタリアートは、資本主義の矛盾から生じた課題を解決する上でヨーロッパ軍国主義がとっているような方法に反対しつつも、戦争に対する抽象的な闘争に自己限定することはできない――彼らは、戦争に対して自分自身の政治的綱領を対置しなければならない。それは、「社会主義者」たちの戦争綱領、すなわち、アルザスからパレスチナに至るまで、資本主義的軍国主義が実現しようとしている世界的な再編成の無内容な一覧表などではない。こうした綱領には何の関心もない。そうではなくその綱領は、自己の国際主義的行動の綱領、戦争を引き起こした諸問題や戦争から生じてきた諸問題に対する革命的回答の綱領である。
抽象的な平和のスローガンは無内容であり、せいぜい、現在この消耗戦(guerre d'usure)の受動的材料と化しているより遅れた人民大衆の疲労と無気力を表現することができるだけである。だがそれは、何十万、何百万という先進的労働者の行動方針を指し示すことはまったくできない。なぜなら、彼らは、自覚的に戦争を経験し、しかも、戦争を自分たちにとって身近な民族的・国際的・社会的諸問題を解決する手段とみなしているからである。そして、戦争に関するわれわれの政策は、遅れた大衆の疲労と消耗につけこんだ待機的な政策ではありえない。それは何よりも、プロレタリアートの指導層を革命的行動綱領にもとづいて団結させる方向に向けたものでなければならない。
より広範な内容をもったスローガンによって平和のアジテーションを「複雑にする」必要はないといった類の考慮、すなわち、われわれはまずもって平和を達成しなければならず(「何としてでも」平和を)、その後で、達成された平和を基礎にして自らの綱領を発展させるのだといった類の考慮は、まったく無邪気である。このような問題設定における「何としてでも平和を」のスローガンは、支離滅裂で、まったくの欺瞞でさえある。ベルギーや北フランス、ガリツィア、ペルシャ、コンスタンチノープルが勝利国の手中の戦利品となり、したがってまた新しい破局の源泉となるような平和を、われわれはいささかも欲してはいない。同じくわれわれは、ポーランドやアルザス=ロレーヌ、セルビア等々の問題を対象課題から外すつもりは毛頭ない。そうではなく、われわれはこれらの問題を解決することを望んでいる。われわれは軍国主義の力によってそれらが解決されるとは信じていない。われわれはこの不信を、即時停戦という要求のうちに表現している。しかし、目覚めつつあるインターナショナルが平和のスローガンのもとに動員している勢力、他ならぬこの同じ勢力こそが、戦争を引き起こした諸問題の解決を、したがってまた、数百万の労働者をして、歴史的袋小路からの出口を軍国主義の道に見出させた諸問題の解決を自らに引き受けなければならないのである。まさにそれゆえ、このような政治的立場[抽象的平和主義の立場]は、熱狂やヒロイズムや自己犠牲の能力――現在は、全面的に自らの課題を追求する勇気ないし狂気をもった帝国主義に利用されている――を自らの側に引きつけるうえで完全に無力なのである。
現時点ではまだヨーロッパ的な大問題を引き受けることができないというわれわれの「無力さ」を持ち出すことは、まったく馬鹿げており、内的に矛盾している。なぜならば、われわれ革命的社会主義者が言う平和とは、われわれ自身の無力さによって増幅された軍国主義の無力さから出現してくるような平和ではなく、人間の力と文化的蓄積の残虐な浪費をやめさせることによって、われわれが押しつけようとしている平和のことだからである。われわれにとって、国際的な諸問題を解決するのに必要な力は、戦争をやめさせるための闘争にわれわれが動員しようと欲している力と同じであり、それ以外のいかなる「副次的」な力も必要ではない。そして、われわれの行動綱領が明瞭であればあるほど、完全であればあるほど、軍国主義に対するわれわれの攻勢も強力となり、また、この綱領の旗のもとにおいてはじめて軍国主義に対する攻勢を組織することができるのである。
抽象的平和主義の問題設定は、政治的にまったく無内容であり、心理的には、戦争の最初の瞬間において、破局に対する直接的な反応とみなすことができる。それは受動的国際主義の声であり、「420ミリ」砲にも「75ミリ」砲にも奴隷的に屈伏したくはないが、自分自身の武器庫の中には何もなく、この難を逃れるために歴史に嘆願しているのである。だが、世界大戦が勃発して半年がたち、それが根本的な要因として世界の実生活の中に入り込み、資本主義のすべての矛盾を暴露し先鋭化させ、新しい歴史時代を開いた現在、われわれは初歩的な平和主義的反応で満足することはできない。われわれは支配層の血塗られた仕事に対して自らの綱領を対置しなければならない。その綱領は戦争綱領ではなく、戦争に対する闘争綱領である。
われわれは、この綱領をフランスの資本主義的外交から借りてくることはできないし、ヨーロッパの「均衡」を保守的に防衛することを自らの課題とすることもできない。この「均衡」なるものは、45年間にわたって数百万の銃剣に立脚し、つねに血塗られた衝突の危険性を帯び、ついには、時代遅れの民族国家にもとづいて発展してきた資本主義によって破壊されたのである。「戦前の現状(status quo ante)」、すなわち破局が勃発するまで存在した秩序の回復という見地に立つことは、結局は現在の破局に行き着かざるをえない状況にヨーロッパを引きずり込むことになるだろう。このような政策は実践的に不毛で、本質的に反動的である。実際のところ、抽象的な平和のスローガンは、たとえ新しい掠奪や暴力にもとづいていようとも、前述したような、全参戦国の消耗(usure)をあてにしている。これは革命党の政治的スローガンではないが、少なくとも歴史的可能性ではある。この「スローガン」には思想が若干なりとも存在する。だが、戦前の秩序を回復しようという要求は、いかなる内容であれ、われわれにとってまったく無益のものである。われわれを「戦前の状態」に押し戻すとすいれば、それはいったいいかなる勢力であろうか? 軍国主義か? だが、その時には、平和のスローガンは、反動的綱領をもった戦争のスローガンとまったく違いのないものになってしまう。では社会主義か? だが、社会主義がヨーロッパの「再構成」を自らの独自の課題とするならば――そして、現在の状況から見れば、「戦前の現状」もヨーロッパの再構成である――、どうして社会主義は進歩的綱領ではなく退行的綱領を自らの綱領とするのか?(次号に続く)
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これまでの諸論文においてわれわれは、これまでの全経済発展によって準備され、少なくともヨーロッパ・プロレタリアートに対し戦争を日程にのぼせた国家綱領について特徴づけた。この綱領は、統一した経済的領域にもとづいて諸民族の協同を組織するという綱領である。言うまでもなく、ヨーロッパ・プロレタリアートは、過去の勢力がこの綱領を実現するのを受け入れることはできないし、計画的に組織された一個の経済領域――そこにおいては、人為的に形成された歴史的障壁から生産力が完全に解放され、もっぱら生産の自然的条件にのみ従う――へのヨーロッパ諸国の統一が、ドイツの支配階級の経済的・政治的独裁という形態で実現するなどということも期待することはできない。たとえ軍事力によってこうした綱領が実際に実現されたとしても、である。だが、戦争のすべての成り行きが物語っているように、こうしたことはまったく問題になりえない。
最も発達した資本主義諸国の帝国主義は、世界的規模で経済を組織するという新しい課題を提起することしかできなかったのであり、その問題を解決するうえでまったく無力であった。資本主義の高みにおいては、諸国民の共生と協同を軍事的強制によって組織することは、ローマ帝国ないしナポレオン帝国の時代よりもはるかに可能性に乏しい。ヨーロッパ全体を新しいオーストリア=ハンガリーに変えるなどという計画は、古いオーストリア=ハンガリーがばらばらに分解しつつあることを考えるならば、途方もない大学教授的・ユンカー的・証券取引所的ユートビアである。ヨーロッパの民主主義的統一、すなわちヨーロッパ合衆国の創設は、現代の生産力と国家組織の民族的制約との間にある非和解的矛盾をプロレタリアートが解決することのできる唯一の政治的形態なのである。
われわれはすでに別の号で書いたように――そして、同じような考えは、『ゴーロス』編集部が今は亡きコペンハーゲン社会主義大会に派遣した代表団によって言い表わされている――現在の戦争は歴史発展の全体を画する新しい時代を開くものである。戦争は、ヨーロッパの人々を2つの可能性の前に立たせた。すなわち、諸民族国家が帝国主義的搾取のますます縮小していく領域を求めて次々と新たな戦争が不可避的に勃発していく事態か、それとも、プロレタリアートが国家権力を獲得しそれを社会主義的再建のための機関に転化するために、自覚的かつ計画的に資本主義国家に攻勢をかける時代を切り開くか、である。
この2つの可能性は、生産力の発展によって客観的に準備されたものであり、まさにそれゆえ、われわれにとっては、主体的な課題となっている。生産力の発展にとってあまりにも狭くなってしまった民族国家の枠組みは戦争によって破壊されつつあり、したがって戦争は、社会革命の土台としての民族国家の枠組みをも破壊しつつある。今から45年前、フランス・プロレタリアートは、普仏戦争の結果、一国的基礎にもとづいてプロレタリアート独裁を実際に先取りする経験を世界に示した。現在、社会革命の問題は、言葉の直接的な意味での世界的問題ではないにせよ、いずれにしてもヨーロッパ的問題として、われわれの前に立ちはだかっている。こうした状況のもと、あらゆる国の革命運動は、その最初の一歩目から、不可避的に、その民族的制約の枠組みを広げ、他の国で平行して進んでいるプロレタリアートの運動のうちに、自国における運動の成功の保障を見出そうとするだろう。社会革命をめざす政治闘争は、プロレタリアートにとって国家権力をめざす闘争を意味する。1871年にマルクスが、パリ・コミューンの経験にもとづいて、まったく正しくも次のように書いたとすれば、すなわち、プロレタリアートは単に機械的にブルジョア国家を奪取することはできない、プロレタリアートはそれを自らの目的に合うようにつくり変えなければならないと書いたとすれば、今やわれわれは次のように言わなければならない。このつくり変えの主要な課題は、全ヨーロッパ規模で、すなわち共和制ヨーロッパ合衆国として、プロレタリアート独裁を組織することである、と。
以前の諸論文の中でわれわれは、現在の世界的大火に火をつけた南東ヨーロッパの後進的諸民族にとって、民主主義的連邦を通じる以外に、歴史発展の大道へ至る出口は存在しないこと解明してきた。すでに見たように、これこそが、最も先進的な資本主義国の発展によって提起された問題に対して回答を与える政治的定式に他ならない。連邦共和制は遠心的な民族的諸要求を抑圧するのではなく、それらの要求を民族文化的課題の自然な軌道の上に導く。それは、ヨーロッパに分布する個々の民族集団による分配への依存から経済発展を解放することによって、経済的な意味での民族性を中立化する。個々の民族集団による分配という方法は、別の時代に発生したものであり、現代経済を組織するうえでいかなる力も喪失する原因となっている。現代経済の傾向は求心的である。それは、経済力の盲目的な運動の中に理性的な統制と集中された計算を導入することに帰着する。このことは、各国内部における私的経営間の競争にあてはまるだけでなく、世界における各国民経済間の競争にもあてはまる。
より後進的な諸国と世界の他の部分とを計画的に組織された経済の領域に引き込むこと、地球全体を社会主義的に組織された人類の経済舞台に変えること――これは、勝利した社会革命が社会主義ヨーロッパの前に立てるであろう巨大な課題なのである。
『ナーシェ・スローヴォ』第22号、第23号
1915年2月23日、24日
新規、本邦初訳
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