団結の自由と請願カンパニア

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、1910〜1912年にロシア社会民主労働党内部で展開された「団結の自由と請願カンパニア」をめぐる論争に捧げられたウィーン『プラウダ』第21号の付録である。この中でトロツキーは、部分的要求のための闘争をめぐるマルクス主義の原則的立場を解明するとともに、「団結の自由」という要求のもつプロレタリアートにとっての歴史的意義を明らかにしている。この論争の意義については、『トロツキー研究』第37号の「特集解題」を参照にしていただきたい。

 最近、ヨーロッパを中心に国際的な投機的為替取引を規制するアタックという市民組織が広範に組織され、運動の中心となりつつあるが、この運動に対して、それが資本主義の廃絶そのものを目指さない部分的要求のための闘争にすぎないことをもってセクト的に攻撃する「トロツキスト」(反マンデル派)が一部に存在する。だが、このような攻撃がトロツキー自身の立場と根本的に反することを、以下の論文はこの上なくはっきりと示している。

 本論文は、最初、『ニューズレター』第31号に訳出されたが、若干修正のうえアップしている。

Л.Троцкий, Свобода коалиций и петеционная кампания, Приложение к No.21 Правда, 1911.6.25.

L.Trotsky, Die Entwicklungstendenzen der russischen Sozialdemokratie, Die Neue Zeit, No.31, 1910.9.2.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 [第1次]ロシア革命は、資本主義的基礎にもとづいて成長した生産力と、国家的・法的関係の農奴制的な専制体制との矛盾によって起こった。この革命は、あれこれの――実際ないし虚偽の――戦術的誤りによって敗北したのではなく、革命的力の不十分さが原因で敗北した。反革命的諸階級の勝利は、しかしながら、生産力の成長がストップすることを意味しなかったし、意味しえなかった。ロシアはあまりにも深く資本主義的発展の道に入り込んでおり、あまりにも密接に世界資本主義と結びついている。したがって、6月3日同盟の軍事的・警察的独裁といえどもロシアの経済発展を封印することはできなかった。国の経済的諸要求は、反革命体制のあらゆる障害を乗り越えつつあり、資本はわれわれの目の前で、その本質から生じる形態で、すなわち商工業好況という形態で、新しい一歩を踏み出している。

 有産階級と政府は好況を歓迎している。なぜならそれは彼らを富ませるからである。しかし、彼らは、まさに産業好況こそが彼らの反革命的国家体制を滅ぼすものであるということに気づいていない。現在の国家的・法的枠組みにもとづいた生産力の発展は、この体制がわが国の基本的諸要求にまったく整合していないことを曝露するだろう。そのことを通じて、ツァーリズムの転覆という問題(課題)が、そのいっさいの革命的深みをともなって接近することになる。それとともに、生産力の発展は、プロレタリアートの社会的基盤を拡大し、その数を増大させ、その生産力上の意義を高め、その士気を強化する。そして、革命的課題を歴史の日程にのせることによって、経済好況は反革命体制を破壊するための力をつくり出すのである。

※  ※  ※

 ストルイピン(1)政府は、好況とともに労働者の隊列の中で積極性が高まると、労働者の公然「団体」に対する新たなポグロム的襲撃でもってそれに応えた。しかし、ごく最近までは労働組合組織や啓蒙団体の残骸が破壊されたとき、「どうしようもない」という暗黙の承認がまだ見られたが、今では、「もうこれ以上がまんできない!」という別の気分が生じている。先進的労働者のまさにこうした気分から、「請願」カンパニアという計画が生まれてきたのである。国会の社会民主党議員団を通じてできるだけ多くの労働者をこの請願署名に獲得しなければならない。請願カンパニアは、一方では、1906年3月4日の法令[労働三権を厳しく制限した法律]に示されているような惨めな労働者の「権利」に対する政府の侮辱的態度に抗議するものであり、他方では、団結(集会・結社・ストライキ)の全面的自由を要求するものである。

※  ※  ※

 残念なことに、すでに多くの地方で事実上起こっている請願カンパニアに対して、断固として反対している若干のグループがわが党の中に存在している。彼らは一方では、スローガン(団結の自由)の部分的性格に対して、他方では行動の請願という形態に対して非難を加えている。請願カンパニアのためには、われわれは、一部の同志たちがそれに断固として反対するうえで持ち出している――そしてそうすることで労働者の隊列の中に混乱を持ち込んでいる――根拠を、全面的な形で検討することが必要であると考えている。

 

T、団結の自由

 

   プロレタリアートにとって団結の自由は何を意味するか

 民主主義的イデオローグの観点からすれば――もっとも、今やこの世にごくわずかしか残っていないが――、団結の自由は、部分的なものでしかなく、しかも政治的民主主義の一般原則から生じる「自明の」帰結である。資本主義的リベラリズムにとっては、これは「必要悪」にすぎず、階級闘争が非和解的なものになればなるほど、ますますこの自由は厳しく制約され切り縮められなければならない。だが、プロレタリアートにとっては、この問題はまったく異なった意味を持っている。彼らにとって団結の自由は、自分自身の運動実践から引き出される――時間的にも意義の上でも――基本的で最初の政治的結論である。プロレタリアートにとって、集団的自己保存と、資本に対する集団的攻勢の、最初の最も初歩的な要求からしてすでに、集会・結社・ストライキの自由が必要になる。普通選挙権、共和制、民兵制、裁判官の選挙、等々の要求がプロレタリアートの意識の中で強固で抜きがたい価値観になっていくのは、それらが経験を通じて階級的結合・階級的結集・階級闘争の諸要求から生じてくるにつれてでしかない。

 団結の自由を、民主共和制の綱領の中にその「自明の」部分として解消してしまうことができるのは、小ブルジョア的な民主主義的観念論者と、さらには、はなはだ疑わしい「マルクス主義者」だけである。この種の「マルクス主義者」は、ブルジョア的ジャコバン主義者から民主主義的綱領を単に借用しただけで、それを階級闘争の社会的内容で満たそうとはしなかった。プロレタリアートにとって、団結の自由は、共和制の綱領から出てくる論理的帰結ではない。反対である。プロレタリアートにとっては、共和制の綱領の方が団結の自由の必要性から出てくるのである。社会民主党が共和制のために闘争するのは、階級闘争の自由のため、すなわち何よりも、集会・結社・ストライキの自由のためである。民主共和制を含むいかなる国家形態といえども、われわれは何よりも、それが労働者に階級的運動の自由をどの程度保証するかに応じて評価する。したがって、われわれにとって団結の自由は、民主主義綱領の部分的項目などではなくて、政治的民主主義の綱領全体に対する最高の階級的基準なのである。

 わがロシアの1890年代の産業好況期におけるストライキ運動は、はじめて労働者を――個人としてではなく階級として――警察的現実と専制政治の法に直面させた。この歴史的に与えられた基礎にもとづいて、社会民主党の革命的アジテーションは広範な労働者大衆を獲得することができた。そして現在、産業好況が始まるやいなや、広範な労働者層が、集会・結社・ストライキの自由というスローガンのもとで最初の政治的行動を起こしたのは、言うまでもなく、偶然ではない。

 団結の自由という要求の革命的・階級的性格を、われわれは、ストルイピンのロシアにおいてだけでなく、半絶対主義的なドイツから共和制のフランスにいたるまでの、ヨーロッパのすべての先進諸国にも見ることができる。なぜなら、これらのすべての国家は階級的機関だからである。ヨーロッパ諸国の憲法では、団結の自由がおごそかに承認されているが、いわゆる実定法(とりわけ刑法)、行政の実態、裁判所の活動、そして最後に、国家権力を維持するために資本家が行使する組織的テロのせいで、団結の自由には、時に労働者組織の存在そのものを脅かすほどの無数の障害が立ちはだかっている。「階級的結集の自由」のための絶え間ない闘争の中で、プロレタリアートは、資本主義国家のあらゆる機関と敵対的に衝突し、その不倶戴天の敵となる。

 225万人以上の労働者を包含しているドイツの労働組合を革命化することができたのは、ストライキとボイコットのための、すなわち団結の自由のための持続的な闘争以外の何ものでもなかった。ドレスデンで開かれたドイツ労働組合の最近の大会は、全面的に団結の自由のための闘争を基調としていた。この10年間というもの、イギリス上院と裁判所は、イギリスの労働組合に対して系統的な攻撃を加えてきたが、それは、イギリス労働組合の貴族主義的閉鎖性に革命的風穴をあけ、組合が独立労働党結成への道をとることを余儀なくさせた。フランスでは、団結権のための国家公務員と鉄道従業員の闘争はその隊列を革命化した。これは最も先鋭な問題の一つであり、フランス共和国の国内政治は現在、この問題をめぐって回転している。アメリカ合衆国では、大きな労使紛争が起こるたびごとに、裁判所は労働組合に大量の首吊り縄を投げる。北アメリカの裁判所は、法律と議会に立脚し、「民主共和制」の枠内にはあるが、純階級的な資本主義的絶対主義の具現物である。それゆえ、団結の自由のためのアメリカ労働組合の闘争は不可避的に、階級国家に対する革命の道へと労働組合を押しやる。

 前述したように、団結の自由という要求は、プロレタリアートにとって、そこから政治的民主主義の綱領全体が発展してくる第一義的要求である。たった今見たように、団結の自由のためのプロレタリアートの闘争は、ブルジョア民主主義国家においても、すなわちまさにこうした「政治的民主主義」の状況下でも、その先鋭さを失わない。意識的ないし無意識的に社会革命の道へと動きつつあるプロレタリアートは、絶え間なく、階級的組織化の権利を擁護しなければならないし、一歩ごとに階級国家が前方に置く妨害物を道から取り除かなければならない。したがって、団結の自由のためのプロレタリアートの闘争は、その本質からして、すぐれて革命的で階級的な性格を有しているのである。

 ペテルブルク地区の代表者たちは、あたかも団結の自由の旗のもとでの独立したカンパニアが「現存する専制体制との闘争」を「個々の権利のためのささいな闘争に」矮小化[両替]するものであると主張しているが、それは事態を根本的に見誤るものである。この決議に賛成投票した労働者の同志諸君は、自分たち自身の階級的経験を考慮に入れなかった。その経験を振り返るなら、階級的結集の可能性のためのプロレタリア大衆の闘争を「ささいな」闘争と名づけることなどできないことを納得するだろう。むしろ反対である。階級的結集のための闘争こそが、ツァーリズムに対してのみならず、階級国家に対しても、革命的闘争を行なう広大な道へと大衆を引き出すものなのである。

 

   「部分的要求」と社会民主党の戦術

 そもそも、革命を部分的権利のための闘争に矮小化しているという非難は何を意味しているのだろうか? 外見的には、それはヨーロッパのマルクス主義者が日和見主義者に反対したときの論拠に似ているが、実際には何の共通点もない。修正主義者(ないし日和見主義者)は、社会主義を部分ごとに実現することを望んだ。すなわち、実際には社会革命を部分的な改良のための闘争に矮小化した。マルクス主義者の意見によれば――そしてこの意見は、この数十年間における社会発展によってこの上なくよく裏づけられている――、ブルジョア社会の枠内における個々の改良は、社会主義をもたらすことはできない。なぜなら、ブルジョアジーの手中にある現在の国家機構は、生産手段の私的所有を瞳のように大切に保護し、したがって、資本主義体制の廃止をもたらすような改良を許容しないからである。社会主義を実現するためには、プロレタリアートはブルジョアジーの手中から権力を奪取し、生産手段の私的所有を社会的所有に置きかえなければならない。これこそが社会革命である。しかし、マルクス主義者は、社会主義を社会改良主義にすりかえようとする試みに対して最もきっぱりと反対しているからといって、改良のための闘争そのものに反対するものではけっしてない。逆である。アナーキストとは対照的に、マルクス主義者は、社会革命への道は改良のための闘争を通じてしか実現できないと考えている。8時間労働日、教育と宗教の分離、民兵制度、要するに、われわれの最小限綱領の周囲に大衆を動員することは、この闘争が実際にどの程度成功するかにかかわりなく、それ自体として労働者を団結させ、彼らを訓練し、階級敵および国家と衝突させ、労働者を社会革命に向けて準備させる。

 ペテルブルクの同志たちは、この種の戦術が最終目標を個々の権利のためのささいな闘争に矮小化するものであると考えているのであろうか? もちろん、否である。なぜなら、そうだとすれば、それは、国際社会民主主義の戦術全体を否定し、われわれの最小限綱領を不要なバラストとして船外に投げ捨てることを意味するからである。決議の筆者たちは、おそらく、この戦術はそれ自体としては正しいが、議会体制の条件がまだ存在しないロシアにはあてはまらないと想定しているのであろう。このような条件のもとでは、団結の自由のためのカンパニアは、彼らの意見によれば、あたかも労働者の団結権が6月3日体制と両立するかのような幻想を生み出すものだということなのだろう。しかしながら、同じことは、明らかに、われわれの最小限綱領の残りの部分についても言えるはずである。国家的規模の社会保険を立法化する法案を社会民主党が国会に提出することは、あたかも6月3日体制の国会がその法案を採択するかのような「幻想」を生み出すものだと言えるだろう。国会の外でもそうである。8時間労働日のスローガンのもとメーデー・カンパニアを全国で展開することは、あたかも8時間労働日がストルイピンのロシアにおいて可能であるかのような幻想を生み出すことを意味するのではなかろうか?

 もしわれわれのうちの誰かが、団結の自由のための闘争のためには、労働者の運動と今日のロシアの合法的枠組みとを和解させなければならないという結論を引き出そうとすれば、そのような人物は、自分が単なる無邪気なユートピア主義者であり、何が何でも合法性を崇拝する俗物であることを暴露するものであろう。このような傾向に対して、先進的労働者は不可避的に反撃をするにちがいない。しかし、日和見主義的帰結の危険性があるからといって、団結の自由のためのアジテーションを拒否することは、産湯といっしょに赤ん坊を流すようなものである。プロレタリアートの「部分的な」階級的諸要求を求める系統的アジテーションを拒否することは、実際には階級的戦術を拒否することを意味する。それを拒否するならいったい何が残るのか? 「専制打倒!」――これが、合法則的と認められる唯一の革命的「カンパニア」だということになろう。しかし、抽象的な一般民主主義的スローガンに全面的に従属した革命運動が階級闘争の性格を完全に失うことになるのは明らかではないのか。それは、プロレタリアートの階級的利益を体現する党としての社会民主党が、政治的民主主義の一般的要求に完全に屈服することを意味するだろう。われわれがこのような道に立つことは許されない。勝利した革命の「翌日」になってから階級的要求を提出するというようなことはできない。すでに今日、現在の条件のもとで、われわれの最小限綱領のすべての内容を、単なる抽象的なプロパガンダによってではなく、大衆的規模の要求と行動と攻勢を通じて、解明しなければならない。

 われわれの最小限綱領の――実生活そのものと結びついた――当面する部分的諸要求の周囲にプロレタリアートの政治的行動を結集することは、いささかもプロレタリアートの利益と現体制との和解という思想を惹起するものではない。反対である。この道を通してのみ、プロレタリアートと反動との非和解性が、思想から事実になり、行動の中で明らかにされ、公然たる革命的衝突の時期を近づけるのである。そして、プロレタリアートは、この道を通じて、この衝突において単に有産階級のために革命の火中から栗を拾うのではなく、自らの階級的利益を擁護することができるようになるのである。

 

U、請願カンパニア

 

 以上、われわれは次のことを明らかにした。社会民主党のアジテーションは必然的に、部分的な要求から出発しなければならないし、その周囲に広範な大衆を結集し、この大衆をわれわれの最終目標の理解へと導いていかなければならないこと。社会民主党のこうした国際的戦術はロシアにとっても完全に効力を保持していること。労働者民主主義の諸要求の中で団結の自由が根本的なものであること。こうしたスローガンのもとで大衆が行動に立ち上がることは6月3日体制に対する彼らの決定的な攻勢の端緒となること、である。しかし、以上のことは、大衆運動の形態に関する問題を解決するものではない。団結の自由というスローガンのもとで、第3国会に請願することも可能であるし、ゼネストをすることも可能である。かつてガポン(2)の指導のもとでやったように、ツァーリに対して団結の自由を恭しくお願いすることもできる。また、バリケードの上でこの同じ要求のために闘って殉教することもできる。したがって、残っているのは、次のような独自の問題を検討することである。すなわち、運動の請願という形態と階級闘争の原則とが両立するのかどうかである。

 

   言語恐怖症

 まず最初に必要なのは、この問題において、「請願」という言葉によってつくり出されている一つの誤解を解くことである。この言葉は、懇願や陳情やお願いとして言いかえることができる。しかし実際には、言うまでもないことだが、何らかの場合に労働者の側からお願いするというようなことは問題になりえない。その議会政策においてプロレタリアートは、ブルジョア民主主義によってつくり出された用語法を利用しないわけにはいかない。ブルジョアジーは、人民の前で、自分たちの議会を神聖な後光でつつみ、したがって、議会に対する大衆の訴えに「請願」という名称を与える。この名称は定着し、広く流布したが、社会主義プロレタリアートがそれを口にする際には、議会主義のブルジョア理論家がそれに与えたようなへりくだった意味は完全に失われてしまっている。

 これは他の多くの場合においても見られる現象である。「恩赦」という言葉は権力者が下々のものに与えるお赦しを意味しており、まさにそれゆえ社会民主党はつねに宣伝ビラでこの言葉を使うことを避けてきた。それにもかかわらず、その言葉は大衆の中で流布した。[1905年]10月17日の詔書の発布後、革命的労働者を含む数千、数万の市民はツァーリの監獄を包囲して、声をそろえて恩赦の叫びを心の底から発した。これは、大衆が囚われの闘士たちの「お赦し」をニコライ2世に請うたということを意味するだろうか? このような考えが脳裏に浮かぶのは、何らかの衒学的言語学者だけであって、自覚をもった政治家ではない。革命的街頭で恩赦という言葉が発せられるとき、それは、あらゆる君主制的ニュアンスが払拭され、ツァーリのバスティーユを破壊するスローガンとなった。思い出す必要があるだろうか、われわれが現体制全体に対する労働者の反逆を象徴する日であるメーデーを、プロレタリアートの祝日と呼ぶことを恐れなかったことを。この言葉が教会と国家の祭日と密接に結びついているにもかかわらず、である。はたして祝日という伝統的名称を使うことは、メーデーの行動の革命的意義を弱めたり貶めたりすることを意味するだろうか? プロレタリアートはその闘争において、階級社会の用語のみならず、階級社会の諸機関をも利用しないわけにはいかない。そして、国際プロレタリアートが議会のようなブルジョア諸機関の囚われにならないのと同じように、彼らが言葉の前に屈服すると考えるのは滑稽である。形式から内容を判断したり、言葉に驚いて実際の中身に背を向けるのは、思考する労働者にふさわしくないことである。

 請願が単なる陳情なのか、それとも要求なのかということを判断するためには、その請願そのものに目を向けるべきである。請願書が、労働者の結社に対する政府の態度を批判して「これ以上先延ばしすることはできない」と言うとき、これが嘆願ではなく抗議であるのかは明らかである。「われわれには、自分たちの利益を守るための組織をつくる自由が必要だ。それゆえわれわれは要求する、結社、集会、ストライキの自由を…」。これが陳情ではなく要求であるのは明らかである。「われわれはそれを何としてでも達成する」。これは屈辱的な嘆願ではなく、自らの力を自覚している誇りある宣言である。「われわれは国会の注意を、現在起こっている事態に向けさせ、われわれの死活に関わる問題をただちに審議するよう主張する」。主張し時期を指定する者は、お願いする者ではなく、要求する者である。「国会と政府が労働法の諸権利をどのように守っているかをすべての国に知らせよう」。これは陳情はなく、脅迫ではないのか? 「労働者の自由な組織化の問題は、先延ばしできない緊急の問題であり、われわれはそれをただちに要求する」。このように語る者は、お願いする者ではなく、高圧的に命令する者である。

 請願をよりうまく書くことができたかどうか、この問題についてはわれわれは詳しくは論じない。もちろん、できた。「われらが父[祈りの中で神に呼びかける言葉]」でさえもっとうまく書けただろう。だがわれわれはあるがままの請願文書を取り上げよう。そしてわれわれはこう言う。この請願を感傷的な陳情とみなすことができるのは、それをまったく読んでいない者だけである、あるいは、たしかに読んだが、それを不誠実に歪める者だけである、と。だがこれはすでに論外である。誠実さは敵に対してさえ必要なものである。ましてや、階級闘争において、自分の仲間の宣言さえ誠実に扱えない人々について、いったい何を言えばいいのだろうか? だが、恥ずかしいことに、われわれの党内には、請願を「嘆願」であるとして悪意を持って不誠実に軽蔑することにしか自分の力を発揮するすべを知らない文筆家がいるのである。

 

   第3国会に要求を訴えることはできるか?

 以上のことから明らかなように、請願は陳情ではなく要求である。だが、労働者は、6月3日派の人々に対して、現在の国会に対して、あるいはその国会をつくった政府に対して、たとえ要求であれ、そのようなものを訴えることはできるのだろうか? たとえば、ポーランド社会民主党の機関紙『赤旗』はこう書いている――。

「労働者が現在、国会に対して出すべきは、法案や要求ではない。出すべきはただ、ストルイピン的卑劣漢どもに対する抗議だけである。このような抗議は、国会の演壇から労働者の要求を宣言するための材料を社会民主党の国会議員団に与える。すなわち、国会を……アジテーションの演壇として利用する可能性を与える」云々

※原注 帝政ロシア領ポーランドにおけるもう一つの社会民主党組織であるポーランド社会党(PPS)左派(レーヴィツァ)は、請願カンパニアの問題において、全体として、ここでわれわれが展開しているのと同じ観点に立っている。PPSは現時点において、事実上、請願カンパニアを展開している。

 つまり、結論はこうなる。労働者大衆は国会に対して要求を訴えることはできない。できるのはただ抗議だけである。だが、社会民主党の議員団は、この抗議を「材料」として用いて、労働者の要求を形づくることができる。ここでは、社会民主主義的プロレタリアートの闘争とその国会議員団の闘争とのあいだに何か原理的な質的相違が打ち立てられている。2つに1つである。国会の演壇から要求を提起することが社会民主党に許されるなら、国会の周囲からそうすることも許される。他方、労働者大衆がストルイピン的卑劣漢どもの専横に対して抗議し憤激することしかできないのなら、国会議員団にも、全ロシア的卑劣行為の代表者たちの面前でプロレタリアートの要求を定式化する権利などないだろう。党の活動に原理的な二重基準を打ち立てることはできない。大衆を、議会の「指導者」が政治的要求に加工するための原材料ないし政治的半製品の調達者とみなしてはならない。だが同じく、国会議員団を、党の罪深い余計な突起物であり、しょせんは6月3日派の業病に感染しており、そのせいで革命的大衆をけがすだけの行動しかできない、などとみなしてもならない。

 さらに。要求と抗議とを対立させることにいかなる意味があるのか? もちろん、抗議が、太陽系ないし銀河系が悪くつくられているという趣旨のものなら、その抗議にはいかなる要求も含まれないだろう。しかし、抗議が労働組合の破壊に矛先を向けている場合には、その抗議には、弾圧政策を止めるべきだという要求が含まれることになる。6月3日派の連中に要求することは、この6月3日派の連中が労働者に団結の自由を授けてくれるということを期待するするものではまったくない。反対である。それが意味しているのは、労働者が同時に、6月3日派に対しても、そのリベラルな後継者となりうる連中に対しても――階級闘争の自由のために――闘争することである。

 プロレタリアートを動員する手段としての請願を拒否している同志たちの基本的な誤りは、請願を議会活動の他のすべての形態から人為的に切り離している点にある。請願は、一方では、政府が3月4日の法令でさえ侵害していることを暴露するとともに、他方では、3月4日令というヴィッテ(3)の首吊り縄を、実際に「集会、結社、ストライキの自由」を保証する法律に置きかえることを要求する。もしわれわれが、ストルイピンに対して3月4日令に関して国会質問をすることは愚かなことであり、この法律の改革を第3国会に要求することはなおさら愚かなことであるという考えに立っているならば、もちろん請願は無意味なものになるだろう。しかし、そのときには、わが党の国会議員団がストルイピンに何らかの国会質問をしたり、法案を提出したり、他の法案に関する修正を出すこともしてはならないということになるだろう。また、国会議員団を召還するべきであり、召還主義者が正しかったことになるだろう。そしてわれわれは社会革命党を模範にしなければならなくなるだろう。この党は国会に議員団をもっておらず、周知のように、そのことで途方もなく革命的な奇跡を起こしているのだと信じている。しかし、もしわれわれが、国会活動を利用することを合目的的であると認め、わが党の国会議員団が国会質問権を活用し、立法上のイニシアチブをとることが必要であるとみなすならば、大衆自身が国会活動に対して積極的に介入することを拒否することがどうしてできようか?

 われわれが直接的な実践的結果を出すことを目的としているなら、われわれの議会戦術――国会内部および国会をめぐるそれ――はまったく無駄なものであることを認めなければならないだろう。なぜなら、わが党の議員団はその活動の4年間というもの、いかなる改善も、いかなる改良も達成していないからである。そして、今後近いうちに、国会質問を通じてストルイピンから改悛を勝ちとることは、クルペンスキー(4)に結社と集会に関する社会民主党の法案に賛成させるのと同じぐらい難しいだろう。しかし、わが党の議会戦術の課題は、6月3日派の連中の意識に働きかけることにあるのではなく、プロレタリアートの意識を目覚めさせることにあり、また、支配者を改心させることにあるのではなく、大衆を革命的に立ち上がらせることにあるのだ。

 実際のところ、国会に対する労働者の関心を大衆的に喚起することがどうして、立憲的幻想を彼らの中に植えつけたり強化したりすることになるのか? このことを恐れている同志たちはどうやら、第3国会の性格と役割に関して正確な認識を持っていない労働者層――不幸なことにこれは非常に広範囲にわたっている――のことを念頭に置いているようだ。しかしながら、政治的な偏見と不可避的に結びついている政治的な無自覚性は、この場合、請願カンパニアの結果ではなく、請願カンパニア以前にすでに生じていた状況の結果であって、請願カンパニアはそうした状況を明るみに出すにすぎない。さらに、請願カンパニアの意義はまさに、半ば自覚的であるがまだ社会民主主義的でない労働者を運動に引き込み、彼らの利害関心の範囲を広げ、彼らを国会に対峙させ、そうすることで、彼らの階級的要求に対して国家権力および各政党がどのような態度をとっているかを実地に理解させる点にある。

 それとも同志たちは、国会が労働者を言葉で誘惑することを懸念しているのだろうか? もしそうだとすれば、同志たちは労働者階級の政治的意義をあまりにも低く評価している。それとも、国会が現実の譲歩によって労働者を買収しようとするということだろうか? 実際にやらせてみたらよい。本当に国会が譲歩すれば、ますます運動は広範に発展し、労働者の圧力はますます強力になり、勝利者の「立憲的幻想」はますます急速に崩壊するだろう!

 

   純プロパガンダ主義の幻想

 しかし、そうだとしても、ツァーリズムを革命的に打倒するのに必要なものは何も第3国会から期待することができないということを、いかなる請願もなしにこれらの労働者にあっさり説明することができるのではないか? しかし――と、われわれは尋ねる――、もしそれが可能なら、そもそもどうしてそれを先延ばししているのか? どうして労働者に「あっさり」説明しないのか、どんなブルジョア議会も、どんな改良も、どんな協同組合も、彼らを資本主義的くびきから救うことはできないこと、ただ救いは社会主義革命にのみあるということを。もしわれわれが、あらかじめ、西欧の経験を持ち出して、無数の紛争の結果が非常に貧弱であることを労働者に説明することができるのなら、そして、「最後の闘争」にすべての力を集中するよう訴えることができるのなら、そもそもどうして「われわれ」は労働者をこうした紛争の中で階級敵と正面衝突させなければならないのか? どうして「われわれ」は、プロレタリアートの現実の階級運動を、すなわち、少しづつ自らの基盤を広げそのスローガンを一般化していくしかないこうした運動を、社会革命の必要性を説いた一つのパンフレットを普及することで置きかえないのか? いったいどうしてわれわれは、自らを労働者階級の内的に条件づけられた運動の最も意識的な表現とみなしているマルクス主義者であるのか、どうして、あまりにものろのろとした鈍重な社会的経験を、一個の扇動的雄弁によって置きかえることができると考えているユートピア主義者になろうとしないのか? ためしてみてはどうか? 最初から始めてはどうか? ラヴロフ(5)的ユートピア主義者の純プロパガンダ主義に戻ってはどうか?

 この機会に、われわれは次のことを改めて納得させる絶好の可能性を得ることができた。すなわち、労働者が現存体制と、そしてその構成部分である第3国会と衝突するかしないかは、けっして「われわれ」に依存してはいない、ということである。なぜならわれわれは、そもそも歴史的過程を管理しているわけではないからである。われわれは何も特別に団結権という「部分的権利」のための闘争をつくり出しているのではない。こうした闘争は客観的過程である。労働者は組合やクラブをつくり、それを広げる。それらが閉鎖されると、彼らは国会に訴え、再び新しい組合やクラブをつくる。集会や宣伝行動のたびに警察署長と争う。出版物の中で弾圧を暴露し、各種の合法的な大会の場で組合の破壊について騒ぎ立てる。議員団を通じて国会質問をする、等々。それとも、これらの活動はすべて最初から最後まで、あたかも現体制に平和的に「穴をうがつ」ことができるという幻想を掻き立てるものであろうか? だが請願は、これらを過程を総合し整然とした形式を与えたものでしかない。そして、請願は、すべての労働組合およびクラブの労働者に対し、全国でいっせいに「われわれは団結の自由を要求する!」という声を上げる機会を与えるとともに、すべての政党と政府権力に対し国会の演壇からこの要求に答えるよう訴える機会を与える。

 次のように考えること、すなわち、地方の警察署長や市長とのばらばらのパルチザン的もめごとの場合には幻想を生まないが、こうした闘争が、総合的で階級的で計画的かつ組織的な性格をとった場合には、そういう幻想を生むとか、あるいは、地方の警察官僚と特定の自治体の代表者たちを束ねている都市の公的機関に要求を訴える場合には生まないが、全国の警察官僚とすべての自治体の代表者たちを束ねている全ロシア的な公的機関に要求を訴える場合には幻想を生むとか、あるいは、金属労働者や仕立て工の個々のグループが要求を出す場合には生まないが、プロレタリアートのすべての先進層の場合には幻想を生むとか、役人によってぶち込まれた監獄の中で要求を出す場合には生まないが、全国的に公然とやれば幻想を生むと考えること、すなわち、こうしたまさに巨大な前進から有害な幻想が生まれると考えることは、文字通り、ユートピア主義的プロパガンダ主義の幻想のとりこになることを意味する。

 

   請願「権」は国家権力に対する大衆的圧力の権利である

 請願は、議会制度の慣行によって形成された政治的意思表明の一形態である。この手段が革命的であるのか保守的であるのかは、名称や形態にかかっているのではなく、言うまでもなく、もっぱら、この手段をいかなる階級が利用するのか、何の目的で利用するのかにかかっている。同じことは議会制度全体についても言わなければならない。ブルジョア自由主義は、議会制度のさまざまな形態、方式、儀礼、用語をブルジョアジーの利益に合致するようにつくり上げた。社会民主党はそれをプロレタリアートの利益のために利用する。立法発議権、質問権、予算編成権といった、ブルジョア議会制度のあらゆる諸形態に、社会民主党はその議会活動を通じて階級的・プロレタリア的内容を持ち込む。もし議会の舞台において少数派の社会民主党国会議員団によって行使される立法発議権、質問権、予算編成権がプロレタリアートの階級闘争において革命的手段になりうるのならば、どうして大衆自身が行使する請願権が革命的手段になりえないのか? しかも、われわれのロシアにおいては、西欧よりもはるかに革命的手段になりうる。なぜなら、国の中で社会的・政治的生活が発展すればするほど、請願権はその意義を失うことになるからである。

 人民大衆が、大衆集会や決議や街頭デモを通じて自らの要求を表明することができる国では、請願権はしだいに不必要になり、すたれていく。その場合、人民の意志は、法律の発議権や国民投票のうちに直接に表現される。しかし、公然たる社会生活がわがロシアでのように抑圧されている国では、数万、数十万の署名の書かれた請願書は、プロレタリアートの集団的意思を表明するごくわずかな手段のうちの一つになりうる。さらにつけ加えておかなければならないのは、請願権はロシア「憲法」には書かれておらず、それどころか、国会という「公的機関」では請願が禁止されていることである。その理由はまさに、請願が大衆運動を前提としており、ロシアのような警察的専制の国ではあらゆる大衆運動は危険だからである。したがって、請願に名前を連ねた労働者は事実上、自分たちに与えられていない権利を自らに授与している、言いかえれば、国会という「合法的」機関を通じて行動する労働者は同時に、その行動そのものによって、エセ憲法的合法性の足もとを掘りくずしているのである。

 請願を拒否するペテルブルク地区の代表者たちは、次のような「事実」を請願に対置している。

「合法的な労働者組織の存在をはじめ、労働者階級の敵の側からの譲歩を獲得することができたのはただ、現行の法律を完全に無視した、計画的で組織的で攻勢的な大衆運動を通じてのみである」。

 わが党の戦術に対するこのような特徴づけは明らかに一面的である。「現行の法律を無視すること」は、原則の問題ではなく、その時々において合目的であるかどうかの問題である。われわれはしばしば――全体としてないし部分的に――現行法の枠内で活動をせざるをえない。それは後でより確実にその現行法を覆すことができるようにである。しかし、まったく驚くべきなのは、まさに請願カンパニアがこれらの決議執筆者たちの規定する革命的戦術の枠内にあることに彼らが気づいていないことである。なぜなら、請願カンパニアは、「大衆運動」であり、しかも「計画的で組織的」であり、さらには、「攻勢的」である(労働者は拒否されている事柄を要求しているのだから)からである。最後に、この「計画的で組織的で攻勢的な大衆運動」――請願カンパニア――は、「現行の法律を完全に無視する」ことによって実行できる。なぜなら、国会という公的機関は請願を出すことを厳格に禁止しているからである。つまり、請願カンパニアにおいて労働者は、一定の政治的権利を、強奪的な手段によって、すなわち本質的に革命的な手段によって実現しているのである。

 

   請願カンパニアと1日ストライキ

 しかし、請願は、団結の自由のための運動の唯一の形態ではないのではないか? もちろんである。一部の労働者層のあいだでは、労働組合弾圧に関する国会質問を1日ストライキによって支持するという考えが支持されている。請願に反対している一部の同志たちは、このストライキ論に飛びついたが、それは何らかの実践的計画としてではなかった。反対である。彼ら自身、現時点におけるストライキが実現可能であるということを信じていない。彼らは、それを…請願に反対する論拠として支持したのである。彼らはこう書いている――「1日ストライキは真の闘争である。だが請願は単なる陳情である」。しかしながら、このような対置に示されているのは、子どもじみたまったくの概念の混乱である。

 1日ストライキはいったいいかなる意味で「闘争」なのか? 広い視点から見るなら、宣伝ビラの配布もストライキも集会も議会演説も大衆的請願も、プロレタリアートの――その土台において単一の――階級闘争のさまざまな形態であり、その現われである。なぜなら、これらすべての形態は、それぞれのやり方で、プロレタリアートを革命軍に結集するのに貢献するからである。しかし、この絶え間ない闘争において、純粋に準備的な行動(扇動目的の集会、財政の強化、発行物の普及、平和的な街頭デモ、等々、等々)と敵との直接的な衝突(経済ストライキ、議員の選出、蜂起…)とを多少なりとも正確に区別することができる。1日ストライキはどっちにあてはまるのか? ストライキ参加者が最初から、何らかの実際上の成果を獲得するまでストライキを継続する意図をもっておらず、あらかじめ1日だけに制限するつもりならば、そこで問題になっているのは、決定的な闘争手段としてのゼネストではなく、ストライキを通じたデモンストレーションにすぎないし、その目的は、団結の自由の要求を多くの勢力が支持していることを示し、それによって大衆の自信を高めることである。

 しかし、この種の、ストライキを通じたデモンストレーションが、請願と質的に何ら区別されないのは、まったく明らかである。どちらの場合も問題になっているのは、敵の目の前で、また、まだ無自覚的な大衆の面前で、声高に団結の自由という要求を提出することでしかない。1日ストライキは、疑いもなく、請願よりも大きなエネルギーを要するデモンストレーションであり、より強力な結束とより大きな自己犠牲を必要とする。しかし、この違いは単に程度の問題にすぎない。そして、この違いが存在するということは、逆にいえば、大衆がばらばらになり受動性に沈んでいた3年間の後に、請願カンパニアの周囲に大衆を動員するという事前の取り組みなしに、いきなりストライキを大衆に呼びかけるというのは、軽率きわまりないことではなかろうか? 

 

   大衆的行動における社会民主主義者

 しかし、以上述べたことをすべてしばらく忘れよう。すなわち、団結の自由が階級闘争の根源的な第一の要求であるということ、われわれ社会民主主義者は、この要求を民主共和制の実現まで先延ばしすることはできず、この要求の周囲に大衆を今の時点からすでに結集しなければならないことを忘れよう。そして、これを達成するのが、すでに一個の事実となっている請願カンパニアであるということも忘れよう。現在われわれは、この請願カンパニアのイニシアチブが誰に属しているのか、合法組織の社会民主党活動家なのか、それとも非社会民主主義者の活動家なのか、をまったく問題にしていない。われわれの目の前にあるのは一つの生きた事実である。すなわち、実際に2000人ないし3000人ないし5000人の労働者が団結の自由を求める請願に署名し、他の労働者に署名するよう訴えていることである。この訴えに対して社会民主党労働者はどのような態度をとるべきだろうか? この運動を支持するべきだろうか、それともスト破りとして振舞うべきだろうか?

 ――しかし、労働者の行動だからといって、社会民主主義者はそのすべてに参加を認めるわけではないのではないか?

 まったくその通りである。社会民主主義者は、たとえ基本的に労働者の組織であったとしても、学校での子どもの宗教教育を自らの課題にしているような組織、すなわち、その目的がわれわれの綱領――それは教会からの学校の完全な独立を要求している――と全面的に矛盾している組織に参加することはできない。しかし、社会民主主義者は、たとえば、労働者の禁酒団体に参加することはできるし、参加しなければならない。たしかに、このような団体の課題は社会民主主義の目的とけっして同一ではないが、後者と矛盾もしていない。それどころか、禁酒主義者が自らの階級を向上させようと努力しているかぎりにおいて、彼らはわれわれと同じ方向を目指しているのである。しかし、彼らは労働者の生活の一側面を取り上げるだけであり、それを他のものから切り離して見ている。それに対してわれわれは、禁酒団体に参加し、その事業を支持しながらも、それと同時に、アルコール中毒の問題を現在のすべての社会的諸条件と結びつけ、こうして、アルコール中毒との実践的闘争を通じて、穏健な禁酒主義者を革命的社会民主主義者に変えなければならないのである。

 もう一つ例を挙げよう。われわれは、工場からユダヤ人やポーランド人を追い出すことを要求するようなストライキに参加することができるだろうか? もちろんできない。このような要求は、いかなる民族の区別もなしにプロレタリアートの連帯を求める社会民主主義の原則と根本的に矛盾している。だが、1日の労働時間を11時間から10時間半に短縮することを要求するストライキに社会民主主義者は参加することができるだろうか? 参加できるし、参加しなければならない! たしかに、われわれの綱領はそもそも賃金奴隷制の廃絶を要求しており、資本主義の枠内では、1日の労働時間を8時間に法的に制限することを求めている。だが、11時間の労働時間を30分だけ短縮することは、この綱領的要求に矛盾しないし、同じ方向を進むものであり、この綱領的要求の実現を準備するものである。

 したがって、われわれは次のような結論を引き出すことができる。自覚した労働者は、その目的が社会民主党の綱領と矛盾していたり、あるいは、その活動方法がプロレタリアートの統一を破壊したり、その戦闘的精神やその階級的モラルを掘りくずしたり(排外主義、教権主義、スト破り)するような労働者組織や個々の行動に参加することはできない。しかし、逆に、労働者階級の実際の要求――たとえそれが部分的であったり狭いものであったとしても――を実現しようとし、そしてその要求闘争の中で、社会民主主義的戦術の原則と矛盾しないような行動方法をとる労働者団体には、自覚した労働者は参加しなければならない。

 同じことは個々の行動にもあてはまる。「政治囚の解放を!」というスローガンのもとで行なわれる街頭デモは、言うまでもなく、個々の部分的要求を目的としている。しかし、このデモに参加することは、革命闘争を部分的スローガンに矮小化することではけっしてなく、反対に、部分的運動を通して、革命闘争のために力を結集することを意味する。社会民主主義者はこのようなデモの先頭に立ち、誰よりも声高に、「政治囚の解放を!」と要求するだろう。そして、それとともに、このデモの経験を通して、そのすべての歩みと帰結において、政治囚解放の要求とわれわれの民主主義的綱領全体との密接な結びつきを示すだろう。

 次に新しい例を取り上げよう。警察署長が労働組合の3000人の集会を解散させ、市長の名のもとに、この組合そのものを閉鎖し、労働者が「結社と集会の自由万歳!」という叫び声をもって街頭に繰り出し、そこに新しい大衆が合流すると仮定しよう。社会民主主義者は、革命を部分的要求に矮小化するものだという理由でもって、この行動への参加を拒否することができるだろうか? そのようなことができるのは、革命的分別の最後のひとかけらさえも失った人間だけである。革命の抽象的公式のために、こうした連中は、実際に起こっている革命運動――たとえそれが部分的なものであっても――に背を向けるのである。

 ――もちろんだ、と請願の反対者たちは答える、――しかし、街頭デモと、国会への請願とは別問題だ。

 ――よろしい、とわれわれは答える、――つまり問題は、要求の部分的性格にあるのではなく、この要求を提出する仕方の「非革命的」性格にある、ということだな? ということは、部分的要求のための闘争がそれ自体として社会民主党の綱領を「矮小化」するかのように言うのは、正しくないということだな? 今では明らなように、問題の核心は闘争の部分的スローガンにあるのではなく、この闘争をどのように遂行するのかにある。よろしい。では、次のような想像をしてみよう。われわれのデモが、街頭から街頭へと進むにつれてしだいに隊列を膨らませていく。「国会へ、タヴリーダ宮へ!」という叫び声が隊列の前方で起こる。おそらくこれは社会民主主義者の声であるとわれわれは考えるべきだろうか? それとも、社会民主主義者は前に進み出て、「失礼ながら、労働者諸君、国会に行ってはならない。そんなことをすれば、立憲的幻想に感染してしまうことになる!」と宣言するべきだろうか? いや、抗議する大衆の中でこのようなことを言う賢者は、党の名誉にはならない。デモ隊はタヴリーダ宮に到着し、それを取り囲む。「団結の自由を! われわれは要求する、結社の自由を! 集会の自由を!」という声が数千の口から発せられる。このとき、チヘイゼ(6)が国会の演壇にのぼって次のように言うとしよう。

 「議員の諸君! 諸君はこの要求を耳にしたか? われわれはそれを何度もここ[国会]で繰り返してきた。今や大衆自身がこの要求を正面から諸君に突きつけるためにやってきた。ここから、この演壇から、すべての政党に順番に答えてもらいたい。ストルイピン首相! つい最近、貴殿はペテルブルクの衛生改善に関して、プロレタリアートに対する不承不承の愛を告白した。しかし、まさにこのペテルブルク・プロレタリアートがここに来ている。国会の門前に。そして結社とストライキの自由を要求している。ご回答を願いたい!」。

 さて、以上のことから何らかの幻想が生じるだろうか? このような危険性は誰の頭にも浮かばないだろう。労働者と6月3日体制との「対審」がきわめて重大な革命的行動であることは、誰もが知っている。つまり、「街頭へ! 結社の自由万歳!」と叫ぶ社会民主主義者は、たとえわれわれの綱領全体を展開していなくても、革命的行為を遂行したことになる。「タヴリーダ宮殿へ!」と叫ぶ社会民主主義者は、たとえタヴリーダ宮殿にあるのがイギリス式議会ではなく、せいぜいのところ第3国会でしかなくても、第2の革命的行為を遂行したことになる。さらにチヘイゼは、その演説によって第3の革命的行為を遂行したことになる。そのおかげで、労働者大衆は、自分たちの要求に対するさまざまな政党や政府の態度をはっきりと見てとり、集会の自由が全般的な政治的諸課題と密接に結びついていることを理解し、そして、労働者組織の自由を無条件的かつ完全に、そしていかなる制約もなしに擁護しているのが社会民主党であることを確信するからである。このようにして、大衆の意識は巨大な前進を遂げるのである。

 ――それはそうだが、と請願の反対者は言う――われわれは、そういうことを問題にしているのではない。貴君はタヴリーダ宮殿での幻想的なデモンストレーションを描いてみせたが、われわれが問題にしているのは国会への紙の抗議である。

 まず何よりも、この「紙の抗議」という軽蔑的な名称は何を意味しているのであろうか? 請願の紙を軽蔑的に解釈するのは、社会民主主義者にふさわしいことではない。これはアナーキストにこそふさわしい。われわれの綱領が印刷された紙、国際社会民主主義大会の諸決議が印刷された紙、そして最後に、……請願カンパニアに対するペテルブルクの同志たちの抗議が印刷された紙。生きた現実の人々は、「紙の抗議」を擁護する。なぜならこの紙には自分たちの思想と意志が表現されているからである。社会民主党の新聞の各部が、各パンフレットが、各宣伝ビラが、われわれにとって価値のあるものならば――これらはすべて「紙」だ!――、先進的労働者の大衆的抗議が書き込まれた紙はなおさら価値あるものである。

 われわれが出した例で見たように、抗議する大衆がタヴリーダ宮殿を包囲して団結の自由を要求するならば、それは政治的に非常に意味のあることである。しかし現時点で、すなわち大衆の現在の気分のもとで、われわれの組織力が弱い現在の段階において、そして政府機構が解体からまだほど遠い状況のもとでは、デモンストレーションのこのような形態はわれわれにとってまだ達成しがたいものである。抗議する労働者が群れをなしてタヴリーダ宮殿に向かうことがまだできないとすれば、せめて大衆が自分たちの要求と抗議を紙に書き込んでそれを国会に送りつけようとするのは、まったく自然なことではないのか! この2つのデモンストレーションのあいだには原理的な違いはまったく存在しない。もし諸君が、「われわれは結社の自由を要求する!」と叫びながら大衆が国会に向かうことが許されると認めるならば、この同じ大衆の名において、同じ要求の書かれた「請願」を国会に送ることは許されることだと認めなければならない。

 

   意見の対立ではなく、意見の分岐

 では、召還主義者だけでなく、国会の演壇を含むあらゆる合法的可能性を社会民主党が利用することを認めている同志たちまでもが、どうして請願カンパニアに対してあれほどまでに断固として反対しているのだろうか? この事実はいったい何によって説明されるか?

 この問題に関しては、2つの原則的立場が相対しているわけではない。なぜなら、原則的に請願カンパニアに反対することができるのは、召還主義者だけだからである。請願に対して向けられたあらゆる反対論は、原則的内容を欠いており、言葉上の、表面的なものであり、最後まで考え抜かれていないか、あるいは、誤解にもとづいたものである。完全な権利をもって言うことができるが、ここでわれわれの前にあるのは、意見の対立ではなく、意見の分岐である。この分岐が続いているのは、党の分裂のせいであり、とりわけ、請願が、必要な社会民主主義的説明もなしに自足的な行動として舞台に登場したという事実のせいである。

 わが党の国会議員団が何らかの国会質問をするとき、その演説の中で、この質問の扇動的・社会民主主義的意義を明らかにし、そうすることで、ストルイピンやプリシケヴィッチ(7)の立憲的教育を課題としているかのような疑念の起こる可能性を取り除いている。しかし、まさにこのような革命的説明は請願文書には見られなかった。なぜか? それは、合法的ないし半合法的な請願運動がそもそもからして、党の非合法的なアジテーションによって補完されず、深められなかったからである。もしペテルブルク地区の代表者たちが、請願カンパニアを妨害するのではなく、しかるべき宣伝ビラを出して、その中で団結の自由の意義、それとわれわれの民主主義的諸要求との結びつきを説明し、大衆に請願への署名を訴え、国会で請願に関してわが党の国会議員団がどのような演説を行なっているかを、そして請願に対して他のすべての政党がどのような態度をとっているかを注意深く追うならば、彼らは、同一の目的――すなわちプロレタリアートの階級的意識の発展――に向けた活動の合法的方法と非合法的方法とを結合させる素晴らしい事例を提示することができたろう。

 しかしまったく同じようにこう言うこともできる。請願カンパニアのイニシアチブをとった合法運動の活動家は、このカンパニアが、その最初の一歩から、党のアジテーションによって補完され深められるように配慮するべきであったということである。だがそのためには、非合法組織の活動家たちと非合法の党出版物の協力を前もって取りつけなければならなかった。もちろん、この途上においては、相互不信を乗り越え、蓄積された誤解を粘りづよく取り除かなければならない。もちろん、これは容易なことではない。もちろんこれは時間を要する。しかし、非合法活動家を単純に無視することは、実際には、障害を回避する不経済な方法であることがわかった。請願カンパニアが成功裏に展開されるやいなや、それはただちに多くの軋轢を生み出した。そしてその紛争現場には、この問題の専門家がただちに乗り込んできて、今や、党の合法活動家と非合法活動家とのあいだにできるだけ深く楔を打ち込むために全力を尽くしている。

 

   党の道へ!

 この企図を実現することに彼らは成功するだろうか? いやけっして! 運動のすべての論理は彼らに対立している。「合法的」労働者組織の社会民主党活動家たちは、非合法的党組織の再建の推進者たるわれわれをごく最近まで避けていたが、最近の協議会で、われわれの側に向かう決定的な一歩を踏み出した。この会議の決議は次のように述べている――。

「労働者のあいだで、社会的・政治的生活に対する目覚めがはっきりと見られるが、それは、ロシア社会民主労働党の再建の必要性を力強く命じている。この再建が進むのは、広範な労働者大衆を公然たる政治活動に引き込むことによってのみ、そして、労働者階級をわが国の社会的・政治的生活に積極的かつ自主的に参加させることによってのみである」。

 党の当面する諸課題――第4国会選挙の準備、請願カンパニア、「社会保険」等々――に言及しつつ、決議はさらにこう述べている――。

「大衆的な政治活動を遂行している社会民主党組織が存在する地方では、本協議会で計画されたすべての活動をこれらの組織は遂行しなければならない。だがこのような組織が存在しない地方では、本協議会は、能動的な社会民主党グループをただちに形成することを必要とみなすとともに、このグループは、その活動の過程そのものの中で、確固とした党組織を形成するよう働きかけるものとする」。

 解党主義が、非合法の党組織の拒否、ロシア社会民主労働党の伝統との決裂を意味するとすれば、この協議会の参加者たちは解党主義者ではない。なぜなら、彼らを解党主義者と呼ぶことは、この言葉があらゆる政治的意味を失い、ただ頭を混乱させることに役立つことになるだけだからである。党内抗争の濁った水で魚を釣ることを望まない者は、われわれとともにこう言うべきである。上述の決議の立場に立つ同志たちとともに、われわれは手に手をとって進むことができるし、そうすべきである、と。

 請願カンパニアは、労働者の他のあらゆる大衆行動と同じく、この運動において社会民主党が一個の党として決定的かつ自立的に登場すればするほど、ますます広範で、多面的で、革命的な意義を持つようになる。なぜなら、すでに開始されている請願カンパニアから一線を画することが許しがたい誤りであり、ましてやそれに反対することがなおさら大きな誤りであるとすれば、この請願行動に跡形もなく溶解してしまうことも、同じぐらい大きな誤りだからである。党には、過去のすべての経験と将来に関するすべての理論的予測とが集中している。この党は、党員の個々のグループが、団結の自由のスローガンのもと大衆的行動に積極的ないし先頭に立って参加することだけに自己限定することはできない。党それ自体は、そもそものはじめから、問題に対する自らの見解、すなわち社会民主主義的見解を大衆の前に提示する。党は、請願書自身が言わなかったし、また――その合法的形態ゆえに、そして、請願が広範な無党派大衆の名において語っているがゆえに――言えなかったことを、最後まで言わなければならない。宣伝ビラ、演説、集団アジテーション、非合法機関紙の論文などを通じて、党は、請願運動に引き込まれた大衆に対して、団結の自由と、労働者民主主義のその他の諸要求とのあいだの内的結びつきを示し、一歩ずつ、請願運動に社会主義的批判の光を当てていかなければならない。

 何らかの大衆運動が――たとえその形態がいかに初歩的なものだとしても――プロレタリアートの階級闘争の大道に沿って進んでいる場合には、われわれはその運動に対してスト破りとしてふるまうことはできない。他方では、われわれは、プロレタリアートのあらゆる運動において、社会民主党がその運動の現在を代表するばかりではなく、その未来をも代表しているのだということを一瞬たりとも忘れることはできない。党のアジテーションが原則的で深いものであればあるほど、それだけますます団結の自由の旗のもとでのカンパニアは大きな役割を果たすことができるし、あたかも請願運動が一度ならずわれわれの革命的課題を部分的諸要求の小銭に置きかえてきたかのような懸念はますます小さくなるだろう。

 請願カンパニアはすでに始まっている。必要なのは、それをできるだけ広範囲に広げることである。必要なのは、それを補完し深めることである。必要なのは、それを、同時に合法的および非合法的手段によって遂行することである。そのためには、党内で折り合いをつけることが必要である。だが、そのためにはまた、あらゆる合法主義的および地下活動的ななわばり主義を完全かつ永遠に放逐しなければならない。そうするならば、請願カンパニアは、広範な大衆を獲得し、彼らをわが党の国会議員団に結びつけ、彼らのあいだで社会民主党の影響力を強化することができるだろう。このようなカンパニアは、同時に、第4国会選挙に向けた素晴らしい準備となるだろう。

 われわれは、あらゆる潮流、あらゆる活動分野の同志たちに訴える。請願カンパニアを全党的課題として遂行しようではないかと!

『プラウダ』第21号付録

1911年6月25日

『ニューズレター』第31号より

  訳注

(1)ストルイピン、ピョートル(1862-1911)……ロシアの反動政治家。1906年に首相に就任し、1907年に選挙法を改悪(6月3日のクーデター)、1910年に農業改革を実施し、富農を育成、1911年9月にキエフでエスエルによって暗殺。

(2)ガポン、ゲオルギー(1870-1906)……司祭で、ロシア秘密警察のスパイだったとされている。1905年1月にニコライ2世への請願運動を組織し、血の日曜日事件を引き起こす。エスエルの戦闘団によって暗殺される。

(3)ヴィッテ、セルゲイ(1849-1915)……ロシアのブルジョア政治家。資本主義育成策に力を注ぎ、1905年革命のさなかに首相となって、国会開設などの一連の改革を指導。その後、反動化とともに失脚。

(4)クルペンスキー、ペ・エヌ(1871-?)……帝政ロシアの反動政治家、大地主。ベッサラビア出身で、第2国会、第3国会、第4国会議員。

(5)ラヴロフ、ピョートル(1823-1900)……ロシアの哲学者で、革命的ナロードニキの理論家。1860年代に「土地と自由」に参加。1866年に逮捕・流刑。1870年パリ亡命。『哲学的書簡』など。

(6)チヘイゼ、ニコライ(1864-1926)……ロシアの革命家、メンシェヴィキの指導者。第3国会、第4国会の議員。第1次大戦中は左翼中間主義的立場。1917年2月革命直後、ペトログラード・ソヴィエト議長。ソヴィエト政権と闘争。1921年に亡命。26年自殺。

(7)プリシケヴィッチ、ウラジーミル(1870-1920)……ロシアの反動家、ベサラビアの地主出身の君主主義者で、黒百人組(ロシア国民同盟)の創設者。ツァーリズムの時代においては、国会内で最も強硬な君主主義者のブロックを指導。国会では、革命家とユダヤ人に対する仮借ない闘争を訴える演説を何度も行なっている。1916年、ユスポフ公らとともにラスプーチン殺害に参加。内戦中、白軍に参加し、白軍の敗走中にチフスで死亡。


  

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