【解説】本稿は、第4国会選挙を数ヵ月後に控えた時点で、党の統一的な選挙カンパニアを実現するために書かれた綱領的な論文である。この論文の中でトロツキーは、選挙に対する社会民主主義の原則的立場を明らかにするとともに、この原則的問題をめぐっては、問うな潮流のあいだに根本的な意見の相違はないことを主張し、各派がばらばらに、あるいは相互に対立して選挙カンパニアをやるのではなく、ブルジョア諸政党に対抗して統一した選挙政綱と統一した候補者をもって闘うべきであるとしている。しかし、このトロツキーの努力も空しく、同年秋に行なわれた第4国会選挙では、労働者クーリアではメンシェヴィキ系候補者とボリシェヴィキ系候補者とが対抗しあうことになり、ボリシェヴィキの勝利に終わった。
Л.Троцкий, Вопросы избирательной кампаии, Правда, No.24, 1912.3.14.
Translated by Trotsky Institute of Japan
今年の初秋に第4国会の選挙が行なわれる。社会民主党のすべての潮流とすべてのグループは、この選挙に積極的に参加して、大衆を代弁することのできる社会民主党議員団を国会の中に確保するために闘うことが必要であるという点で、一致(同意)している。しかし、選挙カンパニアをどのように遂行するのか? 成功のために必要な条件は、社会民主党全体が、同一のスローガンのもとに、同一の候補者を中心に、一丸となって打って出ることである。ところが、一部の社会民主党員は――幸いなことにその数は多くない――、まるでわが党の中に、選挙カンパニアの2つの問題をめぐって非和解的な対立が存在するかのように主張している。その問題とは、1、選挙向けの政綱に関する問題、2、他の政党との選挙協定に関する問題、である。このおかげで、統一した選挙カンパニアがまったく実現不可能であるかのように主張されている。これは本当だろうか?
T、政綱
「政綱」という言葉で理解されているのは、選挙に向けた党の基本宣言のことである。その中では、党が現時点で最も時宜にかなっていて重要であると考える諸要求が提起される。さらに、これらの諸要求と並んで、社会民主党の政綱では、そうした要求を実現するための闘争方法についても展開される。
歴史的予測と政治的戦術
わが党における最大の意見の相違は、一見したところ、まさにこの闘争方法をめぐるものであるように見える。しかも、一部の同志たちは、これらの意見の相違――本物ないし偽物の――を、近い将来におけるロシアの歴史的発展に関する見解の相違に起因するものであるかのように主張している。
6月3日体制(1)は、その枠組みを変化させ拡大することができるだろうか? できるとしたら、どの程度か? 第4国会は正常な道筋を通って第5国会、第6国会…へと続いていくのだろうか? それともわれわれは新しい革命期の門口に立っているのだろうか?
この問題を真剣な理論的検討に付すことは、それ自体、非常に有益なことだろう。それは、党の視野を広げ、党員の思考を豊かにし鍛え、こうして、今日の状況下で方向設定を行なう能力を高めるだろう。
しかし、他方では、あれこれの予測が、すなわち先に挙げた諸問題に対する回答が、われわれの今日における闘争にとって決定的な意義を持つと考えるとしたら、それははなはだしい勘違いだろう。けっしてそうではない。われわれの戦術の土台は常に変わらない。それがとる具体的な形態に関しては、今日における現実の諸条件に依存しているのであって、近い将来における歴史的発展の方向性に関するわれわれの予想――それは必然的に不確かなものでしかない――に依存しているのではない。6月3日体制がどの程度資本主義の要求に適応することができるのか、どのようなテンポで革命に向けた発展が進むのか、これらの問題に対する答えは多様でありうる。しかし、自覚的プロレタリアートの政策は、幸いなことに、このような推測上の回答に依存しているのではない。それは、より安定的な物質的および思想的土台にもとづいている。
わが党のすべての潮流の代表者たちは、この思想を
1910年の中央委員会総会の決議の中で無条件に承認した。この決議は次のような文章から始まっている。「社会民主党の戦術は、公然たる内乱や社会的動乱の時代であろうと、社会的安定の時期であろうと、常にその原理的基礎においては同一である。それは、現在の条件が急速に転換を遂げる場合であろうと、政治情勢が相対的に停滞している場合であろうと、常に最大限の結果をもたらすということを目的としている。
一時的に反革命の勝利によってもたらされた意気消沈状態から抜け出しつつある自覚的なロシア・プロレタリアートにとって、大衆的な社会民主党に組織されることで、はじめて次のような可能性が開かれつつある。すなわち、国際社会民主主義のこの戦術的方法を自覚的かつ計画的かつ首尾一貫した形で適用し、当面の時期の具体的な状況のみならず、1905年革命の敗北後に見られる動揺せる絶対主義の資本主義的条件への適応過程において生じうるさまざまな発展経路を考慮に入れた戦術を作成することである。絶対主義のブルジョア的発展の要求に適応しようとする反革命の政策が必然的に破産を遂げたときに、それがどのような形態をとるかにかかわりなく、また、不可避的に生じる社会的危機がどのような形態をとるかにかかわりなく、社会民主党の戦術は、プロレタリアートの力の蓄積とその階級闘争のエネルギーの発展に適応したものでなければならない。この戦術は、新たな公然たる革命闘争に対する準備をプロレタリアートに整えさせ、それと同時に、不安定な反革命体制のあらゆる諸矛盾を自分たちのために利用する可能性をプロレタリアートに与えるのである」。
ドイツ社会民主党は、カウツキーのような慧眼な理論家の意見によれば、現在、権力のための公然たる革命闘争に向かいつつある。そして、それにもかかわらず、ドイツ社会民主党の戦術は不変である。同党の前にそびえたつ課題は巨大であるにもかかわらず、社会民主党は、部分的改良のための闘争を粘り強く継続し、選挙闘争に積極的に参加しており、しかも、帝国議会のみならず、各地方都市や村議会の選挙にも参加している。社会生活のあらゆる分野で、ドイツ社会民主党は労働者を組織し、彼らの意識を高め、力を蓄積している――不可避的に訪れるであろう革命のためにである。
われわれの戦術もこれと異なるものではありえない。われわれは常に、与えられた政治情勢から出発し、その時々においてプロレタリアートに最も密接にかかわる諸要求を取り上げ、これらの要求をわれわれの綱領に照らして解明し、これらの要求を実現するための闘争の過程で、これらの要求が他の階級と衝突する性格のものであることをプロレタリアートに明らかにし、階級社会と階級国家に対するプロレタリアートの非和解的な敵対関係を深めていく。この仕事を実行することによって、われわれは、革命に対するプロレタリアートの準備を整えるのである。そして、この革命が早く始まろうと遅く始まろうと、われわれは不意を打たれずにすむのである。
政綱と綱領
問題に対するこうした見解にもとづいて――この見解は唯一正しいものであり、国際社会民主主義の全戦術に合致している――、政綱の問題はそのしかるべき限界の中に収められる。政綱においては、革命がいつ始まるのか、その革命がどのような性格をとるのかに関する不確定の予見が入る余地はない。政綱の中心にすえるべきなのは、現時点で労働者大衆にとりわけ密接にかかわる「部分的」諸要求である。しかし、これらの要求は、われわれの綱領の革命的スローガンの高みにまで引き上げられなければならない。まさにどの要求が現時点でプロレタリアートにとって最も死活にかかわる意義を持っているのかに関しては、必然的にわれわれのあいだで意見の相違が生じるだろう。われわれと大衆との結びつきが本来必要なほど広くも深くもないという一点だけからしても、そうである。しかし、このような意見の相違は、それ自体としては、非和解的な原則的性格を持ちえない。なぜなら、政綱が最も切実なあれこれの要求を取り上げているとしても、それはけっして、党綱領を廃棄したり、あるいはたとえ一時的でも綱領の代わりをつとめることを意味しないからである。断じてそうではない! 選挙に向けてのアジテーションは、経済生活および政治生活のあらゆる現象を包含するものでなければならない。われわれは選挙カンパニアの時期に、党綱領全体をできるだけ全面的に展開しなければならない。われわれは選挙カンパニアの時期に、われわれの綱領を隠しておくつもりはないし、そのようなことを望みもしない。とするならば、綱領的諸要求のうちどれを選挙向けの政綱に入れるのかという問題は、やはり実践的な問題であり、大衆の気分、われわれの力量の水準、等々を考慮に入れて決定しなければならない問題である。この点では確かに、その評価をめぐって意見の相違が生じうる。しかし、問題に対してセクト的・排他的態度をとるのではなく、誠実な態度をとるならば、要求項目を作成するうえで全員の合意にいたることはいつでも可能である。
「団結の自由」と「民主共和制」
以上述べたことは、「団結の自由」と「民主共和制」という2つのスローガンに対するわれわれの態度を完全に規定している。この1年間の経験は、「団結の自由」がプロレタリアートの根本的で原理的な要求であると同時に、最も初歩的な要求であること、すなわち、労働者にとって運動の最初の一歩からすでにその必要性が明白であるような要求であることを、すべての者にはっきりと示している。団結の自由を求める請願や決議はすでに約2万名の署名を集めている。現在のわれわれの力量からすれば、それは非常に重要な数である。しかし、これはまだ弱々しい出発点でしかない。プロレタリアートの階級運動が近いうちに成長するならば――そして、われわれはこのことにもとづいて自分たちのいっさいの見通しを立てている!――、その時には団結の自由というスローガンは不可避的に、ますます実践的な意義を持つようになり、ますます戦闘的な性格を帯び、ますます多くの労働者大衆をとらえていくだろう。こうした状況において、団結の自由というわれわれの綱領的・原則的要求を――それが「部分的」要求であるという理由で――選挙向けの政綱に入れないとしたら、それは単に政治闘争を拒否することを意味するだけだろう。
「このような観点――全か無か――は、社会民主党を没落させかねない最も致命的な誤解である。それは、プロレタリアートが攻勢に打って出る瞬間――それがいつになるかは誰にもわからない――までプロレタリアートの力を麻痺させるだろうし、このようなルールにのっとって行動していたならば、けっして攻勢のときは訪れないだろう。なぜなら、プロレタリアートの力は、日常的な闘争を通じてのみ発展し、その闘争の中でプロレタリアートは、次から次へと陣地を獲得し、ついには、決定的な闘争を遂行するか、あるいは敵の要塞に強襲をかけることができるほど十分に強力になるからである」。
これは、カウツキーが、団結の自由を求める請願カンパニアの反対者について書いていることである。
他方、もしわれわれが何ゆえか、(とりわけ団結の自由というスローガンから)あらゆる政治的結論を引き出さないとすれば、そしてわれわれの政綱に民主共和制のスローガンを入れないとすれば、われわれは悪しき社会民主主義者であるということになろう。日々その略奪者的本性を露わにしているわが国の君主制の破廉恥で反人民的な性格は、われわれにとって、共和制のアジテーションを行なう課題をはなはだ有利なものにしている(たとえばイギリスよりも、あるいはドイツと比べてさえはるかに有利である)。このことは誰にとってもまったく明らかである。したがって、共和制を訴えるアジテーションをわれわれに拒否させるようないかなる理由――原則的であれ、実践的であれ――もまったく存在しない。一時的に共和制の旗を降ろすことによって6月3日体制の枠内で社会民主党を合法化することができると期待するのは、言うまでもなく、とてつもない幻想である。有産諸階級の反革命的協定にもとづいた官僚の不安定な独裁体制が許容できないのは、われわれのあれこれのスローガンではなく、プロレタリアートの自覚的な大衆運動そのものである。このことを何よりもはっきりと物語っているのは、労働組合や労働クラブ等に対する政府の政策である。プロレタリアートの階級闘争とそのあらゆる現象形態が合法的な地位を得るためには、国の政治情勢が根本的に変わらなければならない。そういうことが起こりうるとすれば、それは、大衆による革命的攻勢の結果としてのみである。かかる攻勢のために絶え間なく大衆を動員し、この動員のために、合法的手段のみならず非合法的手段を利用するうえで、われわれは民主共和制の旗を切り縮めるいかなる理由も持たない。このスローガンを、われわれは合法的集会の場で、合法的な出版物の中で、はっきりと明確に提起することはできないし、したがってまた、われわれの将来の選挙向け政綱の合法的記述の中に盛り込むこともできない。しかし、それだけにますます、非合法機関紙の中でこのスローガンを中心にアジテーションを行なうことは重要なのである。
1つの党、1つの政綱!
われわれは、「メーデーに寄せて」というビラの中で、わが党の政綱の中身を構成すべきとわれわれがみなしたスローガンを列挙しておいた。もちろん、この点であれこれの変更は可能である。われわれも字面にこだわるつもりはない。しかしわれわれは1つの項目に関してだけは、いかなる譲歩もなく固執する。選挙に際してわが党には、2つないし3つの政綱があるのではなく、ただ1つの、全党員にとって義務的な政綱しかない、ということである。その理由を説明する必要はあるまい。1つの政綱はアジテーションの統一を意味するが、2つの政綱は混乱とカオスを意味するからである。
カウツキーは、『プラウダ』のアンケートに答えて次のように答えている(『プラウダ』第23号参照)――「ロシア社会主義の分派の現状を考えれば、何をなすべきかという問題よりも、何をなすにせよ一致団結してなすべきであるということの方がはるかに重要である」。
つい最近、著名なボリシェヴィキであるエリ・ゲルマノフ(2)はこう書いている。
「統一した政綱こそ、必要欠くべからざる条件である。われわれは、現時点において、統一した諸要求にプロレタリアートの注意を集中させ、社会民主党によって提起された課題の周囲にすべての民主主義派を結集させなければならない」。さらにゲルマノフはこう述べている――「この点に関しては、社会民主党内部に意見の相違はありえない」(『ズヴェズダー』(3)第3号)。
そして、1912年1月29日付『ズヴェズダー』編集部は次のような意見を表明している――「1つの政綱――たとえそれがあまり立派なものでなくても――をともなったよい選挙カンパニアは、……いくつもの選挙向け政綱をともなった悪い選挙カンパニアよりもましである」。
この声明は義務を課すものである。そしてわれわれは、同志ゲルマノフの同意見者たち――その数は急速にボリシェヴィキの隊列の中で増大している――が、職業的分裂主義者たちに譲歩することなく、われわれとともに、統一した選挙カンパニアの基礎としての選挙向け政綱の統一を断固として擁護するよう期待したい。
U、選挙協定
第2国会および第3国会の選挙期間中、野党とのいわゆる選挙協定の問題は、わが党内部でもうもうたる論争のほこりを巻き上げ、選挙カンパニアにおけるもっとはるかに重要で根本的な問題を労働者の目から覆い隠した。これが現在もう一度繰り返される危険性が存在する。しかし、物事の政治的本質からして、そのようなことをするいかなる根拠も存在しない。
アジテーションの完全かつ無条件の独立性
われわれにとって第1番目の意義を有しているのは純労働者クーリア(4)であり、2番目に重要なのは、都市有権者の副次的でより[ブルジョア]民主主義的なクーリアである。残りのクーリア(農民クーリア、小土地所有者クーリア…)では、われわれの活動は、(一部の地域を除いて)純粋に偶然的な性格を持っている。しかし、事態は変わらない。われわれがどこで選挙カンパニアをするのであれ、工場の選挙人会議の場であれ、都市の民主主義的クーリアであれ、小土地所有者の大会の場であれ、郷の集会の場であれ、郡の選挙代表人集会の場であれ、最後に、県の選挙人会議の場であれ、われわれはどこでも自分自身に忠実であり、われわれの政治的発言や行動において完全に独立的でありつづける。他党に対する批判に何らかの制限を――どんなにわずかであれ――わが党に課すようないかなるブロックも、すなわちいかなる政治的協定も、結ぶことはありえないし、結んではならない。カデットやトルドヴィキや無党派の民主主義者に対する批判において、われわれは完全に自由でなければならないし、これらの党に対するわれわれの評価は、それらの党の真の本質にもとづいてなされなければならない。こうした評価は、これらの党――それらがたとえ一時的に「同盟者」であっても――に対する配慮によってほんのわずかでも変更されたり、緩和されたりしてはならない。なぜならば社会民主主義的政策の第1の条件はいかなる曖昧さもない明晰さだからである。沈黙したり、誇張したりしないこと。あるがままを語ること。あるがままをそれ以上でもそれ以下でもなく。われわれはそのあらゆる選挙カンパニアにおいて、次のような問いを指針としなければならない。それがプロレタリアートの意識にどのように映るのか? それは誤解や混乱を与えてはいないか? プロレタリアートの意識の明晰さこそわれわれの唯一の力である。このような基盤にもとづいて、われわれはあらゆるものを建設するのである。そして、「ブロック」のいかなる利点も、それがプロレタリアートの革命的意識に必然的にもたらす基本的な損害を埋め合わせるものではない。政治的な対立関係を必然的に鈍らせるような、いかなる共通の政綱も、いかなる曖昧なスローガンも、否である。そして、これは労働者の前で直接運動する場合だけではない。われわれが農民のクーリアや都市の小ブルジョアジーのクーリアで運動するときも、まったく同じである。そこでもわれわれは、自分たちの声明や演説や活動が、労働者に伝わったときに、彼らの階級意識と敵対的に衝突しないように、それどころ反対にその意識を強化するように運動しなければならない。そして、これは、もちろんのこと、カデットに対するわれわれの態度――カデットの反民主主義的性格については、われわれの選挙アジテーションにおいて無慈悲に暴露されなければならない――を規定するだけではない。
まったく同じ政策はトルドヴィキや一般にナロードニキにもあてはまる。農民の前に登場するとき、われわれは――自分たちの綱領と完全に一致して――、地主の土地没収のため農民の闘争において社会民主党がそれを最も精力的に支持するだろうことを農民に約束することができるし、そうしなければならない。しかし、それと同時に、私的所有にもとづいた社会における「土地」の運命に関する自分たちの見解を一瞬たりとも切り縮めたりはしない。われわれは次のことをはっきりかつ公然と言わなければならない。われわれはけっして「農村」全体の代表ではなく、農業プロレタリアートの代表者であること、それゆえ、われわれはプロレタリアートと農民の革命的ブロックという思想に惑わされないこと、「土地と自由」という曖昧模糊とした、頭を混乱させるスローガンを脇に放り投げること、ムジークの経済的利益をかくも麗しく背後に隠しているナロードニキ的幻想に対して、われわれは農業労働者のための立法的労働保護と団結の自由という要求を対置すること、である。
一言でいえば、政治の全戦線にわたる独立した全面的な社会民主主義的アジテーション!
これが不動の原則である。そしてここでただちに言っておかなければならないが、この根本的な問題において――主として分派的意固地さから喚起されるあれこれの紋切型の口先の異論を無視するとすれば――、われわれ社会民主主義者のあいだには現時点で意見の相違はない。このことをまず最初に確認しておく必要があるのは、あらゆる手段を使って党内で分裂を擁護し正当化し深化させている同志レーニンの文筆グループが、あたかも党内に、選挙戦術のこの基本問題に関して非和解的な意見の相違が存在するかのように事態を描き出すことで、労働者の中に誤解を持ち込んでいるからである。それは違う、同志諸君! このような意見の相違は存在しない――諸君が自ら人為的にそのようなものをでっち上げようとしないかぎり。
しかしながら、以上で述べたことですべてのテーマが尽きるわけではない。いわゆる戦術的協定の問題について検討することが残されている。
ドイツにおける選挙協定
議会戦術においては、他のすべての領域と同じく、われわれの教師はドイツ社会民主党である。革命的アジテーションの自由を縛る政治的ブロックに対しては原則的に否定的な態度をとることについては、すでに検討した。しかし、それとともにわれわれは、この同じドイツ社会民主党が、決選投票(5)のときに、すなわち、地主と自由主義者のどちらが帝国議会に入ることになるかが社会民主党の投票にかかっているときに、必然的に自由主義者に投票していることを認識しないわけにはいかない。同党はこれを自由主義者とのいかなる体系的な申し合わせや協定もなしに行なっており、自由主義者が別の選挙区の決選投票で社会民主党に対抗して地主に投票している場合でさえそうしているのである。これはどのように正当化されるのか? もちろん、これは社会民主党が自由主義者のことを好んでいるからではなく、地主の方をより強く憎悪しているからである。ドイツの自由主義者には、そのロシアの仲間と同じく、自由のための真の闘争を遂行する能力がまったくない。彼らの政策の中では、自由主義の要素と反動の要素とが密接に絡み合っている。しかも、その自由主義もその反動性も偶然ではなく、階級的利益にもとづいている。このことが彼らをきわめて首尾一貫しない自由主義者たらしめると同時に、彼らを腰砕けの反動家たらしめてもいる。ドイツの反動的ユンカー政府は、プロレタリアートとの闘争において、保守派に依拠する場合ほどの確信をもって自由主義者に依拠することはできない。まさにそれゆえ、社会民主党は、議会における保守多数派を弱めて、それを少数派に変えることに利益を有しているのである。決選投票で地主に対抗してブルジョア自由主義者を支持することで社会民主党は、民主主義闘争の軍勢を強化することには至らないまでも、議会における反動の支柱を弱めることには寄与している。
しかしながら、このような戦術はアジテーションの純粋さと明晰さを損なうことになりはしないか? いやちっとも。基本的な選挙アジテーションは総選挙の投票日までにすでに展開されている。勢力はすでに集計されている。各党に対する評価はすでに加えられている。しかも、その評価は正確なそれであって、戯画的なそれではない。すなわち、自由主義者がどの点で反動派と似ているのかだけでなく、どの点で彼らは区別されるのかについても、大衆の前で説明される。そして、総選挙において社会民主党が、ある選挙区では弱すぎて決選投票にまで進めないとしたら、自党の票を用いて、自由主義者を保守派に勝たせるだろう。そのさい社会民主党は大衆にこう説明する。「どちらもわれわれの階級敵である。しかし地主=保守派は首尾一貫した断固たる敵であり、しかもその手中に国家権力を握っている。それに対してブルジョア自由主義者は、首尾一貫しておらず、いやおうなく絶えず動揺している敵であり、しかも重要なことには彼らの手中に国家権力はない。より強力な敵を敗北させる方がわれわれにとって得策なのは、まったく明白である」。
さらに。ある選挙区で自由主義者を支持することによって、社会民主党は、別の選挙区で、同党の候補者を自由主義者に支持するよう強要することができる。そのさい、もちろんのこと、いかなる政治的譲歩も行なうことなしにである。社会民主党はいかなる躊躇もなしに、議会における自党の議員の数を増やすことを目的として、自由主義者とのこのような純戦術的な協定に訴えている。
ドイツ社会民主党の選挙戦術は、過去数10年の経験によって正当化されており、われわれが明らかにしたその基本的な点において、われわれの戦術でもなければならない。違いはただ、ドイツには直接・普通選挙権が存在するという点だけである。したがって、われわれは、同じ戦術を適用するに際して、迷路のようなストルイピン的選挙制度の多段階・等級別という特徴を踏まえなければならない。
カデットとの協定
わが国のカデットがまったく役立たない「民主主義者」であるだけでなく、悪い自由主義者であるということに関しては、疑いない。そしてこのことを、われわれは選挙において非常にうまく説明することだろう。しかし、カデットが依拠しているブルジョア階層の階級的利益からして、カデットが、オクチャブリスト=黒百人組的多数派に代わって農奴制的反動の支柱の役割を果たすことができないことは、まったく明らかである。実際、ストルイピンが最初の2つの――カデット主導の――国会を解散させ、オクチャブリスト=黒百人組主導の国会をつくったのも、むべなるかな! 6月3日体制の国会が単なる「虚構」ではなく――社会革命党は虚構であると考えているのだが――、君主制が階級的諸関係の中で方向を定めるための国家機構であり、また有産階級の上層が君主制に影響を与えるための国家機構であるかぎりにおいて、オクチャブリストと右派を自由主義者によって置き換えることは、この機構の仕事を困難にし、悪辣な6月3日体制の不安定性を増大させるだろう。それゆえ、社会民主党は、政治的発展の利益のために、選挙の第2段階、第3段階(郡の代表人集会、県の選挙人会議)において、また民主主義的な第2都市クーリア(6)の再投票[決選投票]において、社会民主党が自分たちの候補者を当選させることができず、かつ、右派が当選するか自由主義者が当選するのかが社会民主党の票にかかっている場合には、右派を敗北させるために、自分たちのなしうるあらゆることを行なうだろう。
この点にはわれわれにとってもう1つ重要な側面がある。カデットは、その自由主義と野党性との脆弱さにもかかわらず、それでもやはり、プロレタリアートに近い一連の集団を自分の旗の下に引きつけている。店員、事務員、都市のホワイトカラー、等々。再投票および第2段階選挙のさい、もしわれわれが単に拱手傍観するだけならば、カデットに対して黒百人組に優位性を与えることになるだろうし、それによってわれわれは、先に列挙した分子を決定的に自分たちから離れさせることになるだろう。これらの分子は、その階級的利益のゆえではなく、その無自覚性ゆえに、今までのところ、われわれのところにやってきていないだけなのである。われわれは、もちろんのこと、傍観しはしない。自由主義者を支持しているこれらの小ブルジョア分子に向かって、われわれはこう言う――「過去のあらゆる経験にもかかわらず、諸君はなおもカデットを信じており、その票をわれわれにではなく彼らに投じている。よろしい。われわれは、諸君が政府側の候補者を落選させようとするその行動を助けよう。しかし、覚えておいてほしい。これ[カデット]は背信的な代表者であり、容易に裏切り者となるだろう。国会での彼らの動きをしっかり監視してほしい。そうすれば諸君はわれわれの言葉の正しさを認めるだろう!」。
このような条件下でわれわれは自由主義者を火の中に放り込み、彼らをその後の一歩ごとに暴露することによって、彼らがプロレタリア的・半プロレタリア的有権者の面前で自らの権威を失墜させるのを助け、こうして、遅かれ早かれ、これらの有権者をうまくカデットから引き離して、われわれの影響下に置くであろう。
またしてもだが、このような戦術――反動派に対抗して自由主義者と、先に述べた限界の範囲内で戦術的協定を結ぶこと――の必要性は、わが党のすべての潮流によって承認されており、この問題についてはすでに解明されている。レーニン派の最近の協議会における決議は、再投票および第2段階選挙においてカデットと戦術的協定を結ぶことを――一方では黒百人組を敗北させるために、他方では国会にできるだけ多くの社会民主党候補者を送り込むために――きっぱりと求めている。たしかに、この決議は、直接選挙の行なわれる5つの都市(ペテルブルク、モスクワ、オデッサ、キエフ、リガ)の第2クーリアにおいて自由主義者と協定を結ぶことを認めていない。だがどうしてか? 「黒百人組の危険性が明らかに存在しないがゆえに」である。したがって、レーニン派は、カデットよりも黒百人組の方が「危険」であると正当にも認めているわけである。あるいは、ドイツ語の表現を用いるなら、カデットが「より小さな悪」であることを認めているわけである。
トルドヴィキとの協定
わが国の政治的グループ編成は、都市および農村におけるナロードニキ的民主主義的分子の存在によって複雑になっている。3つの国会の経験が示したように、これらの分子は――その曖昧さと無力さにもかかわらず――、社会的問題のみならず政治的問題においても、カデットより急進的である。さらに重要なことには、彼らは、農村でも都市でもより民主主義的な(農民的、平民的・半プロレタリア的)分子に依拠している。この2つの事情はわれわれにとって決定的な問題である。オクチャブリストと黒百人組に対抗して自由主義者を支持することへとわれわれを導いたのとまったく同じ理由からして、われわれは、必要な場合においては、カデットに対抗してナロードニキおよび左翼民主主義者との戦術的協定を結ぶことを余儀なくされる。
この問題に関してもわが党の内部には深刻な意見の相違はないとわれわれは考える。メンシェヴィキは、トルドヴィキに対する以前の評価――根本問題ではカデットよりも進歩的ではない潮流という評価――に今では固執していないように思われる。こうした評価のうちに、メンシェヴィズムは、とっくにマルクス主義によって反駁されたラサール(7)の古臭い誤りを繰り返しているにすぎない。ラサールは、16世紀における「農民戦争」のうちに反動的な「土地原理」を見出したが、実際には、このドイツ農民の反乱は、そのいくつかの要求の反動的ユートピア的外観にもかかわらず、新しい社会関係への道を切り開き、――その深い社会的ラディカリズムのおかげで――当時の諸都市においてブルジョア的野党に対抗して平民的・革命的政党を支えるものだったのである。
しかし、わが国の農民民主主義の社会的本質とその将来の運命をどのようにみなすにせよ、われわれにとって、選挙戦術の観点からするならば、トルドヴィキが、その国会活動において、カデットとわれわれとの中間の立場をとっていること、トルドヴィキに対する政治的影響を与えるためにカデットと常に争わなければならなかったこと、そしてしばしばかなりの成功を収めたという事実だけで十分である。したがって、カデットに対抗してトルドヴィキと選挙協定を結ぶこと――それによって右派が勝利する危険性がない場合にかぎるが――は、政治的合目的性からして当然のことであり、第4国会においてトルドヴィキに対するわれわれの影響力をただ強めるだけだろう。言うまでもないことだが、その際、いかなるクーリアにおいても、社会民主党が反カデット的「左翼ブロック」に溶解してしまうようなことは絶対に許されない。問題になっているのは、再投票および第2段階投票におけるカデットに対抗した戦術的協定だけであって、それ以上ではない!
結論
われわれは、現時点では以上述べたような戦術的立場が、わが党全体の立場ではないにしても、その圧倒的多数の立場であるとみなしている。この立場を最終的に打ち固めることは、全党協議会にとって、大きな困難ではないだろう。
だが地方情勢の評価に関して意見の相違がありうるのではないか、たとえば、ある特定の場合に黒百人組の脅威のあるなしをめぐって? だが、このような意見の相違はいかなる意味でも原則的なものではないし、けっして戦術的対立の基礎にはなりえない。この点では、問題の個々の場合に応じて慎重に事態を観察し、その場合に応じた組織的な方策を決定すればよい。
まとめよう。
1、いかなる政治的ブロック(共通の政綱、選挙組織の統合、など)もノー。あらゆる煽動の完全な独立。
2、全国的規模であれ地方的規模であれ、いかなる全面的な選挙協定もノー。選挙の第1段階における全候補者の完全な独立性。
3、第1段階の再投票および第2段階、第3段階において(自党の候補者を当選させる可能性がない場合)、
(a)オクチャブリスト、国家主義者、右派に対抗してカデットと協定を結ぶこと
(b)カデットに対抗してナロードニキおよび左翼民主主義者と協定を結ぶこと
以上が、わが党の選挙戦術の基本方針である。レーニン派も解党派も、結局は以上のような意見に収斂するだろう。たしかに、こうした観点の論拠をめぐっては、彼らのあいだにはかなりの意見の対立がある(もっとも、論争の惰力のせいで途方もなく誇張されているが)。しかし、両者の行動方法は同一である。そして、政治的運動の成功にとっては、これが主たる要素なのである。なぜなら、それは、わが党の選挙戦術が統一されうること、したがってまた統一されなければならないことを意味するからである。
V、1つの政綱、1人の候補者
かくしてわれわれは、ロシアの今後の発展に関する意見の相違が、来たる選挙において、われわれの全党的綱領にもとづく統一したアジテーションを行ない、わが党の当面する諸要求の周囲に大衆を団結させ、かくして革命の力を実際に準備することを、妨げるものではけっしてないという結論に至った。しかし、そうだとするならば、1つ政綱と1つの選挙戦術が可能であるならば、個々の投票のいずれにおいても――代表委員選挙であれ、選挙人選挙であれ、代議員選挙であれ――、全党的な統一候補者が可能でなければならない。
ここでわれわれは、党内生活における最も先鋭で深刻な問題に接近する。
レーニン派と「解党派」
レーニン派によって今年初めに開催された協議会
[プラハ協議会]は、全党協議会を自称したが、実際には、旧ロシア社会民主労働党のロシア部分のせいぜい5分の一程度を代表しているにすぎない。この協議会は独自の選挙政綱を作成し、その政綱を党の政綱と称し、なおかつ、独自の分派的中央委員会を選出し、わが党の圧倒的多数をさしおいて、選挙における独自の分派的候補者を推薦する準備をしている。そのさいのレーニン派の議論は次のようなものであった。労働者クーリアにおいては、経験が示しているように、社会民主党が独占的に支配している。他の党による競合の恐れはまったくない。それゆえ、このクーリアでは、まったく自由に、「解党派」に対抗して「党維持派」(つまりレーニン派)を候補者に出すことができる。
いかなる疑いもないのは次のことである。もし、いわゆる解党派が、党をさしおいて、独自の候補者を立候補させようと試み、その分派的「イニシアチブ・グループ」(8)の名において、選挙カンパニアを行なうとするならば、こうした試みに対して、われわれは、自己の分派的政策を党の名で隠蔽しようとするレーニン派の試みに対してと同じく、断固として反対する。しかし、実態はまったく異なる。最近形成された組織委員会(9)は、レーニン派に対しても、「解党派」に対しても、同じ隊列に結集して、力を合わせて党全体の決定を作成し、その上で、この採択された決定に誠実にしたがうよう訴えている。解党派はこの呼びかけに応えるだろうか? この点については、解党派の進化を――分派的敵対者の意地悪い目でではなく同志としての好意的な目で――追っている者にとって疑問の余地はない。たしかに、解党派の中にはまだ、サークル的で閉鎖的な自らの潮流を維持しようとし、党への組織的溶解に抵抗している保守的分子もいる。しかし、これらの分子は少数派である。そしてわれわれは、解党派が組織委員会の活動を支持し全党協議会に参加するだろうし、その他のすべての参加者と並んで、協議会の決定を自分たちにとって義務的なものとみなすだろうと確信している。こうした状況のもとで、解党派の独自候補者が立候補するということは問題になりえない。レーニン派協議会の決議は、党全体の候補者に対抗してレーニン派の候補者を立候補させる事態をもたらすことができるだけである。そしてこれを正当化するために、レーニン派は、われわれにとって最も重要なプロレタリア・クーリアにおいて、「解党派打倒!」のスローガンのもとに選挙カンパニアを遂行することをもくろんでいる。
このような企図の犯罪性を理解するためには、労働者クーリアにおいて2人の社会民主党員が選挙で争いあう構図をはっきりと思い浮かべてみるだけで十分である。
労働者クーリアの前で
労働者層のあいだでわれわれの影響力がきわめて大きいことは、議論の余地はない。しかしこの影響力は、自然の贈り物ではない。それは、真剣な政治的活動を通じて更新され強化され拡大されなければならない。最後の国会選挙(1907年)は、偉大な革命的決戦の直後に行なわれた。その時期、社会民主党は革命の烈火の中で大衆と融合していた。しかしそれから5年が経っている。この間に、古い労働者世代のかなりの部分は隊列から脱落した。台頭してきた若い世代は、革命の烈火を経験したことはなく、一度も党に参加したことがなく、その広範な部分は社会民主党の名前そのものをかろうじて知っている程度である。自らを欺く必要はない。労働者の大多数は合法新聞さえ読んでいないし、読んでいるとしても、それでもやはり、その新聞は国会での社会民主党の活動について伝えていない。たしかに、労働者地区では活性化が見られる。しかし、自らを欺く必要はない。今のところ、その活性化は労働者階級の上層をとらえているだけである。金属労働者の労働組合はペテルブルクで3000人を数えている。われわれがみな一致して歓迎した工場での抗議集会では、約1万人を結集した。首都の労働者、数十万人のうちたったこれだけである! 自らを欺く必要はない。数十万、数百万の労働者はまだ無関心状態から脱していない。
議論の余地なく、これらの数百万人はすでにかつての重苦しい夢を見ていない。本能的に彼らは、われわれの側に引きつけられるに違いない。しかし、この漠然とした引力が強固で自覚的な結びつきになるためには、彼らの前でわれわれの要求を、われわれの綱領、われわれの偉大な解放的課題を展開しなければならない。そして選挙はその絶好の機会なのである。
しかし、選挙によって揺れ動き始めたこの大衆の前に、2人の競争相手が登場している。この両者とも社会民主主義者であり、ロシア社会民主労働党の代表者であると自称している。それと同時に、両者とも、プロレタリアートの大義を裏切ったとしてお互いを躍起になってののしっている。そしてお互いがお互いを不倶戴天の敵として攻撃しあいながら、同時に両者は――あたかも自分自身を嘲笑するかのごとく――労働者階級の統一を訴えているのである! 選挙アジテーションの全内容は、次のような課題に収斂してしまっている。すなわち、労働者の階級的利益の代表者として社会民主党一般を選出するのではなく、社会民主党員ピョートルに対抗して社会民主党員イワンを選出しなければならないことを大衆に証明することである。あらゆる情熱とあらゆる熱意は、ある社会民主党員が別の社会民主党員を大衆の面前で辱めることに費やされなければならない。その大衆は今なお薄暗い陰の中をさまよっており、自分たちの階級敵である政党の相貌がまだきちんと明確になっておらず、この選挙を通じて、社会民主党とは何であり、それがいったい何を望んでいるかを知らなければならないというのに。プロレタリアートの党と有産者階級の党とのあいだの深い溝を大衆の意識の中に持ち込む代わりに、愚かな分派主義者たちは、あっさりとすべてのブルジョア政党に背を向けて(どうせブルジョア政党は労働者クーリアでは代表者を出せないから、というわけだ!)、「党維持派」と「解党派」とのあいだの深淵を大衆の意識の中に持ち込もうとしている。大衆にとって疎遠で、知られてもいなければ、理解されてもいない狭いサークル間のいさかいを人為的に誇張することが、プロレタリアートの注意の中心に置かれようとしている。そしてその結果、必要な政治的明晰さが大衆の意識の中に持ち込まれるどころか、途方もない思想的カオスが持ち込まれることになるであろう。このような、戯画的で歪んだ形の選挙参加をするぐらいなら、国会の完全なボイコットの方がまだましであろう。
カウツキーは、『プラウダ』編集部に対する回答の中で次のように述べている。
「社会民主党のこのような混乱状態のうちに、私は、ロシアの労働運動が反革命の打撃から回復するのがこんなに遅いことの主要な理由を見出す。革命の敗北がプロレタリアートから奪ったものは、自分に対する確信、自分の大義に対する確信、そして自分の党である社会民主党に対する信頼である。社会民主党が多くの分派に分解し、それぞれの分派が、他の分派に対する不信ばかりを宣伝しているような状況のもとで、どうやってプロレタリアートが社会民主党に対する信頼を取り戻すことができるというのか? 1つの分派によって是認される行動のいずれも、他の諸分派からの反対と妨害に出くわすとすれば、いったいプロレタリアートがどのような行動を展開する気になるというのか?
社会民主党がこのような内的な組織解体と敵意のうちにあるかぎり、社会民主党は大衆のあらゆる行動にとって直接的な障害物となるだろう。そして、党の影響力が強力に維持されていればいるほど、この障害はますます大きなものになるだろう」(『プラウダ』第23号)。
現在、まさに問題は次の点にある。すなわち、統一された社会民主党が、大衆の政治的教育者として選挙に打って出るのか、それとも、分裂し寸断された社会民主党が、大衆の政治的教育の妨害者となるのか、である。
この根本的な問題を前にしては、選挙をめぐるすべての戦術的意見の相違は、5番目、105番目に退くものである。カデットと協定を結ぶべきか? それともナロードニキとのみ結ぶべきか? どこで、どのように、いつ? われわれ社会民主党員自身が、われわれの党共同体の中で相互に協定に達するつもりもなければ、そうすることもできないとすれば、いったい以上の問題にどのような意義があるというのか!
いやそんなことはない、われわれはそうするつもりがあるし、そうすることができる!
われわれの共同の圧力によって、われわれは、全体から分離している分派であるレーニン派に全党協議会への参加を承認させるだろう。われわれは、レーニン派の中央部、ロシア国内の個々のレーニン派グループ、レーニン派の個々の労働者に顔を向けて――いやレーニン派の中央部に対立してでも――、倦まずたゆまず彼らの社会民主主義的良心に訴え、社会主義インターナショナルの思考と意志をこの事業に引き込み、われわれになしうるあらゆることを、いやそれ以上のことをするだろう。そしてわれわれは、目の前の選挙カンパニアにおいてすでに、われわれの次なるスローガンを真に実現するだろう。
1つのプロレタリアート、1つの党!
※ ※ ※
(追記)われわれはすでに、「さまざまな潮流に属する社会民主主義グループ」による選挙向け政綱の掲載された校正刷りの『ジヴォーエ・デーロ』(10)第8号を受け取った。その政綱は、「ロシア社会民主党が、相互に分裂した多くのグループに分かれ、分派闘争によって相互に弱めあっている」状況を克服する必要性から出されたものである。選挙カンパニアに関するこのグループの見解が全体として、われわれの論文で展開された内容と一致していることを、喜びをもって指摘しておきたい。
ウィーン『プラウダ』第24号
1912年3月14日
訳注
(1)6月3日体制……1907年6月3日、当時の首相ストルイピンは、左派議員の多かった第2国会を解散し、選挙法を改悪して、大資本家と大地主と貴族の反動政党であるオクチャブリストを与党とする新しい保守体制を確立した。これを「6月3日体制」(あるいは「6・3体制」)と呼ぶ。
(2)ゲルマノフ……エヌ・イ・フルムキン(1878-?)のこと。1890年代から社会民主主義運動に参加。古参ボリシェヴィキ。1917年の2月革命後はクラスノヤルスクおよびオムスクで党県委員。1920年、シベリア革命委員会副議長。1922年以降、財務人民委員部参与、外国貿易人民委員部代理、財務人民委員代理などを歴任。
(3)『ズヴェズダー(星)』……1910年から1912年までペテルブルクで発行されていたボリシェヴィキの合法新聞。当時は調停主義的傾向があった。
(4)クーリア……帝政ロシアの制限選挙における選挙人の等級をあらわす単位で、財産や身分によって、主として4つのクーリア――土地所有者クーリア、都市クーリア、労働者クーリア、農民クーリア――に分けられていた。これらのクーリアごとに、選挙人を選出し、その選挙人の集会において互選で国会議員が選出された(場合によっては、さらにもう一段階、間に挟まる場合もある)。また、これらのクーリアはさらに、さまざまな条件によって区分され(たとえば土地所有者クーリアでは、一定面積以上の土地をもつものと基準以下の土地しかもたないものとでそれぞれ別の選挙人会議を構成した)、またそれぞれ有権者あたりに選出できる議員数に大きな違いがあり、労働者・農民には不利に設定されていた。1907年6月3日のクーデターによって、この不平等な選挙制度はいっそう地主に有利になるよう改悪された。
(5)ドイツの選挙では、第1回選挙で過半数を獲得する候補者がいない場合、上位2名の候補者による「決選投票(再投票)」が行なわれる。ロシアの選挙規定でも、同じように得票が法定得票数に到達しなかった場合は、「再投票」が行なわれるが、それはドイツと違って、上位2名のあいだで戦われるのではなく、各政党はどの候補者を立ててもいいことになっている。
(6)第2都市クーリア……都市クーリアは、税金を納め不動産や商工業施設を所有しているブルジョア的な第1クーリアと、公的機関・身分団体・鉄道から給与や年金を得ている小ブルジョア的・労働者的な第2クーリアとに分かれていた。第1クーリアでは社会民主党はまったく影響力を持たなかったが、第2クーリアでは一定の影響力を持っていた。
(7)ラサール、フェルディナンド(1825-1864)……ドイツの革命家、ドイツ社会民主党の父 。1848年にマルクスと知合い、影響を受けるも、独自の理論形成を行なう。労働者の組織化に尽力し、1863年にドイツ労働者同盟を創立。プロイセン国家を信奉し、ビスマルクにも接近をはかる。恋愛事件に端を発する決闘で重傷を負い死亡。
(8)イニシアチブ・グループ……1910年末に、合法的な労働者政党の核になることを期待して、メンシェヴィキによって作られたグループ。
(9)組織委員会……1912年1月にラトビア辺区社会民主党、ブント、カフカース同盟などによって結成された組織で、8月ブロックの中心となった。
(10)『ジヴォーエ・デーロ(現下の問題)』……1912年1月から4月までペテルブルクで発行されていた解党派メンシェヴィキの合法新聞。
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