【解説】トロツキーは、1912〜13年のバルカン戦争時に、戦時特派員としてバルカン入りし、そこで多くの論文とルポルタージュを執筆し、ロシアの急進的民主主義者の新聞『キエフスカヤ・ムイスリ』に発表した。これらの諸論文・ルポルタージュはロシア革命後、分厚い1冊としてモスクワで出版される。トロツキーはバルカン戦争をつぶさに観察することを通じて、民族問題や戦争の問題、およびヨーロッパ戦争の可能性について深い知見を得ることができた。ここでの経験は、第1次世界大戦が勃発したときに、トロツキーが『戦争とインターナショナル』という著作として即座にこの帝国主義戦争に対する包括的な見解を披瀝し、社会主義者のオルタナティヴを提示することを可能にしたのみならず、10月革命後、トロツキーが軍事人民委員として軍事問題にたずさわる上でも大いに役立った。
この論文はもともと、メンシェヴィキの機関紙『ルーチ』に「彼らの事業」「プロレタリアートの事業」という題名で別々に発表されたものである。しかし、内容的には一続きのものであるので、「バルカン戦争と社会民主主義」という表題でまとめておいた。
Л.Троцкий, Балканая войа и социализм, Сочинения, Том.6−Балканы Балканская война, Мос-Лен, 1926.
Translated by Trotsky Institute of Japan
彼らの事業
現在よりも健全な状況のもとで生活することになるであろうわれわれの子孫は、資本主義的諸国民が自らの係争問題を解決するのにどのような手段を使ったかを歴史の本から学んだなら、ぞっとして両手を左右に広げることだろう。世界の最も文明化された部分であるヨーロッパはまったくの軍事キャンプと化した。各国政府はもっぱら、できるだけ多くの人々を、できるだけ残酷な絶滅兵器でもって武装させることに関心を寄せている。議会のブルジョア諸政党は、陸海軍の必需品を買う巨額の金を次から次へと政府に引き渡している。すべての国のブルジョア・マスコミは、不安の種をまき、国民意識を排外主義で毒している。
バルカン半島で人間の血が流されるようになってすでに半年がたつ。バルカンのミニ王朝の頭には抑えがたい欲望がつのり、いずれもヨーロッパ・トルコからできるだけ多くの部分を奪おうと躍起になっている。アドリアノープルとスクタリ(1)のために、次々と何千人ものトルコ、ブルガリア、モンテネグロの農民、労働者、牧夫が死んでいっている。それと同時に、バルカン同盟諸国間の関係もとことん緊迫したものとなっている。そして、同盟諸国とトルコとの戦争の終わりが――戦利品の分け前をめぐって――ブルガリアとギリシャないしセルビアとの戦争の始まりになる、ということはけっして有りえない話ではないのである。
バルカンの6番目の「列強」ルーマニアは、戦争には参加しなかったが、盗みやすそうなものを強奪する必要性を強く感じ、周知のように、ブルガリアに「不干渉」の見返りを請求した。そして、今のところ、両国がこの請求書に何でもってサインするのか誰も知らない――普通のインクでか、それとも再び血でもってか。
しかし、バルカン戦争はバルカンの旧国境を破壊しただけでなく、バルカンのミニ「列強」の憎悪と羨望とをとことん焚きつけただけでもない――それに加えて、バルカン戦争は、ヨーロッパの資本主義諸国を均衡からたたき出した。
ヨーロッパの6大列強は敵対する2つのグループに分かれる。一つは三国同盟(ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリア)、もう一つは三国協商(イギリス、フランス、ロシア)である。この2つのグループは、侵略者の昔からの規則にのっとってバルカン諸国に働きかけた。すなわち、「分割して統治せよ」! ドイツとオーストリア・ハンガリーは、トルコとルーマニアを「援助」した。すなわち、この地に軍事顧問を派遣し、自国の商品、とりわけ大砲と銃を高価格で売りさばいた。三国協商もまったく同じやり方でバルカンのブルガリア、セルビア、ギリシャを「援助」した。
トルコの軍事的破産と、トルコを犠牲にしてのバルカン同盟諸国の強化とは、したがって、三国協商の水車小屋に、大量の血で染め上げられた水を送ったのである。
「スラブ民族」の勝利で有頂天になったわがロシアの盲目的愛国主義者たちは、勝利したバルカンの「兄弟」国を助けて、にっくきオーストリア・ハンガリーと決着をつける絶好の機会がついに訪れたと考えている。フランスの排外主義者たちは、まったく同じ理由から、1870年の敗北――この時フランスは2つの地域、アルザス・ロレーヌを失った――の借りをドイツに返すべき時がきたと考えている。
他方では、オーストリア・ハンガリーは、失いかけているバルカン市場に再び影響力を及ぼそうと闘争する中で、頭のてっぺんから足の先まで武装し、予備軍を動員し、武力で威嚇している。一言でいえば、ペテルブルクの政治家とそのセルビア追従者の脅しの前に一歩も引き下がるつもりはないことを示している。オーストリアの背後に強力な軍隊をもって立っているドイツも、生じた変化を自分なりに評価し、独自の結論を引き出した。軍備を強化せよ!
ヨーロッパの均衡は、以前からはなはだ頼りないものであったが、今や完全に破壊された。ヨーロッパの運命の支配者たちは、今回、全ヨーロッパ戦争にまで事態をもっていく決心をするであろうか――このことを予言することは難しい。しかし、排外主義的な努力がもたらす一つの結果だけはすでに明白である。ヨーロッパ全土で軍国主義がすさまじい勢いで成長し、戦艦、大砲、銃、火薬を売買している商人たちの国際ギャング団が途方もないもうけを上げている。
オーストリア・ハンガリーの戦時動員――現時点では一時中断されているが、けっして取り止められたわけではない――は、すでに数億ルーブルを使い果し、国の経済全体を混乱におとしいれ、労働者大衆を失業と飢えの脅威にさらした。ドイツは、自国の軍隊を強化するために、経済から5億ルーブルを吸い上げ、それに加えて、年に1億ルーブルづつ軍事予算を増大させるつもりでいる。
フランスは、自国の軍隊を量的にドイツに匹敵させようと、2年の兵役義務を3年に延長することによって、後方への反動的飛躍を成し遂げようとし、同時に、軍事予算を増大させている。最後に、ロシアは、軍事定員(毎年の兵士の徴集数)を著しく拡大し、陸海軍への支出を前年と比べて1億4400万ルーブルも増大させた。1913年度のわが国の軍事予算は――口にするのも恐ろしいが――8億6600万ルーブルであり、これは教育予算の6倍にものぼる。
これが、各国の資本主義政府、ブルジョア政党、職業的外交官がやった事業の結果である。すなわち、すでに手に負えなくなっている軍国主義の重荷の増大、文化的発展の停滞、排外主義の苛烈さの増大、そしてそれらすべての帰結としての、近い将来にヨーロッパ諸国民が流血の大乱闘を繰り広げる絶え間ない危険性!
プロレタリアートの事業
バルカン半島における流血のカオスと全般的な貧困化、ヨーロッパ中にのさばる帝国主義、軍備の熱病的成長、頭上に絶えずぶらさがっている国際戦争の危険性――これが、現時点におけるいわゆる文明的人間の社会的・政治的状況である。そして、自己の魂を排外主義の悪魔に売り渡さなかったすべての思考する人々は、次のように自問しなければならない。このような恥ずべき結果のために人類は何世紀にもわたって努力し戦ってきたのか、われわれの技術の主要な任務はますます改良されていく殺人機械をつくることなのか、人類には、相互の絶滅と損傷と破壊という方法以外に、地上の問題を解決するすべはないのか、と。
そして、以上のような流血の狂気を前にして、それらと並んで理性と人間性の偉大な事業が行なわれていないとしたら、たしかに絶望に陥るのも無理はない。だが、そのような事業は行なわれている。それは、国際社会民主主義の事業である。司令官たちが傷病兵たちで戦場を埋め、外交官たちが新しい陰謀をでっちあげ、取引所の札つきの愛国者たちが大砲と戦艦を売買し、大蔵大臣たちが陸海軍のために10億もの金を国民経済から吸い上げ、ブルジョア政党とその新聞ができるだけ民族的憎悪の麻薬をまき散らしているその一方で、社会主義の理念はすべての国の勤労大衆を連帯と国際的友愛の精神で教育することによって、彼らの心をとらえつつある。戦艦の数は増大し、ダイナマイトの軍事備蓄は増大しているが、それと同時に、自覚したプロレタリアートの勢力も増大している。彼らは世界中で、平和と諸国民の友愛のために、帝国主義の全欲望、外交的策略と陰謀、国際的冒険、破滅的な軍国主義に対して、たゆまず容赦なく闘争している。
すべてのブルジョア政党がバルカンにおいて好戦的な激情のとりこになっていたバルカン戦争前夜、バルカンの若き社会民主党は勇敢にも警告と抵抗の声を上げた。セルビアのスクプーシチナ(国会)において、きたる戦争のための公債に対する点呼投票が行なわれた時のことである。次々と愛国的な「賛成」が発せられる中、一つの力強い「反対」の声が鳴り響いた。これが、セルビア・プロレタリアートの指導者、わが友ラプチェヴィッチ(2)の声である。ブルガリア国民議会においては、ブルジョア愛国者の結束した隊列に抗して、わが友サカゾフは、鉄と血の政策に反対する社会主義的抗議の大胆不敵な声を発した。そして、バルカンにおける大砲の死の銃口を通じてではなく、ラプチェヴィッチとサカゾフの口を通じて、バルカン諸国民の最良の未来が語られたのである。
ドイツとフランスの社会主義プロレタリアートの代表者たちは、憂欝な軍国主義の狂気に反対する共同宣言を発した。国境はわれわれを分断しはしないと彼らは宣言している。フランスの労働者は現在、労働組合、大衆的政治集会、労働者新聞、議会の演壇といった諸力を結集して、軍事費の増大と、2年の兵役義務を3年にしようとする政府の企みとに対し、断固たる闘争を遂行している。ドイツ社会民主党は、現在、その主要な力を軍備拡大に反対する闘争に集中している。ドイツでは86種の社会民主党日刊紙が発行され、数百万を数える読者がおり、日々、排外主義的バーバリズムの攻撃に反対して、文化と平和の事業を擁護している。オーストリアの社会民主党は、バルカン半島の運命に介入しようとする政府の企図の一歩一歩を暴露し、オーストリア・ハンガリー帝国主義の反人民的性格をあばきだし、人民にとって破滅的で流血の結末をはらんだ戦時動員をやめるよう要求している。
大砲の轟音や愛国主義者のうなり声ではなく、まさにこの国際プロレタリアートの啓蒙的事業にこそ、暗黒と野蛮の時代から自由な発展の道へ脱出しようとこれまで続けられてきた人類の努力の、最良の成果がある。
帝国主義に反対する闘争において、ロシアの自覚せるプロレタリアートは自らを労働者国際主義の不可分の一部であると感じている。平和と友愛の事業こそ彼らにとってかけがえのない事業である。ロシア社会民主党の国会議員団は、疑いもなく、この事業を擁護する声を発するだろう。そして、この声は、労働者の間に熱狂的な反響を見出すことであろう。
『ルーチ』第61、62号
1913年3月14日、15日
ロシア語版『トロツキー著作集』第6巻『バルカンとバルカン戦争』所収
『トロツキー研究』第12号より
訳注
(1)スクタリ……トルコ北西部、コンスタンチノープル東部の地区で、ボスポラス海峡を挟んで、コンスタンチノープルに対している。
(2)ラプチェヴィッチ……セルビア社会民主党の指導者で、第1次世界大戦のときも戦時公債に反対投票した。しかし、ロシア革命後、コミンテルンには属さず、第2半インターナショナルに入った。
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